恣意的で人工的な生まれ変わり
この家は森の中、森と草原の間に建てられた家の様だった。山の中腹であり、家のリビングの窓からは、草原が広がっている。草原の先は深い色の海が見えた。リビングは西向きに作られているのだろう。夕方になると西陽が差し、太陽が沈んでいくのが見える。逆に背後は勾配のある森が続き、高い山に続いていた。高い山は南北に連なっており、北の方の山の頂上付近には雪が積もっているのが見えた。
「フネさん、一見すると、日本でもあるような豪華な洋館に見えますけど、このお家さん、中はハイテクですね」
「はい。家全てが一つの素材で出来ております。皆さんをこの世界にお連れした母船と同じ素材です」
どんな形にも一瞬で変形する素材。まるで生きているような素材だった。ソファーおいで!っと口に出するだけで、床からソファーが生えてくる。一人用、寝られるくらい大きなやつ、深めのやつ、と一通り色々なパターンで注文を付けても、全て、このお家さんは応えてくれた。部屋には個別にトイレとお風呂も付いていた。お風呂もシャワーと言えば、上からお湯が出てくるし、壁からも床からもシャワーを出すことが出来て、非常に便利だった。トイレも穴の開いた椅子が床に置いてあり、用を足すと勝手に吸い込まれていった。やってはいないが、シャワーって言えばウォシュレットの様にもなるのだろうというのは想像できた。洋服はさらに便利で、長袖!と言えば今着ている服の袖が長くなり、靴下と言えば足先まで延長された。靴もコートも帽子も何にでも変化できるそうだ。最初に幾つかのパターンを作っておけば、その形も色も学んでくれるので、一瞬で着替えることも可能である。わたしは、靴下付き、緩めのロングパンツ、長袖Tシャツを基本スタイルとした。Tシャツは当然、わたしのパーソナルカラー、薄めのピンクだ。
ひいろ君の右足首には、太い黒ベルトが巻き付いており、フネさんによるとこれが、ひいろ君の洋服の素材であるようだった。赤子の彼は当然、口に出して指示を出すことが出来ない。代わりに、わたしやフネさん、ミツバさんが彼の服を変化させる代理権限を持っているそうだ。ミツバさんというのは、ひいろ君を担当している二十代後半の若い綺麗な女性だ。立ち姿が美しく、少し茶色がかった長い髪をハーフアップに束ね、いつも黒のスーツ姿だ。目鼻立ちはハッキリとしており、女優と言われても納得できるような美しい女性だ。
「ガーゼのような、おくるみが良いかしら、色はやはり白ね」
指示を与えることで黒いベルトは、ひいろ君を包む布に変化した。
フネさんから、この服はおむつ代わりにもなると聞いて、その便利さに驚愕した。尿もウンチも分解してくれるが、気になるようなら、ウンチだけ取り出して捨てても良いと。母乳の代わりの飲み物も作り出せるらしいと聞いて、さらに驚愕した。
二人もサポートが付いているので、ひいろ君の世話は大変でもなく、ただただ可愛いだけだった。夜泣きもほとんどなく、たとえあったとしても、フネとミツバがケアしてくれるので、わたしが気にする必要もない気楽な子育て生活だった。こんな子育てなら、ただ可愛いだけである。
「私たちはこの世界の者ではありません」
最初にハジメさんに、そう言われた時は、わたしも戸惑った。は?と声に出したか、出さなかったか。ハジメさんはそう言って、両手の指で、耳の上あたりの頭を挟んで、そのまま上に持ち上げた。眉毛のライン、もう少し下だろうか、そのラインで綺麗に頭が切り離された。パカって音でもしそうな、実際には何の音もしなかったが、要は頭が二つに上下に割かれた。切り離された頭の中、頭の断面には骨も脳も何もなく、網目の細かい金属のたわしの様な物質がビッチリと、ただ詰まっているだけだった。目の前の五人全員もハジメさんと同じ様にしてちる。みんなが身体のどこかの部位をパカってしているのは非常に恐ろしい光景だ。
「あ、はい、大丈夫です。戻してください。怖いです」
パカっと頭が切り離されたまま、ハジメさんはニコっと笑った。ものすごく怖い。彼は何もなかったように、頭を元に戻して話を続ける。
「ご家族がいた世界の者でもなく、こちらの世界の者でもございません。私たちは各世界の知的生命体を保護することをミッションとしています。適切な環境を提供し、種が継続するサポートをします。今回は地球に数回目の絶滅期が訪れるため、人類の保護に乗り出しました。調査の結果、保全するに適したマスターとなる生命体を幾つかピックアップしました」
