53話 暴力的なフルコース
テーブルに並んだ三つの皿から立ち上る湯気と、暴力的なまでに食欲をそそる香りが、休憩室の空気を支配していた。
その神々しい光景を前に、腹ペコどもはもはや我慢の限界といった様子で、それぞれの獲物へと食らいついた。
「んんーっ! これよ、これ! この野性味あふれる歯ごたえ! 噛めば噛むほど肉の旨味がじゅわ〜って溢れ出してくるわ! シンプルな塩胡椒だけの味付けが、逆にこの肉のポテンシャルを最大限に引き出してる!」
シュシュアはまず、一番肉々しいグリルの皿に狙いを定め、野生の獣のように骨付き肉にかぶりついている。その隣で、フィオは静かに、しかし寸分の迷いもなくコンフィの胸肉にナイフを入れていた。
「……皮が、ガラスみたいにパリパリ。でも、お肉は雪みたいにふわふわで、口の中に入れると、溶ける……。今まで食べたどんなお肉とも違う。こんなにおいしいのみあっさりさもあって、すごい」
その、あまりにも詩的で的確な表現に、オレは内心で頷く。こいつ、地味に食レポの才能があるんじゃないか。
オレ二人の食べっぷりを眺めていると、クロがいつものように特大の皿を要求してきたので、三種類の肉を山のように盛り付けてやった。クロは無数の口で、瞬く間にその山を平らげていく。
その影からは、キノコの妖精が羨ましそうにこちらを覗いていた。
オレが呆れて小皿に煮込みを少し取り分けてやると、彼女は「め、滅相もございません!」と恐縮しながらも、震える手でそれを受け取った。
そして、恐る恐る、その一口を口に運んだ、次の瞬間。
「ああ……! この一口に、宇宙の法則が凝縮されておりますわ! ほろりと崩れる肉の繊維、それを優しく包み込むソースの慈愛……! まさにマスターの御業! このわたくしめなどが口にしてよいものでは……!」
妖精は涙を流して感動していたが、その口は止まることなく、小さなスプーンで夢中になって肉を頬張っている。
「……でも、美味しいでしゅぅううううううう!」
そして、問題のギガオンだ。
彼は、目の前のフルコースを前に、まだ半信半疑といった様子で眉をひそめていた。やがて、一番無難そうに見えたのか、赤ワイントマト煮込みの皿をおずおずと引き寄せ、フォークでほろりと崩れる肉片を、恐る恐る口へと運んだ。
次の瞬間。
ギガオンの虚ろだった瞳が、あり得ないほど大きく見開かれた。
「なっ……!? こ、これは……! 肉の繊維一本一本に染み込んだ、トマトの酸味と赤ワインの芳醇な香り……! ハーブの爽やかさがそれらをまとめ上げ、舌の上で旨味のオーケストラを奏でている……だと……!?」
一口食べただけで、その脳裏には重厚なオーケストラが広がったらしい。
そこからの彼は圧巻だった。
もはや英雄の威厳も、抜け殻の憂いもかなぐり捨て、ただの本能の赴くままに、三つの皿を凄まじい勢いで平らげていく。
グリルを頬張っては「むんっ!」と唸り、コンフィを味わっては「おおっ……!」と呻き、煮込みを口に運んでは「な、なんということだ……!」と感動に打ち震える。その一挙手一投足が、あまりにも大げさで、面白い。
やがて、全ての皿が綺麗に空になった時。
ギガオンは、ふぅ、と長く満ち足りた息を吐くと、その場にがくりと崩れ落ち、口からカニのようにぷくぷくと泡を吹きながら、完全に昇天していた。
「あ、ギガオン様が泡吹いてる」
「……おいしかったんだね」
シュシュアとフィオが心配そうに見守る中、数秒後、ギガオンはがばりと起き上がった。
その瞳には、かつての『
そして、その怒りの矛先は、なぜかシュシュアへと向けられた。
「シュシュアァァァァッ! 貴様、なぜ今まで黙っていたのだ! こんな天上の美味がこの世に存在することを、なぜこの我に報告しなかった! 一人でこっそり堪能していたとは、許せん! 断じて許せんぞ!」
「ええっ!? わ、わたし怒られているの!?」
突然の理不尽な叱責に、シュシュアがたじろぐ。だが、その顔には安堵の色が浮かんでいた。
「で、でも、元気になられたようで何よりです、ギガオン様!」
「うむ!」
ギガオンは、満足げに大きく頷いた。
「さっきまでの我は、己の存在価値を見失っていた。この世界でもう我にやるべきことなどないのだと、深い絶望に包まれていた。……しかし!」
彼は椅子の上に仁王立ちになると、高らかに宣言した。
「我は、新しい生きる意味を見つけたぞ!」
その力強い言葉に、シュシュアの顔がぱあっと輝いた。
「本当ですか! でしたら、もうギルドマスターを辞めるなんて言いませんよね!」
シュシュアの期待に満ちた問いに、しかし、ギガオンは首を横に振り、きっぱりと言い放った。
「―――ギルドマスターなど、今すぐやめてやる!」
「ええええええええっ!?」
シュシュアの絶叫が、休憩室に響き渡る。
ギガオンはそんな彼女を完全に無視すると、椅子から飛び降り、一直線に俺の元へと駆け寄ってきた。
そして、なんの躊躇もなく、俺の腰にがしっと抱きついてきたのだ。
「ジル殿! 我と結婚しろぉおおおお!」
「は?」
「そして、毎朝毎昼毎晩、死ぬまで我のためにご飯を作ってくれ! 今の我は法律上は男だが、性別上は女だからな。だから、我と結婚できるはずだ! 今すぐ我と結婚しろ!」
その、あまりにも突拍子もない、そしてクソうざったい求婚に、オレはただただ、背筋がゾワリと震えるのを感じた。
中身おっさんに求婚されるとか気持ち悪すぎる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます