Re:Birth

君山洋太朗

前編 違和感

十月十五日の朝、僕は四十二歳になった。


寝室のカーテンから差し込む秋の陽光が、枕元の目覚まし時計を照らしている。七時きっかり。いつもと同じ時刻に目が覚める習慣は、長年のサラリーマン生活が身体に刻み込んだものだろう。


「おはよう。お誕生日おめでとう」


妻の美香が、いつものように優しく声をかけてくれた。振り返ると、彼女はベッドサイドに座り、微笑んでいる。だが、その笑顔がどこか固いような気がした。口元は上がっているのに、目が笑っていない。そんな印象を受ける。


「ありがとう。もう四十二か...年を取るのは早いな」


僕は軽い冗談のつもりで言ったが、美香の表情は変わらなかった。


「そうね。時間は本当にあっという間」


美香の声音に、妙な重みがあった。まるで何か別の意味を含んでいるような。しかし、誕生日の朝の幸せな雰囲気を壊したくなくて、僕はその違和感を心の奥に押し込んだ。


朝食はいつもより豪華だった。手作りのパンケーキに、僕の好きなベーコンエッグ。コーヒーも、普段は使わない高級な豆を挽いてくれている。


「わざわざありがとう。美味しいよ」


「そう?良かった。今日は特別な日だから」


美香はそう言いながら、じっと僕を見つめていた。その視線には、愛情というより、何かを品定めするような冷たさがあった。


食事中、会話は途切れがちだった。普段なら、今日の予定や最近の出来事について話すのだが、美香は時々ぼんやりと宙を見つめ、僕の話に上の空で相槌を打つだけだった。


「今日は早く帰れそうかしら?」


「ああ、誕生日だからね。定時で上がるよ」


「そう。楽しみにしてる」


美香の言葉に、僕は胸が温かくなった。結婚十五年、彼女はいつも僕のことを大切にしてくれる。些細な違和感など、きっと僕の思い過ごしだろう。



夜、帰宅すると、美香は特別な夕食を用意してくれていた。僕の好物ばかりが並んだテーブルを見て、改めて彼女への愛情を感じた。


「本当にありがとう。君がいてくれて幸せだよ」


僕がそう言うと、美香は微笑んだ。しかし、やはりその笑顔は硬く、目の奥に何かが潜んでいるような気がした。


食事が終わると、美香が小さな包みを持ってきた。


「プレゼントよ。開けてみて」


包装紙を破ると、中から高級な腕時計が現れた。シルバーのケースに黒い革のベルト、文字盤には繊細な装飾が施されている。


「これ...高かったでしょう?」


「大丈夫。あなたにずっと使ってもらいたいから」


美香は時計を僕の左手首に巻いてくれた。彼女の指先が肌に触れる感触は、なぜか冷たかった。


「この時計、大事にしてね。だって"永遠"に使ってもらうんだから」


美香の言葉に、僕は妙な違和感を覚えた。「永遠」という言葉に、彼女は不自然に力を込めていた。まるで、普通の意味とは違う何かを込めているような。


しかし、プレゼントへの感謝と、少し飲み過ぎたワインの酔いで、僕はその違和感を深く考えることなく眠りについた。


翌朝、僕は目を覚ました。


寝室のカーテンから差し込む秋の陽光が、枕元の目覚まし時計を照らしている。七時きっかり。


「おはよう。お誕生日おめでとう」


妻の美香が、優しく声をかけてくれた。振り返ると、彼女はベッドサイドに座り、微笑んでいる。その笑顔が、どこか固いような気がした。


あれ?


僕は混乱した。今日は十月十六日のはずだ。なのに、美香は「お誕生日おめでとう」と言っている。昨日と全く同じ言葉を。


「あの...今日は十六日だよね?」


「何を言ってるの?今日は十五日、あなたの誕生日よ」


美香は不思議そうに首を傾げた。しかし、その表情には妙な作り物めいた印象があった。


朝食も昨日と全く同じだった。手作りのパンケーキ、ベーコンエッグ、高級なコーヒー豆。会話の内容も、美香の反応も、全て昨日の再現だった。


「夢見が悪かったのかな...」


僕は自分に言い聞かせた。昨日の記憶が鮮明すぎて、現実と混同しているのだろう。しかし、腕に巻かれた時計の重みの感覚は確かにそこにあった。



会社でも、全てが昨日の繰り返しだった。同僚の田中が「誕生日おめでとう」と声をかけてくる。部長が朝の会議で話す内容も、取引先からの電話の時間も、全て記憶通りだった。


最初は偶然だと思った。しかし、昼休みに行ったコンビニで、レジの店員が釣り銭を渡すとき、五円玉を一枚落とす。その音、転がり方、店員の謝罪の言葉まで、全て「昨日」と同じだった。


僕の背筋に悪寒が走った。


夜、帰宅すると、美香は同じ夕食を用意し、同じタイミングで腕時計を贈ってくれた。


「この時計、大事にしてね。だって"永遠"に使ってもらうんだから」


今度は、その言葉の不気味さがはっきりと僕の心に響いた。


三度目の朝も、同じだった。同じ陽光、同じ時刻、同じ美香の笑顔。


「これは夢だ」


僕は自分に言い聞かせながら、いつもと違う行動を取ることにした。朝食を半分残し、いつもと違う道で出勤する。昼食も別の店で取り、帰りも寄り道をした。


しかし、夜になると、必ず美香が腕時計を差し出すのだった。


「プレゼントよ。開けてみて」


何度断っても、気がつくと僕の手首には時計が巻かれている。そして、眠りにつくと、また同じ十月十五日の朝が始まる。



五回目のループで、僕は気づいた。美香の態度が、微妙に変化していることに。

最初は硬いながらも笑顔を見せていた彼女が、回数を重ねるごとに冷たくなっていく。視線は鋭くなり、言葉には棘が含まれるようになった。


「おはよう。お誕生日おめでとう」


同じ言葉でも、その口調には嘲笑が混じっている。


七回目の夜、時計を渡す美香の表情は、もはや愛情のかけらも感じられない冷酷なものになっていた。


「この時計、大事にしてね。だって"永遠"に使ってもらうんだから」


今度ははっきりと、彼女は「永遠」という言葉を強調した。まるで呪いの言葉のように。


「美香...何が起きているんだ?なぜ同じ日が繰り返される?」


僕は恐る恐る尋ねた。しかし、美香は何も答えず、ただ冷たく微笑むだけだった。

十回目のループで、僕はついに確信した。


この異常事態は、美香が何らかの方法で引き起こしているのだ。しかし、それがどのような方法で、なぜそんなことをするのか、僕には全く分からなかった。


ただ一つ確かなことは、この繰り返す地獄から逃れる術が見つからないということ。そして、美香の表情が日に日に恐ろしくなっていくということだった。


僕は、自分が何か取り返しのつかない過ちを犯したのではないかという恐怖に襲われ始めていた。しかし、それが何なのか、思い当たることはなかった。


夜が更け、僕は再び眠りについた。明日も、また同じ十月十五日が始まることを知りながら。

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