ほうれい線に愛をこめて ~時を遡る薬~

漢方太郎

第1話 消えた大量出血

  一

 広島県警察刑事部捜査第一課・蓼丸たでまる淳也あつや巡査部長は、最初ハナっから死因を疑っていた。

「血も流れちょらんのに失血死たぁのぅ。吸血鬼ドラキュラがらみの怪奇現象なんざ、使い古されて聞きとぅもぁわい」

 隣でハンドルを握る、同じく捜査第一課の小早川こばやかわすぐる巡査長が、がっちりした顎を開いて薄らわらう。

わしも、その手の非科学的な話は信用せん性質たちですのぅ。じゃが、現着げんちゃくした機捜の一人は鑑識畑がながぁけぇ、死因はまず間違いぁでしょう。問題は、血が何のために、どこへ持ち去られたか、ですのぅ」

 パトカーはけたたましいサイレンを鳴らしつつ、尾道の栗原くりはら川沿いの国道を北へ向かう。川の土手に並ぶ樹々は、見頃みごろを過ぎた葉桜はざくらばかりだ。

 国道一八四号線が交差して栗原川を越えると、右手に《尾道漢方薬局》の看板が現れた。看板の後ろに四台分の駐車スペースと、赤茶のスレート屋根葺きの二階建てがある。建物はブルーシートで覆われ、道路の手前には黄色い規制線が張られている。

 小早川がサイレンを消し、パトカーを道路脇へめた。

 ブルーシートのかげから「機捜」の腕章を着けた刑事が現れた。蓼丸と小早川へ、口早くちばやに情報を伝える。

「通報者は、朝の散歩に出た隣の住人です。店の自動ドアが数センチほど締まり切っちょらんし、声を掛けても中から返事がぁけぇ、家に戻って一一〇番をしたそうです」

 ブルーシートをくぐって薬局内へ入ると、ひとやまぶんの原生林が詰め込まれたような濃密な植物臭が鼻腔を抜け、蓼丸の脳髄までを痺れさせた。

「漢方薬局では、建物にまで漢方薬を飲ませちょるんか。こぎゃぁにどぎついバァちゃんくささをがされるんは、子供ガキの頃以来じゃ」

バァちゃんよりも、インド・カレーやチャイ・ラテにちょりませんか? わしゃぁ好きな匂いですのぅ」

 小早川がスンスンと鼻を鳴らし、ワインのテイスティングのように目を閉じた。

「おどれ、わしと二つしかちがわんくせに、今どきの文化をよぅ知っちょるわい。そぎゃぁにこの匂いが気に入ったなら、この事件ヤマが終わったらわしバァちゃんと見合いさせちゃろぅか」

たでさんも独り身じゃろ。今度、バァちゃんを連れて、わしんさい。そしたら、女手ひとつでわしを育てた母ちゃんとたでさんとで、もうひとカップルがめでとぉ成立するで」

「婚活しちょる暇もぁけぇ、わしも適当なところで手を打たんとのぅ。刑事がこぎゃぁにブラックな職業じゃとは、思いもせなんだ」

 二人は、一階の店舗部分のレジカウンターを抜け、奥の階段から二階の住居へ上がる。

 殺人現場となった寝室は、厚手のカーテンが閉められたままで、薄暗い。二つ並んだ布団の上に、ガムテープで口をぐるぐる巻きにされた男女の遺体が横たわっている。二人ともパジャマ姿だが、下半身は下着まで脱がされ、性器が露出している。黒々とした髪と筋肉の張り具合から、男女どちらも三十代前半~半ばくらいか。女性は、仰向けでも弾力を失わない胸と長い手足を持ち、魅惑的な姿態だ。

 白い手袋を着け、蓼丸は男のまぶたを引っくり返した。

「ひどい貧血じゃ。こりゃ確かに大量失血死じゃのぅ。縊死いしなら、眼球もまぶたの裏側も、結膜の毛細血管が怒張どちょうしちょるはずじゃ」

 露出した下肢も顔も蒼白で、水がそうなほどぶよぶよに腫脹している。両足の付け根に均等に少量の赤茶色の皮下出血痕があるが、表皮には一滴の血痕も見られない。足首と膝に、薄い暗紫色のあざがある。パジャマをめくると、手首や肘にもあざがあった。

「動かんように、手足を押さえ付けた痕じゃろ。どれもてぁしたあざじゃぁけぇ、たぶん薬で眠らせて抵抗できん状態にした後、ふとももの血管から大量に血を抜いたんじゃ」

たでさん、どんだけ血が欲しゅうても、死ぬまで抜くアホゥはらんで」

怨恨えんこんにしちゃぁ、苦痛を与える方法は他にいくらでもあるしのぅ。麻薬ヤクで頭がおかしゅうなった奴の仕業しわざか、宗教しゅうきょうまがいの儀式か。……おっ?」

 蓼丸は、「機捜」の腕章を着けた刑事へ、疑問を投げた。

「この薬局を経営しちょる夫婦は、八十代っちゅう情報じゃろ? ホトケさんたちとは、年齢が釣り合わん。……こぎゃあにフェロモンむんむんの女子おなごが婚活パーティーに来たら、わしゃぁかじり付いて離れんがのぅ」

「今、夫婦の一人娘に連絡を取っちょります」

「娘は、どこにるんなら?」

「去年、福山医大を卒業して、今は附属病院の寮にもぅて研修医をしちょるそうです」

 若い機捜の刑事が、メモ帳を読み上げる。

「医者か。昨夜の娘のアリバイも洗わにゃぁのぅ」

 考え込む蓼丸をよそに、あらためて小早川が男女の遺体を上から下まで見廻し、うんうんと深く頷いた。

「とても八十代のからだきにゃぁ見えん。こりゃ吸血鬼ドラキュラ仕業しわざに間違いぁわい。血を吸われたら、不老不死になるけん」

「おどれ、しっかりせんか! 被害者ガイシャは不老不死になるどころか、死んじょるんで!」

 怒鳴り付けた蓼丸へ、「機捜」の刑事がシラけた表情で携帯を渡した。

「病院の交換台から、娘の院内PHSへ繋がりました。直接、話されますか?」

 おぅ、と手繰たくるように、蓼丸は携帯を受け取った。

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