会わない日の終わり

彼の受験が終わった日、私は何もしなかった。

応援の言葉も、祝いの一文も、番号を押す指も持たなかった。

沈黙は、あの日から私の呼吸の形になってしまっていた。


荷物を詰め、学生寮の部屋を空にする。

机の隅に、0.5ミリの替芯が一本だけ残った。

指で転がすと、かすかな音がして、すぐに止まる。

覚える、忘れない。

その二つのあいだに挟まったまま、私は鍵を返した。


地元に戻ると、時刻表と生活の匂いが新しいリズムを作った。

仕事を覚え、季節に合わせて衣替えをし、休日には川沿いを歩いた。

沈黙は薄くなったり濃くなったりしながら、私の中で居場所を変えた。

泣けない日が、少しずつ泣かなくていい日に変わっていく。

それでも、ときどき夜更けの台所で、コップの水に指を浸し、

チャリンと頭の中でコインの音を鳴らしてから眠った。


年月は、人の肩を経由して流れていく。

いくつかの恋が過ぎ、いくつかの生活が始まり、いくつかの別れがあった。

公衆電話の箱は街角から消え、私のポケットには画面の四角い光が常駐するようになった。

通知の音を好みの高さに設定し、連絡帳の並び順を覚えた。

“番号を覚えないと、かけられない”は、遠い昔のルールになった。


それでも、私の中のどこかは、あの角の夜を基準に世界を測っていた。

“終わったら”の先に並べた言葉たちは、長い間、裏返ったままだった。


ある日、画面の隅で白い吹き出しが跳ねた。

短い英語。見慣れたはずの表示が、なぜか別の光沢をしている。

——見つけた。ずっと探していた。

胸の中で、スンと音がして、世界の余計な音が一段だけ下がる。

送り主の居場所には、はっきりと地名があった。

パリ。


いくつかの季節を折りたたんで、私はゆっくりと返信を打った。

——元気。あなたは?

青い線が流れていき、画面が呼吸するみたいに明滅する。

“会えないあいだ”は、たしかに長かった。

けれど、その長さが、そのまま“会えるまでの楽しみ”に変換されるような気がした。


彼の返事は、時差を連れて届いた。

——帰国する。もしよかったら、会える?

私はカレンダーを開き、休日の欄に小さく丸を付けた。

画面を閉じると、胸の奥に、やっと静けさが戻ってきた。


――


次回 再会――太陽の話

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