【2】
国語の答案用紙をファイルの中に隠す。
赤色で大きく書かれた点数は「48」――僕はこれでも勉強したつもりだ。説明文と物語文は何度も読んだし、漢字も範囲に含まれるものは各10回も書いた。ただ、大事だと思うところに線を引いたら教科書が瞬く間にカラフルに染まって、結局、見るべき場所がよくわからなくなった。
他の教科も大体は同じだ。
社会科を除けば、平均点を超えるものは一つとして存在しない。テスト前の部活停止期間から、僕は教科書やノートと睨めっこしていたけれど、全て意味がなかった。あるいは、意味があってようやく結果が出たのかもしれない。何もしなければ、僕は0点すら取れるのだろう。
「今回もだめだめだー。」
「しおくん勉強したの?」
「うん、最新巻まで追いついたよ。あとねー、ラスボスも倒した。」
「……もう、やっぱりしてないじゃん!」
僕はずるい人間だった。
期待通りの結果にはならなかったから、皆にいじられるよりも先に自虐して、不真面目であることを匂わせる。本気で戦おうとして負ける人は惨めだ。だから、僕は不戦敗に持ち込んだ。友達や先生の常套句「やればできる」――その生優しい慰めが真実である可能性を残して、僕が本当に無能であることはバレないようにした。
中学二年生になって半年、僕は変わらない。
勉強はこのとおり全くできない。かといって、他に才能があるわけでもない。体育の時間で輝けるほどの運動神経はなく、皆より小柄で体力がないのも相まって、所属するバスケットボール部でも控えメンバーである。絵は模写以外でまともに動物の身体も表現できないし、堂々と声を出すのは得意だけれど、歌の音程を正確に当てられない。
昨年度の成績は余裕のオール3だった。
提出物を丁寧に仕上げて出すから「主体的に学習に取り組む態度」のところはAをもらっていたけれど、他の二観点が足を引っ張って、結局は凡庸な評定に落ち着いてしまう。僕の本来の能力を鑑みれば、普通と見なされることすら温情かもしれないのだから、僕には何かを悲しむ権利すらない。
例のアカウントを始めたのは今年の春休みからだ。
中学校にも慣れて、初めての通知表を貰って、自分に何もないことを察した僕は、他に縋るものを欲しがった。探さずとも見つかるのは顔面だけだった。他のように努力しているわけでもないのに、唯一、誰からも褒められる容姿に頼れば、簡単にフォロワーは増えた。それで、僕は満足していることにしたけれど、今日みたいにテストの点が低いことをまざまざと見せつけられると、喉の奥に大岩が詰まるような心地を憶えてしまう。
「ふーくん、すごすぎない?」
「まあ、俺はずっと勉強してたから。」
隣の席では、
彼の机上に広げられた用紙には「97」と堂々と記されている。学年では間違いなく最高得点だろう。彼の場合、全ての教科で同じ調子だから、僕とは見ている世界がまるで違う。
楓稀は運動もできる。
五月の運動会では、長距離走で先輩を追い抜かしていたし、器用ではないけれど、スタミナとスピードを買われて部活でもレギュラーに入っている。夏、僕はベンチからずっと彼の様子を見ていた。試合に負けて先輩の引退が確定したとき、彼も悔しそうに涙を流しているのを見て、僕との差を痛感するばかりだった。僕は泣けなかったけれど、ただ、彼や先輩の背中をさすっていた。
僕は、楓稀にただの優等生であってほしかった。
それだけなら、学年に一人はいる天才として見ていられたのに、楓稀の容姿は僕と少しだけ似ていた。――運動するわりには幾分か色白で、睫毛も長く、控えめな二重まぶたが穏やかな印象をつくる。皆よりあどけない顔つきをした彼は、髪型だけは緩いセンターパートにしているから、僕よりも多少は大人びて見えた。それでも、学年で可愛い男子を挙げるなら、恐らく僕の次に楓稀がくる。それくらい、楓稀は僕の近くにいるのに、決して埋められないものがある。
「慈音、今日、一緒にごはんいかない?」
「いいよー。どこにする?」
「駅前のYURAGIってカフェ。慈音と甘いもの食べたい。」
僕らはいわゆる親友でもあった。
誰かに頼ることしかできない僕と、頼られることが好きで、積極的に役立とうとする楓稀の相性が悪い理由はなかった。例えば、彼は僕に重たいものを持たせたがらないし、寒いときには自分のジャージを上から被せてくれる。それに、彼は僕が幸せそうにしているところをやたらと見たがる。スイーツが有名なカフェを提案したのも、僕の好物がパンケーキであることを知っているからだ。
「行きたい、連れてって。」
僕は楓稀の瞳をじっくりと覗き込んでみせる。
微かに口角を上げてみれば、随分と魅力的に映ったみたいで、彼の顔にも飾り気のない笑みが浮かぶ。先を走り続ける彼の世界に、僕という存在がいることが堪らなく嬉しかった。
「楽しみだね。」
「うん!」
そのまま、僕はホームルームの準備を進める。
今日は日直だから、簡単に司会をしなければならない。とはいえ、完全にルーティン化されたものを再生するだけだ。楓稀とカフェに行きたいし、普段より早口で喋って時間を巻いてみよう。
「これから、帰りの会を始め――?」
ふと、喉の違和感に気づく。
何かがつっかえるようで、上手く話すことができない。痛みはないのに掠れているみたいだ。
「……えっと、帰りの会を、始めます。」
結局、僕は一音ずつ丁寧に確かめるように言葉を発した。――今度は問題なく進められたけれど、違和感の正体がわからなくて怖い。
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