私の憧れの先輩

美女前bI

風のいたずら


 最近の私はツイている。


 憧れの先輩が会社帰りに車で送ってくれたり、ケーキを買ってきてくれたり。何かと優しくしてくれるから。


 これはたぶん脈アリだ。


 100人に聞けばほぼ全員がそう言うだろう。それだけの自信があった。


 今日も楽しく同僚の仲良しとランチをしていると、意中の先輩が私を見つけて手を振ってくれた。


「ここいいかな?」

「もちろん!」


 彼の相席の申し出にすかさず返事をする私。同僚の女の子も後に続いて、どうぞと遠慮がちに同席を承諾する。


 私はカッコいい先輩の横顔をおかずにご飯を食べれるが、一応女の子らしく控えめに話しかけたりしていた。


 先輩は会話をしながらも、あっという間にご飯を食べ終わる。私は彼に夢中であまり食事が喉を通らなかった。でも残すのはイメージが悪いから、味はわかんないけど頑張って食べる。


 同僚の女の子が、会話を繋いでくれたおかげでなんとか食べきることができた。私達は普段からチームワークが良いのだ。


「はあ?今度は清水さんのパンツ見ちゃったの?信じられない」

「違うって、それは偶然だって」


 知らぬ間に女の子は先輩とタメ口で会話をしていた。その会話の内容、聞いていてとても不快だった。でも私が先輩を好きなことを彼女は知らない。だから仕方ないと言えばそれまでなんだけど、なんだか心がモヤモヤしてしまう。


「海で私のパンツ見たのは?」

「それは風のいたずらだろ」


 海でパンツ?それってどんな状況?あれ?


「ふーん、そんな事言うんだ。反省しないたっちゃんは、今日帰ったらご飯抜きだかんね」

「うおい! それはズルいだろ」


 えっと。


 この二人、付き合ってる、んだよね。ていうか、同棲、してますよね……最悪だ。


 私だけ何も知らずに浮かれちゃってたんだな。


 うーん、これはやばい。目頭が熱くなってきた。これ以上落涙我慢すると鼻水に代わりそう。せ、戦略的撤退!


「ふう、ごちそうさま。ちょっとトイレ我慢できない。まじごめん、片してもらえないかなあ」

「もちろんいいけど。大丈夫?早く行きな」

「てんきゅー、ばいびぃ!」


 頑張った私は女優さながらの演技力で見事に逃げ切った。席を立つ時に確認したから忘れ物はないはず。


 その足でまだ仕事中の上司に嘘の体調不良を訴えると、私はすぐに早退した。


 完全にメンタルがやられてしまったのだ。


 今日はこれ以上仕事になりそうもなかった。きっと我慢したとしてもミスを連発するだけ。そしたら会社の損失に繋がっただろう。だから私の貢献は大きいはずだ。そう思うしかなかった。


 いつもより早い帰路。自宅の近場のラーメン屋で浴びるほどビールを飲み、日本酒で飲んだくれ、焼酎で酔いつぶれる。それでも日の高い時間帯にアパートへ着いた。


 着替えもせずにベッドにダイブすると、間もなく意識が遠ざかる。


 物音に気付いて目を開けた。駆け落ちして出て行ったお母さんが夢に出て来てイラッとした。それよりも今の状況が気になる。外も部屋も暗いからそれだけで夜だとわかる。それなのになぜ私は、パジャマも着ずにアウターを着込んで寝ていたのか?まあいいか、あったかいし。


 すると玄関のドアを叩く音がした。頭が思考を止め、さっきこの音で目覚めたことを思い出した。そして今度は恐怖でいっぱいになる。


 続いて玄関のブザーが鳴った。


 帰る気のなさそうな行動がますます怖い。


 さらにベッドの上のスマホがブルブルする。置いた場所がテーブルや床の上でなくてホッとした。もしもそちらであれば音が響くから。


 怖すぎて涙も出てこない。


 幸いにも部屋に明かりはついてなかった。留守だとわかればそのうち帰ってくれるだろう。もうそれに頼るしかない。


 しかし電話のブルブルが止まらない。いったい誰なんだろ。しつこいなあ。


 確認すると、その着信は先輩だった。


 ふと、昼間のことを思い出した。


 同棲中の彼女がいるのになぜ電話?この着信に出るのは同僚に悪いという思いしかなかった。この時点で先輩に対する好意はどこかに飛んでしまったらしい。彼女が悲しむことをする人は信用できない。


 扉を叩いてるのも先輩なのかな。なんとなくそんな風に思ったら、彼に強烈な嫌悪感が生まれてきたことに気付いた。


 スマホが鳴り止むと、すぐにメッセージアプリで助けを求めた。相手は先輩の彼女でもある同僚の女の子だ。声を出せない状況も伝えたけど、すぐに来てくれるらしい。その間も扉を叩く音は続いていて、しばらくするとドアのポストがカパカパする音まで加わった。


