第3話 罪を
夕暮れの中帰るのは久しぶりだった。少し傾き始めた太陽や塾帰りの街灯も嫌いではないけれど、夕焼けもなんとなく切ない気持ちにさせてくれる。
「歩葉、今日どうだった?楽しかった?」
心配そうな顔の亜美に聞かれたけど、楽しい、とはちょっと違うような気がした。やりがいは確かにあるけれど、それでもやっぱり――。
「疲れた」
なにそれ、と亜美が吹き出す。
「なんか気になることとか、不安なこととかは?」
亜美が演劇のことだからかしっかり聞いてくる。自分の誘ったことで悲しませたくないのだろう。優しい人だとつくづく思う。
考えてみても不満というほどのものはない。部長はちょっと怖いような気もするけれど、部の空気もいいしメリハリもついている。
「オーディションじゃなくて指名制なんだね」
気になるというほどではないけれど、少し珍しい。えこひいきだなんだとトラブルが起こっても仕方がない方法だ。
「そう、台本書いた先輩がこの役はこの人って割り振って、あとはオーディションとか穴埋めの人に任せたりするの」
先輩が大変そうだ、なんて思っていたら意外な言葉が続く。
「そうそう、台本書いてるの部長だよ。澤田先輩」
ざりっと靴裏が擦れて嫌な音を立てる。
まさかあの人が、なんて言ったら失礼だけど、演技もできて台本も書けるなんてちょっとずるい。
「すごいね、演技も上手なのに」
先輩の演技はすごい。勘で、とか言いながら正解のさらに上を繰り出してくる。だからなんとなく好きになれなくても尊敬だけは素直にできた。
「でも歩葉もいい話書いてたじゃん」
いい話、本気でそう思っている亜美とはやっぱり感性が合わない。歩葉の書くシナリオはもっとずるくて怖がりで、そのうえ身勝手だ。
「別に、たいしたことないよ」
謙遜じゃなくて本心なんだって、言ったってきっと亜美は気づかないだろう。だからそんなことは言わずにいられた。あと少しだけ亜美が汚い人間で、共感なんて傾けてきたらとっくに口を滑らせていただろうとことあるごとに思う。
でも、そうでないから今こうして一緒にいられる。きっとそういうところは合うのだろう。中学の演劇大会からの友達で、憎い人。亜美以外にも喋れる友達はいるけれど、負の感情も含めて気持ちを向けられるのは亜美にだけだった。
「亜美はもう書かないの?」
少しだけそれを口にだしてみる。私よりもずっといいものを書くのに、なんてのは省いて。
「書かないよ。もういいと思うから」
何がもういいのだろうか。そんなこと言われたら私は、あなたの台本が好きだったとは言えないじゃないか。
横並びの二色の自販機の前を通り過ぎる。ほのかに寂しさを感じて別の話題を探す。
「逆になんか今日一日みててアドバイスとかない?家で直してくるよ」
亜美がそうだねえと考え込む。その背中の向こうで大きなトラックが一時停止した。
「歩葉はね、自分の体を大切にすることかな」
斜め上の回答に肩の力が抜けて、諭すように付け加えられる。
「早寝早起きで美味しいもの食べてちょっと運動して、美容液はたっぷりでドライヤーは丁寧にしてね、とにかく自分を大切にするの。そしたら意外と見た目が変わるんだよ」
いきなり始めるには生活のハードルが高いなと苦笑したくなる。そんなことをしている人に勝とうだなんて、中学の時の私はきっとどうかしていた。
「あとはね、表情も変わるかも」
なんでもできる亜美と脚本しかできない私、一応二刀流同士アドバイスしあった日々が懐かしいような気がして、少し顔を顰める。
確かに、と言ってから夕焼けを見て、眩しさに目を細めたことにして誤魔化した。それからすぐに駅前の交差点で別れた。
信号を待つバスが夕焼けを遮って、車道の信号が赤になる。バスから滴る雫がちょっと汚く見える。
そのすぐ後に、信号が青になる音がした。
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