第3話



賈詡かく起きてる?」



 扉が開き、机に座って書いていた賈詡は顔を上げた。


「起きてるよ」

「明かりが漏れてたから起きてるかなって思って」

 郭嘉かくかがやって来る。


「うん……。なんか普通に暇だったから訪ねて来たよみたいに笑っちゃってるけど、なにお前起きて部屋抜け出て来てんだ。軍医から怪我の経過報告ちゃんと受けてるからな。

 起きて来るんじゃねえって何万回言えば分かる。

 子供じゃねえんだから寝てろっつったら寝ろよ」


 賈詡の忠告など全く無視して、郭嘉はそこにあった椅子に、怪我を庇いながらゆっくり腰掛けた。


「何しに来たんだよ。悪い相談なら明日にしろ。

 俺はもう今から寝ようと思ってたとこだ。

 お前になんか言われるとそれが気になって夢見が悪くなるだろ」


「酷いこと言うなぁ」


 郭嘉が腹部を押さえながら笑った。

 賈詡が筆で、額のあたりを疲れたように掻いている。


「別に何の相談も無い。

 本当に部屋に戻ろうと思ったら明かりが付いてたから寄ってみただけ」

「そうかい。あんたもようやく総指揮官様におやすみなさいとか言える子になったんだね。嬉しいよ」


「夜風に当たろうと思ってフラフラしてたら、陸議りくぎ君に会ったよ」

「陸議に? なんで」


黄巌こうがんの部屋を訪ねようとしていたみたいだったから、声を掛けてみた」

 

 賈詡が不審そうな顔をする。

「黄巌の……? なんだ徐庶じょしょの指示か?」


「徐庶に人を使う度胸は無い。

 多分陸議君が自発的に見に来たんだろう。

 徐庶が馬岱ばたいのことを話しているかなと思ったんだが、あの感じでは話していないね。

 まあ魏軍の砦で彼が馬岱であることを話す利点は何もないから、余程愚かじゃない限り話すわけはないんだけども」


「徐庶が気にしてるから、見に来たのか」


「陸議君は優しい子だね。

 徐庶が、自分が黄巌こうがんを訪ねすぎると、不審がられると警戒してるから、時間のある時に代わりに見に行ってあげたんだろう」


「不審がってなかったか?」

 見張りを増やした。そのことだ。


「側に龐徳ほうとく将軍の部屋があると言ったら、納得してたよ」


「そうか。会ったのか?」

「会いたがったら会わせてあげるつもりだったけど、特に拘りは無かったみたいだから、起こしてまで会うつもりは無かったようだよ」


「そらそうだろこんな夜中に。なんだお前ら揃いも揃って」

「賈詡重傷負って一日中どころか一週間も二週間も寝てなきゃならない状況になったことないでしょ。だから私たちの気持ちが分からないんだよ」

「おお。俺は慎重な男だからどこぞ郭嘉のように腹に穴が開いたこと無いからな」


「もうとてもじゃない寝てられない気分に不意になる」


「そうか。陸議がそう訴えて来たら可哀想にと同情してやらんこともないが、お前はどのみち四六時中大人しく寝てねえじゃねえか。頑張ってるもんみたいに言うな腹の立つ」

 郭嘉は「たしかに……」と自分で自覚があるらしく笑ってしまっている。


 賈詡は小さく息をついた。

 伸びをしてから立ち上がり、暖炉の近くに置いてあった鍋から湯を椀に取って、持って来る。


「賈詡は陸議君と話したことある?」


「軽くならあるよ。許都きょとで涼州武芸の修練もしたし。

 まあ大した話題じゃないけどね。だがそれでも十分好印象だよ。

 彼は余計なことは喋らん質だ。

 だからあの司馬仲達しばちゅうたつにも気に入られてるんだろうが」


「でも品行方正で誠実で聡明なくらいじゃ司馬懿しばい殿の目に留まらないよ。

 王宮にはそれくらいの人間たくさんいる」


「まあ確かにな。武芸の力量じゃないか? 彼は馬術もそうだが、武芸も若いが相当な腕だぞ。あの張遼ちょうりょうの側で戦って邪魔だ、おととい来やがれと言われなかったのは素晴らしいね。