 恐怖心は膨れ上がり、それが誰なのか確認することもできない。


 しかし、突然その音は消えた。帰ってくれたのだろうか。


 いや、まだわからない。私はトイレも我慢してるけど、それよりも怖くてベッドから動くこともできなかった。


 その後もしばらく様子をみた。時折カパカパとポストを覗く音がしていた。やはりまだ帰ってくれないらしい。恐怖心がトイレ心を上回って便秘まっしぐらだ。


「え?誰?」


 同僚の女の子の声だった。ホッとしたと同時に、訪問者が先輩じゃないことを察した。


 私はまた怖くなった。ど、どうしよう。女の子が危険だ。


「知らない人ですか?」


 今度は男性の声。


「父です」


 そして聞き覚えのある懐かしい声。え?お父さん?


 私は走って玄関に向かい扉を勢いよく開いた。


 あ、本当にお父さんだ!


「良かった〜!」


 私は心の底からホッとしてその場にしゃがみ込んでしまう。涙が溢れてしょうがない。


「来るなら連絡してよ、お父さん!」

「ビックリさせようと思ってな」


 おどけて見せる顔がムカついた。


「そういや、さっきここ来る時にすれ違ったけどあれは彼氏か?」


 ん?すれ違った?


「さっきって? もしかしてお父さん、今来たばっかりなの?」

「おう」


 即答だった。てことは、お父さん以外の訪問者だった?


 安心した後だけに、こみ上げてくる恐怖にまた体が震えだす。


 本当になんなの……今日はいろんなことがありすぎて全然わけわかんない。


「私が連絡もらったのは20分くらい前ですけど。それよりは後でした?」


 女の子が冷静に時間のズレを確認しだした。たぶん大事なことなんだろう。


「5分くらいだと思う。そういや、確認のためにすれ違った男の写真撮ったぞ。あ、間違って動画になってんな」

「お父さん……ありがたキモい」

「キモいってなんだ!」


 突っ込みたいのはこちらだ。でもそんな元気もうないかな。怖くて動画なんて見れそうにないもん。けど、確認中の女の子の顔が引きつっているのだけはわかる。やっぱりお父さんのキモさに引いてるんだね。


「あいつ……」


 女の子は呟いた。お父さんじゃなくて訪問した人に向けた言葉だ。そして訪問者は先輩だったらしい。彼氏さんだもんね。あ、そういえば。


「先輩に家教えたことないんだけど、どういうこと」


 以前送ってもらった時は最寄り駅までだったし。私の家をなぜ知っていたのか……


 お父さんはよくわかんなかったそうだけど、女の子曰く動画は私に見せられないほどに気持ち悪い内容だったらしい。怖くて聞けなかったし、夢に出そうだから知りたいとも思えなかった。


 女の子も私の家を教えたことはないらしい。


 とりあえずすぐにでも引っ越すように言われ、私は一人暮らしをやめて実家に引き上げることになった。


 私の恋はとっくに終わってたけど、彼女の方もその日のうちに恋人関係と同棲生活を終えたようだ。


 それから3年の月日が流れた。


 男を完全に信じられなくなった私達は今、私の実家で一緒に暮らしている。彼女と私の父の間にできた男の子は手がかかるわんぱく坊やだ。何年経っても私の胸中は複雑。どうしてそうなった?何度説明受けてもよくわかんないけど、自然とそうなったらしい。


 その子が今、私の膝の上に座りテレビを見て笑っている。それは世界でバズった動画だった。


 彼が笑ったのは、スカートを履いたおじさんが女性に扮して観光客を騙すドッキリだった。


 映像はイケメンがランニングをしているところから始まった。おじさんとすれ違う直前にスカートがめくれあがる。イケメンは一度追い越すと後ろ向きで戻って来た。スカートはまだめくれたままだ。その時間が長くて不自然なのに、イケメンはおじさんのパンツに釘付けで後方にまったく気付いていない様子。彼は散歩中の飼い犬と接触してしまい、バランスを崩して倒れ込んだ。パニックに陥った彼は、慌てて起き上がるも今度は解けた靴紐を踏んでしまい、ゴミ箱に頭から突っ込んだ。映像はそこで終わる。


 まるで出来過ぎたコントのようなオチ。男の子は手を叩いてゲラゲラ笑っていた。


「こ、これって……」


 やっぱり彼女も気付いたようだ。


「どう見ても先輩だねえ」


 私は他人事のようにそう呟いた。


 "風のいたずら"


 皮肉にもいつか彼が食堂で言ったセリフがその動画のタイトルになっていた。


 しかしSNSでは、"日本の恥さらし"と言うタイトルが付けられ、本名まで公開されるという酷いありさまだったらしい。


「あんたはあんな風に育っちゃダメよ」

「あい!」


 私達の子供は元気に手を挙げて返事をすると、ちょうど帰宅したばかりの父に抱き着くのだった。


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