7.浮気相手のステファニー

 突然抱きつかれ、アリシアが驚きと困惑の声を上げる。振り返ったその瞳を、今度は逃さない。


「ごめんなさい! あなたの言う通りだった!」


「はい?」


 半ば強引に、私たちは近くの寂れたカフェテリアに入った。


「突然離婚しようって言われて、街に捨てられた!?」


 事情を全て話すと、アリシアはテーブルを叩かんばかりの勢いで憤慨した。


「ありえない! あの男!」


 自分のことのように怒ってくれている。嬉しい……。

 さすが元親友。順番を間違えなければちゃんと聞いてくれるんだ。


「そんな旦那のとこ、帰んなくていい。ここにいなさい――って言いたいところだけど……」


 アリシアは悔しそうに俯くと、ぽつりと続けた。


「もうすぐこの店、たたむから」


「えっ」


「父が破産して、家族全員邸から追い出されて路頭に迷ったの。死ぬ気で働いてやっとこのお店を手に入れたのよ。さっきのはパトロン」


 遠い目をして語る彼女の横顔に、私の知らない苦労が滲んでいた。


「先日の濃霧のせいで全部の精霊家具がいかれたわ。直すお金もない」


「精霊家具……」


 その言葉に、胸がざわめく。技師のヴァルディスに頼めば、なんとかなるかしら。

 離婚される前に、彼女の苦境を知っていれば……。


 いいえ、ヴァルディスに頼ることをまず考えてどうするの。


 自分で何とかしなきゃ。自分で……。


「そうだ。私!」


 俯いていた顔を上げる。アリシアの驚いた顔が目に入った。


 私には時間がある。彼女を救うだけのたっぷりの時間が。


 *



「元奥様に修復の技術がおありとは思いませんでした」

「ないわよ」

「はい?」

「今は、まだね」


 ノインの声が、薄暗い路地に響く。ここは旧市街広場から少し外れた、職人たちが集まる裏通りだ。


 石畳は油や煤で黒ずみ、壁に立てかけられた木材の山からは、乾いた木の匂いがする。


 隣に立つノインは、その完璧なダークスーツが周囲の汚れた空気から浮いているかのようだった。


「技術はこれからつけるわ。私、時間だけはたっぷりあるんだから」


 私の返事に、ノインは皮肉げに口角を上げた。


「旦那様に頭を下げると? 僕から話しましょうか」


「あの人に頼むわけないでしょう?」


 しかし修復師の知り合いなど他にいない。たった一日では、知り合うことすら難しい。


 でも、知り合い未満の人ならいる。

 敵といってもいい修復師が。


「ステファニー!」


 私は、薄汚れた木製の看板を掲げた工房の前に立った。

 看板には、簡素な文字で『ノルディック』と書かれている。


 工房の扉を開けると、そこには油ランプの仄かな光に照らされた若い女がいた。

 燃えるような赤い髪を後ろに一つに編み、豊かな胸は厚手の作業服を大きく押し上げていた。

 

 彼女こそ、ヴァルディスの愛弟子、ステファニー。夫の浮気相手と噂される女。


 彼女は、工房の隅に積まれた精霊石を検分している最中だった。黒い作業着は煤で汚れ、動くたびに木屑がぱらぱらと落ちる。私を見て、彼女の大きな瞳が驚きに見開かれた。


「奥様!?」

「今日はお願いがあって来たの」


 私は、彼女に近づき、静かに言い放った。


「私に精霊家具の修復の技術を教えて」

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