 司馬懿殿は人望が少ないから、護衛にも使える聡明な補佐官が欲しかったんだろう。

 若ければこれから自分好みに育てて行くことも出来るし、いかにも好きそうだもんな。

 調教とか」


「調教がお好きなら陸議君は選ばないだろう」


 郭嘉が椅子に深く背を預け、微笑んでいた。

 一拍置いて賈詡も頷く。


「まあ、それもそうか。物分かり良さそうで調教し甲斐はなさそうだな」

「うん」

「なんにせよ、彼は若いが器用にそつなくなんでもこなす。

 そういう部分だろう。曹丕そうひ殿下の目障りになるのが一番いかんからな」



「……私は陸議君にはそれ以外にもまだ何かある気がする」



 賈詡が、含んだ言い方をした郭嘉を見た。

「あんたはそう思いたいだけだろ。意中の女が彼の姉だから」


「確かに陸佳珠りくかじゅ殿に興味は持ってる。

 今までは陸議りくぎ君にいい印象を与えて、お姉さんに私を素敵ないい人だよって推して貰えないかなとあわよくば思っていたことは否定しないけども」


「あんた女には事欠かないくせに、まだそういう細かい小細工もふんだんにして行くところがやっぱり並大抵の人じゃないよね。

 普通あんたほど黙ってても女が山ほど寄って来るなら、こっちから何にもしなくていいと思うんだけどな」


「随分いじけた男の考え方するんだねえ賈詡。

 言い寄られようと言い寄られまいと、女性の心をこっちから得る努力を怠るなんて立派な男のすることじゃないよ」


「うん……。……あれ? ひょっとして俺今自分より半分以上年下の小僧に女のことで説教されてる?」


「曹操殿を見てみなよ。未だにあの人は通りがかりに美しいなと思った女性にすかさず装飾品とか贈ってる。立派だよねえ」


「俺はどっちかというとそういう曹孟徳そうもうとくをオイいい加減にしろと側で呆れ返ってる夏侯惇かこうとん将軍や荀彧じゅんいく殿側の心の派閥だ」


「そんなだから元譲げんじょう殿も、女性に『無骨な感じが素敵』などと誉めて貰うことは多いのに、本命の女性には怖がられたり逃げられたりするんだよ」


「聞いたぞ。聞いたからな郭嘉。長安ちょうあんに帰ったら夏侯惇将軍にお前の今の言葉全部逃さず報告するからな」


「言えばいいよ。どうせ曹操殿といつも言ってることだし。戦場では総大将狙いなのにあの人女性だと本命落とすのは下手なんだ。本命だと思って気迫漲らせ過ぎるんだよって子供の頃から私は注意してあげてた。

 だって女性が『斬られるのかと思った』って泣きながら怯えてたもの」


 賈詡が筆を洗いながら笑っている。


「そうかよ……」


 全く、こいつらは昔から変わらないのかよ。

 自分が腐敗した漢王朝に仕えて苦労してる時に随分和気藹々としたもんだ、と苦笑してしまう。


「でも今日話して、確かに少し、何故司馬仲達しばちゅうたつが彼を重用するのか分かった気がする」


 郭嘉は椅子の肘掛けに頬杖をついた。



「……私も今は、彼に何かを感じるよ」



 賈詡は手を止めた。

 郭嘉がこんなことを言うのは非常に珍しかった。

 女に関してはしょっちゅう「特別な縁を感じる」とか「運命だ」などと舌の根の乾かぬ内に言いまくっているが、男に関しては聞いたことがなかった。


 綺麗に洗った筆を置いて、賈詡は温かい湯を飲んだ。


「これは気になるね。

 まさか司馬仲達と郭奉孝かくほうこうが同時に『何か見込みがある』という若者がいるとは。

 そんなの、荀文若じゅんぶんじゃく級じゃないの?」


 郭嘉が小さく声を出して笑った。


「そうだね。これで荀彧殿に陸議君を会わせて、彼が陸議君をどんな風に感じるのかは、私も聞いてみたいな」


「何の話をしたんだ?」


 興味を引かれたので聞いてみる。


「私と話す機会があったら、ぜひ聞いてみたいと前から思ってたことがあるって」


「へえ」


 なんだろう。

 司馬懿の若い副官の顔を思い出す。

 賈詡は許都きょとで彼に涼州武芸を教えた。

 てっきり司馬懿が「教えられて来い」と無理に送り込んで来たのかと思っていたが、涼州騎馬隊が定石通りの戦いをしないと聞いて、彼自身が涼州の戦い方を知りたいと志願して来たのだと言っていた。


