SNSにおいて実名で、アザの在る顔を公開するということ。

 SNSで尚且つ、実名でアザの在る自分自身の顔を公開するということは、最初はとても勇気のいることだった。酷い誹謗中傷に晒されるのではないか。内心ビクビクしながら自撮りの写真をプロフィール写真に設定して、実名を公開したことを今でも鮮明に覚えている。きっかけは、とある作家さんだった。

 話は遡って、モバゲータウンやGREEが全盛期の時代。皆が匿名で自分自身の分身であるアバターに服を着こなさせて交流をしていた。僕自身もアバターに色々な服を着させたり、何ならちゃっかり弾けもしないギターを担がせていた。

 この姿は本当の僕じゃない。僕の顔にはアザがある。何だかアザの在る自分を隠し、他者を欺いている気がして後ろめたかった。当時はアバターだけで自分自身の好きな画像をプロフィール写真にすることは出来なかったと思うけど、仮に出来たとしても僕には自分の顔、ましてやアザが在ることをネット上には露呈させたくはなかったし、そんな勇気もなかった。

 そこから年月は流れて、高校を卒業した頃だったか。ある作家さんに出逢った。その作家さんのことが気になって、Twitter(現在のX)のアカウントを検索し、アカウントを見つけてツイートを読んでみた。そこで、あるツイートが目に飛び込んできた。内容は、匿名で顔出しせずにツイートしている人たちは自分の言動に責任を持てていない。そんなような内容だったと思う。

 その作家さんに感化されていた僕は、自分の言動にはきちんと責任を持ちたいと思った。その反面、アザの在る顔を公開することに恐怖を感じていた。でも実名で顔写真を公開している人たちにある種、憧れのようなものを抱いている自分もいた。えいやっ!っと、なすがままよと実名と顔写真を公開したことは今でも忘れていない。でもよく考えると、一般人の僕が実名で顔写真を公開したところで、見向きもされないのは明らかだ。案の定、公開した当時は何の反応もなかった。だが、解放感のようなものは確かに感じた。現実とSNSが繋がってうまく噛み合ったような、そんな感覚だ。

 そして僕以外にも、外見に疾患や外傷があって悩んでいる人がいるはずだ。そうした人たちと連帯していきたい。実名と顔写真を公開することで仲間を集めること。それから、そんな人たちのエンパワーメントすること。そんな思いを込めつつ、今このエッセイを書き綴っている。届け!!!

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