第7話 空を覆うもの



門を抜けた瞬間、俺の眼前に広がったのは、これまでの人生で見たどんな景色とも比べようのない「異世界の大都市」だった。


視界を圧迫するのは、まるで山のように聳え立つ石と鉄と硝子の建造物群。白と赤の石組みで築かれた尖塔の教会、鋼鉄の骨組みで組まれた高層の工房塔、そして大小のドーム屋根を持つ公共施設が、石畳の大通りの両脇に連なっていた。


道幅は馬車十台が並んで走れるほどの広さで、石畳の上には人と車がごった返している。獣人が牽く荷車、蒸気を吐きながら走る四輪馬車型の機械車両、そして背に帆を張った奇妙な小型艇までが入り乱れ、怒号と笑い声が混ざり合っていた。


空は晴れ渡り、真昼の太陽が建物の硝子窓に反射して幾千もの光の粒をまき散らしている。潮風が港の方から吹き抜け、魚の匂いと焼き菓子の甘い香りが同時に鼻をくすぐった。俺はただ呆然と立ち尽くし、周囲の光景を視線で追うことしかできなかった。


「……なんだ、これ……」


まるで都市全体が巨大な歯車仕掛けの生き物のように蠢いている。道を歩く人々の声が重なり、靴音が石畳に響き、車輪の軋む音と蒸気の噴き上がる音が絶え間なく混じり合っていた。


そのとき突然——足元に濃い影が落ちた。


昼間だというのに、一瞬、夕暮れのような薄闇に包まれた感覚。

俺は反射的に空を見上げた。


そこにあったのは、言葉を失わせる「巨影」だった。



——飛空戦艦 《ドラグニル》。



全長四百七十メートルに及ぶその艦は、巨大な城を逆さにしたような質量感をもって空に浮かんでいた。

艦底からは青白い光が漏れ、都市の上空にかすかな揺らぎを走らせている。あれが浮揚炉——クリスタルの欠片を組み込んだ「流(フラックス)」の安定炉だと、イリスは囁いた。


艦体は深紅の装甲板で覆われ、鋲と鋼の線が幾何学的に組み合わされている。側面には幾十もの砲塔が並び、光を反射して鈍い輝きを放つ。中央には巨大な螺旋塔が突き立ち、そこから伸びる導線のような構造物が、まるで心臓から全身に血を巡らせる血管のように艦全体へエネルギーを送り出していた。


その存在は、都市のどの建物よりも大きく、圧倒的で、空そのものを支配しているかのように見えた。


ゴクッ…と喉を鳴らし、無意識に後ずさる。


「な、なんだよ……あれ……」


「飛空艇 《ドラグニル》。ラミナ連邦共和国の旗艦級戦艦にして、世界最大の“移動研究都市”だ」

隣のイリスの声は、どこか冷静で、しかし微かに硬さを含んでいた。


《ドラグニル》の艦底からは無数の鎖が垂れ下がり、それが港の桟橋と繋がっていた。見れば、そこを通じて補給用の荷車が列を成し、兵士や技術者が蟻のように行き来している。都市全体がその艦を中心に動いていると錯覚するほどの光景だった。


艦首には、突き出すように巨大な砲口が構えられていた。

それは海を穿ち、大陸を削り取る力を秘めているのだと、見ただけで理解できた。だが同時に、その装置群は単なる兵器ではなく「観測装置」にも見えた。艦体の至るところに水晶のような機器が組み込まれ、流れるような光を帯びて脈動している。


 ——軍艦であり、研究都市。

 ——力と叡智、その二つを兼ね備えた怪物。


俺の胸は恐怖と興奮で高鳴った。


「奴らがここに寄港したのは補給のためだけではない」イリスは低く続けた。

「“大空洞(グランド・クレバス)”で観測された異常揺らぎ——世界を揺るがすかもしれない事態が、すでに始まっている」


言葉を失ったまま、俺はただ《ドラグニル》の影に立ち尽くしていた。


都市の喧騒すら、その巨艦の存在感の前には遠い波音のようにかき消されてゆく。

瞳に映るのはただひとつ——空を覆う、鋼鉄と結晶の巨獣。


そしてその影の下で、俺たちの物語は大きく舵を切り始めようとしていた。

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