 言葉通り非常に意欲的で、教えることに賈詡は苦労もなかった。


 あの意欲の塊である楽進と共にいても、瞬く間に教えられたことを吸収していく様子は、彼の聡明さを示していたし、確かに随所に優秀さは感じる。


 しかし司馬懿や郭嘉は優秀なだけの人間は素通りする感性の持ち主だ。


 ――異才。


 彼らが嗅ぎ分けるのはそういうもので、

 その人間が至純に優れているか、信頼出来るかどうかを判断するならば荀彧じゅんいくの方が見る目がある。

 司馬懿や郭嘉はもっと厳密に才能を察知するのだ。

 自分も恐らく、降る時は荀彧には相当警戒されていたと思うし、司馬懿や郭嘉がもし当時幕僚にいたら、自分を才の部分だけで推したかもしれない。

 最終的に賈詡を起用すると決めたのは曹操だった。


 やはり司馬懿や郭嘉は、曹操寄りの人間なのだろう。


 その点陸伯言りくはくげんは賈詡の目にはまだ、由緒正しい優秀な人間の系統に見えて、郭嘉が彼を気にするのは確実に美しい姉が気になっているから、弟とも好意的に付き合いたいに決まってると考えているのだが――郭嘉はともかく、司馬仲達しばちゅうたつの方はそんな浮ついた理由で人を見るわけがないと思った時、そうか司馬懿のもとには陸佳珠りくかじゅがいるのだと気付いた。


(なんだこいつら今まで全く気付かなかったが……もしかして本当に惚れた女にはそこまで甘いところがあるのか?)


 もしかして司馬懿と郭嘉は極めて似てる感性をしているのだろうか、などと初めての結論に行き着いて、賈詡は訝しんだ。

 色の違う異才同士だとは思っていたが、女の好みや籠絡の仕方が似てるとは盲点だった。



遼東りょうとう遠征のことを聞かれたよ」



 疑うような半眼で郭嘉を観察していた賈詡は、眼を瞬かせた。

 頭にもなかった地名が出た。


「当時【官渡かんとの戦い】は勝利したんだから、すぐにでも遼東遠征なんてするべきではないというのがどっちかというとぎょうでは主流だったから。

 若輩の私が、何故重臣たちの意見を押しのけてまで遼東遠征をすべきと強く主張出来たのか、不思議だったみたいだね。その根拠が何だったのか知りたいと聞かれた」


「へぇ……」


 思わずそんな声が出た。

 郭嘉が笑う。


「意外だよね。私もそうなんだ」

「ああ」

 

 いや郭嘉に対して、若い青年が持つ疑問としては妥当だ。

 全く意外じゃない。

 だが陸伯言りくはくげんは非凡だから、彼が郭嘉に対して一番聞きたいこととしては王道の問いすぎて、逆に非常に意外だった。


「彼はあまり夢見がちなところはない気がしていたんだが、そんな少年みたいな部分を気にすることもあるんだね。それは意外だ。

 司馬仲達しばちゅうたつは異才だから、普通の感性を持った人間と非常に相性が悪いはずなんだが」


「そこなんだよ賈詡。

 その質問をした時、陸議君の手が微かに震えてた。

 顔も緊張してたようだし。

 多分彼は、私と話せる機会があるかどうか、今後ですらそんなにあると本当に思っていないんだと思うよ。

 司馬仲達ほどの人物から重用されるなら、そんな風には普通は考えない。

 彼は貴方や司馬仲達とも冷静に話せるほど、普段自分を律した人間だ。子供じゃない。

 その彼が、私と話す時に緊張してた」


 郭嘉の才は誰が見ても非凡だと分かる類いのものだ。

 だが実のところ、郭嘉の才の真価を初見で理解してる人間は少ない。

 

 非凡だと聞き、

 実際に会って噂は本当だったのだと理解して。

 その後に共に戦場に立った時、三度驚いて実感する。


 賈詡かくでさえその通りになった。



「余程あんたを評価してるんだね」



「だろうね。そういうのを私も感じたよ。

 彼はむしろそういう感情を押し隠そうとしていたから、今日は素直にそれが出て来て、少し驚いた。印象が変わったよ」


「それで理由を話してやったのか?」


「うん。涼州、江陵こうりょう、孫呉の三面と同時に相対するためには、決してぎょうの背後に敵の勢力を残すわけには行かなかったと、強く思ったから主張出来たと答えてあげたよ」


