第5話 届けてくれた
部員とエキストラ総出で大道具ごと多目的室を抜け出す。数十分だけならと体育館を譲ってもらえたのだ。運動部が演劇部を追いやっている節もある上に体験入部の大切さはよくわかるので当然ではあるが、部員たちは優しさとしてありがたがっていた。
ぞろぞろと入ってくる観客は四十人ほどで、新入生の数を考えると決して多くはないけれどそれなりに楽しみにしていそうなのが舞台袖からでも表情で伝わってきた。
澤田先輩の簡単な挨拶が終わると、照明が落とされた。
開演一分前の緊張に、頭の芯が温まっていく。もはや隣に座っている人間の横顔さえわからくなった観客席がまばらに息を潜める空気が演目への期待を物語っていた。
そうだ。あの日もこうだった。亜美の中学最後の舞台。ささやかな願いだけを頼りに希望を掴もうとする幼気な演技に胸を打たれた。
でも、私にとってはそれだけじゃない。また扱き下ろされた私の物語を簡単に超える時間を紡ぐ亜美を見て、気持ちよく筆を折ろうとしていた。物語は天才が紡ぐモノだと勘違いして、勝手に盛り上がっていた。
そして全部砕かれた。時間をおいて、もっとひどいやり方でもう一度。まるで私の心を折るためだけにあるみたいに。
じわっと涙が滲む。夢見た舞台をこんな思いで見つめたくなかった。ずっと隣に立ちたかった。嫌いだった。気持ちを返して欲しかった。せめて引き摺り下ろしてもう一度隣に立てたらどれだけいいだろう。
亜美のせいでぐちゃぐちゃになった頭に先輩の綺麗な声が始まりを告げた。
「演目、『仲直りの魔法』」
瞬間、真っ暗だった世界から空間が切り取られたように舞台が浮かび上がる。
非現実の木漏れ日に消しゴムみたいな亜美の影が一つ。掴みは静かな独白だ。
会場が震えるような地を這う声は作り物の世界から人の声がするようで、あるいはどこからか風が吹いてくるようで、言葉にするには少々不躾に思えた。
短い暗転に暗転少しだけ冷静になる。暗闇の中の唯一の光源に釘付けになる私たちは、誘蛾灯に群がる羽虫とよく似ている。
少し遠くで姉役の澤田先輩の切り込むような演技が映えて、空気がピリつく。あの口ぶりからすると先輩の演技は深い共感からなのだろうか。
ああ、私にはできないな、なんてまた思った。
人並みに舞台で台詞を置くことしか私にはできないのはずっとわかっていた。それでもなんとかなる気がしていた。練習だってエキストラよりはマシだと言っても上手くはなかった。
息と一緒に思考を吐き出して、虚な目で舞台を見据える。あとは賭けだった。
「私は……」
魔法使いの声を合図に照明がふっと消える。
「まゆりちゃん、見て!」
頭の芯が熱をもつと、目の前に光が弾ける。
「わぁ……きれい!」
つられるように口から言葉が溢れ出てくる。目に映る全てが輝いていて、まるで魔法みたいだった。
その顔のまま見上げる。亜美の顔は逆光で見えないけれど、きっと笑っている。
「すごいっ、魔法みたい」
だんだんと歩葉とまゆりの境界線が曖昧になっていって、気持ちがいい。スポットライトに焦がされて、まゆりの部屋の輪郭がはっきりしてきた。去年海に行った時のシェールグラスが目に映る。転がしたランドセルもうさぎのぬいぐるみも、全部今だけここにある。
ああ、楽しい!
共感も信じることも、私にはやりきれない。だからただ、身を任せて共鳴していた。
こうしていると、感じたものこそが本当のように思える。観客だって審査員だって、いいと思ったら票を入れる。感じたことしか分かれないのだから、私たちはずっと自分勝手だ。
ずっと舞台はこうだったのにどうしてもっと早く気づけなかったんだろう。
口からセリフが溢れる。寂しい、嬉しい、興味が湧く。まゆりの心が魔法使いに転がされていく。
そうこうしているうちに魔法使いの最後のセリフが響いて、目の前が暗くなる。
オルゴールの音色に紛れてそっとはけると舞台袖にいた別の先輩から良かったよ、と声をかけられる。
出番が終わってもまゆりの幼い心臓はなかなか治らなかった。
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