 賈詡は頬杖を突いたまま、側の火鉢の炭を見ている郭嘉の方を見た。


「勿論、今は多少大陸の情勢は当初とは異なって来てはいるとは言っておいたけど。

 だけどそこの事情だけは変わらない」


 賈詡も、鄴の背後を敵に取られているのは不自由だと考えていたから、遼東りょうとう遠征には賛成だった。そういう人間は少なくはない。


 彼らがあの当時反対したのは、時期のことだ。

 賈詡も時期は改めた方がいいと思っていた。


 しかし郭嘉は北方に逃げた袁家の残党は、時を与えれば幽州ゆうしゅうを広く要塞化し、山岳戦に特化し勇猛で知られる【烏桓うがん】を始めとした部族をまとめ上げ、侵略を阻むようになるだろうと主張した。


 確かに時を過ごせば曹操軍も戦力を回復するわけだが、その間に北で反対勢力が力を付け、増大した曹操軍を見て、南の各勢力が必ず曹操軍を警戒し、

 ……もし遼東遠征に本腰を入れた時、南から同盟でも組まれて攻撃を受けたら、挟撃を避けて、その動きは慢性的なものとなったはずだ。

 

 あとでどう考えても、あの時に涼州遠征をしなければならなかったと、

 時が経てば経つほど実感する。


 郭嘉が病床に倒れて表舞台から姿を消しても尚、魏軍においてその存在がむしろ強く意味を持ち続けたのは、そのあとのどの戦場でも、これで尚、北方に敵対勢力が残っていてその動きを警戒しなくてはならない状況だったら、これほどまでに自由に用兵出来なかっただろうと誰しもが実感するからだった。


 ぎょう洛陽らくようが脅かされる可能性が最後の最後まで残り続けた。


 郭嘉の遼東遠征は、一番最初に曹魏にとって最大の障壁を取り除いている。

 当時は時期を改めてもいいのではないかと思っていた賈詡もその後、いい時期などは全くなかったことは認めざるを得なかった。


 郭嘉には勿論当時から後方の憂いを絶つことで、南の勢力と落ち着いて対峙することが出来るようになるという道筋が見えていたのだろうが、今の言い方を聞くともっと詳細に描いていたものがあったようだ。



(……末恐ろしいね)



「話を聞いている時の陸議君の表情を見ていて、何かを感じたよ。

 彼の想像していたような、そういう答えを多分与えられたんだろうけど、最初は私への憧れのようなものに見えたが、最後には少し変わってた。

 もっと深い感情だ。


 ……彼の今までの人生が気になるね。


 ずっと司馬懿殿の側にいたわけじゃないんだろう? 

 魏にあの姉弟のことを知っている人が全くいないということは、他の地域に住んでいた可能性はとても高い」


「陸姓は南に多い姓ではあるけどな。確か廬江ろこうとか、蘇州そしゅうに陸姓の最大勢力があった気がする」


「蘇州じゃないかな。袁術えんじゅつ袁紹えんしょうと揉めていた時、巻き込まれてた傍迷惑な豪族の中に確か陸姓がいた気がする。

 廬江太守だったはずだ。

 袁術に命じられて当時配下だった孫伯符そんはくふが攻めたから覚えてるよ」


 賈詡は思い出した。


「そういや許都きょとで、チラッと陸議が廬江にいたみたいなことを言ってた気がする。

 正確な地名は言わなかったがその時も袁術の話になった」


「袁術の近くにいたなら最悪だね。

 袁紹もそんな誉められたような程度じゃないが、袁術は人間の底辺だ。

 彼らも幼い頃袁術に関わったなら可哀想に。

 私が朝起きてあんな愚かな男に毎日拝謁しなくてはならない立場だったら、血気盛んな十代の頃の私だったら腹立って殺してたかもなあ。

 陸佳珠りくかじゅ殿もあんなに美しい人なら少女時代から愛らしかったはずだ。

 愛らしい彼女があんな男に苦しめられるなんて絶対に許せないね。

 袁術が早々に死んでくれて良かった。

 全然興味無いから忘れてしまったけど殺してくれたの誰だっけ?」


「まあ窮地に自ら陥って最後の最後には結局意外性もなく従兄の袁紹に助けを求めて合流しようとしたもんだから方々から追っ手を差し向けられて誰ということは全然ないけども、逃亡中に病死して死んでるから多分先生の記憶に無いんだと思うよ。

 ……っていうか先生俺の若い時だったらヤンチャしてやったわみたいに今仰いましたけど、あんた今現在ヤンチャしてる真っ最中だからな。

 サラッと俺はもうヤンチャは卒業したんだ的な発言絶対認められないから謹んでくれるか。今この部屋にいるのも全然世界観おかしいしなホントはお前」


 目敏く賈詡は突っ込んだが、郭嘉は鮮やかに無視をした。


「へえ。死に方まで憎たらしい男だね。ちゃんと刃を受けて死んだ董卓や呂布の方がまだマシだ。

 どうしよう袁術えんじゅつなど私は虫けらのように無能な男だと見下しているけど、愛らしい少女だった陸佳珠りくかじゅ殿にはきっと恐ろしい男に見えたに違いない。

 可哀想に……もう大丈夫だよって優しく抱きしめてあげたいけど抱きしめていいかな?」


「うん……。一応貴方が好きですって了承貰ってから抱きしめた方がいいぞ先生。

 あと多分司馬仲達しばちゅうたつがもう大丈夫だよってとっくに優しく抱きしめてあげてると思うからそんな気にしないでいいと思うけど」


「別に司馬懿しばい殿が抱きしめて、私も抱きしめてもいいと思うな。

 そんな苦労しても聡明で優しく弟を守りながら生きて来た素晴らしい女性なら、何人の男に抱きしめられてもいいと思うんだ私は」


「持論を展開するな。女の許可を取れ許可を」


「女心の分からない人だなあ。貴方は」


「俺が女心分かりまくってたら逆に気持ち悪いだろ……。

 あと忘れてるみたいだから指摘しておいてやるが、お前はまだ一度も陸佳珠に会ったことがないって何度言えば分かる。軍師のくせに遠目に見た顔だけで女に恋をするな」


「貴方は軍師のくせにじっくり女性と座って話さないと好きになれるかなれないかも分からないわけ?」


 微笑んで言われて賈詡は額に青筋が立った。


「そんなことないよとでも俺が慌てて言うと思ったか。

 言うか! 一夜の逢瀬ならともかく自分の伴侶にするかどうかの女くらいは、一度座ってじっくり話をしとけ小僧! これでお前が顔だけのしょーもない女と結婚して苦労したら末代までお前の家系を笑ってやるからな」


「話は勿論するつもりだよ。でも遠目から見たって素敵な人は素敵だって分かる時ある」


「さっきからなんかおかしいと思って言うの忘れてたけど、陸議には会うなっつっただろ。

 俺の言いつけ一つくらい守れよ。陸議はお前に腕切られたんだぞ。総大将の副官をこれ以上怯えさせるんじゃねえ。

 これ以上お前が陸議になんかしたらさすがの狡猾軍師と呼ばれた俺様も司馬仲達の『オイお前のとこの郭嘉一体どうなってんだ。俺様に喧嘩売ってんのか?』みたいな直視に耐えられる自信ないからな」


「そう。それなんだよね」

 全く反省してない様子の郭嘉が頷いた。


「ん?」


「普通あんな死傷を与えられた人間に遭遇したら、出会い頭に警戒したり怯えた顔しないかな」


 賈詡は腕を組んだ。

「……まあするだろうね」


「彼は今日会った時、一度もそういう表情を見せなかったんだ。

 彼が目覚めた時も、怯えられたり怒られるのは覚悟の上だったんだけど、あの時も彼は私に感謝するとか言って微笑ってたなあ」


「俺、間違いなく本陣でお前が陸議に死傷を与えたあと一度も『会っていいよ』と許可してないはずなのに、命令違反が多すぎて普通に会いすぎてるからいつのどのことをお前が言ってるのかが全然分からん」


「いい子だなあ。陸議君。あの子の姉君なら絶対素晴らしい人柄に決まってるし、私たちが結婚しても、義弟になった陸議君とも絶対仲良くなれると思うな。

 彼なら瑠璃るりにも親切にしてくれそうだし。すごく幸せな家庭が出来そうな気がしない?」


「うん……。いやまあ……陸佳珠りくかじゅが本当に司馬仲達しばちゅうたつと何でもないなら全然そうなってもらっても俺は構わないんだけどさ……。

 しかし隻腕になるかもしれないって言われてるのにあんたに恨み言の一つも言わないなんて、確かに出来た人だね」


「うん」


「あんたに憧れてんのかね? 遼東遠征の質問といい……」

「いや。あの表情は憧れと言うより……」


 郭嘉が呟く。

「なんだ?」

 一瞬言葉を区切ってから、郭嘉は小さく笑んだ。





「彼はもっと私を近くに捉えてる気がするよ」




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