ハジメさんは、マスターと表現したが、おそらく遺伝子を指すのだろう。特定の遺伝的要素の保有比率を考慮して、マスターに適切な個体候補を絞り込んだそうだ。
「ひいろ君がそれに選ばれたということなのね?」
「はい。候補者は数万に及び、何人かにお声がけしましたが、日色様に受けて頂けたので、私たちは日色様を中心に種の保全を図ることにしました」
「彼に具体的には何を求めたの?」
「まずは、少しでも多くの子孫を残してもらうことです。そのため、肉体の老化の遅延、つまり数百年生きられる身体に作り替えさせてもらえました」
「数百年…」
「はい。老化が訪れるのは最後の十年。それ以前の期間は、細胞は正常にコピーされます。身体的に最適な状態、男性は二十五歳前後のまま、数百年生きることができます」
「こちらの世界でずっと生きるということかしら」
「いえ、この時空間に転移したのは、地球よりも宇宙エネルギーが豊富であり、エネルギー活用を学ぶには最適であったからです。また、奥さまの寿命を伸ばすためにも、こちらの方が最適でした。戻ることは可能ですし、計画にはいっております。ただし、日色様だけは、身体的な成熟が完了するまで、二十年程度はこちらで過ごすことを強く要請しました。奥さまがこちらに残るのは、私たちからのリコメンドです」
「なるほど。この世界はどこにあるのです?」
「正確な位置情報は、実は私たちも知らないのです。時間軸も空間軸も。皆さまの様な人類にとって最適な環境として、移動コードだけ提供されて使っております。皆さまがお休みになられている間に、私たちもこの惑星のことを学びました。それは後ほどご説明します」
「わたしが残るのをお勧めしたのは?」
「奥さまには、脳障害の修復と可能な限りの血管強化処理を施しました。こちらの方が、その症状を抑え込むことが容易です。ただ、長くても数年、おそらく十年は維持できないと思われます。奥さまが地球に戻るかどうか、いつ戻るのかも、ご家族は奥さまの意向に従うと言っておられました」
まあ、そうだろうな。全てが元に戻るなんてことは最初から期待していなかったけど、寿命を伝えられるって、やっぱり辛いな。
「わたし、この場所で家族に看取られて眠りにつくわ。妹に最後に会っておきたかった、という思いは少しあるけど、向こうの世界でいつ倒れるか分からないのは嫌だし、病院に搬送されたりチューブを挿入されるのも勘弁だわ。何よりも、わたしには、ひいろ君をちゃんと育てるという凄く大事なお仕事が残っているもの」
「はい、日色様が日本での記憶を取り戻すのは、六歳から十歳の頃だと思われます。脳に情報は残っていますが、それを処理できるまで脳が成長する期間が必要です」
この世界の説明と、わたしの短い延命のために、ひいろ君に大きな代償をかけてしまった。嬉しいとは思うが、少し寂しくなった。わたしは彼よりも長生きすることは出来ない、きっと彼を置いていくのだろうと。自分の死は半ば覚悟していた。でも、わたしが死んでしまった後、彼はどれだけ長い歳月を生きないといけないのだろう。そう思うと、寂しさと申し訳なさが、胸に込み上げてきた。腕に抱く、小さい赤子に向けて、ごめんね、と呟いた。
「子供たちまで付いてきたのは、どうしてなのです?」
「はい。ご兄弟が決断されました。奥さまと共に過ごす時間を願ったのでしょう。また、奥さまが地球に先に還りたいと思った時に、移動に必要なエネルギーコアを得るためだったかもしれません」
「エネルギーコア…?」
「はい。先ほどお話した通り、この世界はエネルギー効率が圧倒的に高いのです。地球よりも高質で密度の高いエネルギーが溢れております。私どもも、その情報に関しては事前に聞いておりました。それが、この地を選んだ理由でもありました。その理由は、エネルギーコアという物体が各地に点在しているからだと私どもは判断しています。直径五十センチくらいの卵型の鉱石だとお考え下さい。そのエネルギーコアが、この世界のエネルギーを吸収し排出する。言うなれば、肺の役割をしているのです。我々の母船も宇宙エネルギーを蓄積して時空間を移動します。時空間の移動には多くのエネルギーが必要です。何百年経てば自然に蓄積されるものではありますが、可能であるのならば、そのエネルギーコアのエネルギーを使うことで、時空間を移動したいと考えております」
「ありがとうございます。エネルギーコアが必要な理由は分かりました。でも、子供たちが付いてきた理由は、そのエネルギーコアという物体を探すためですか?」
「失礼いたしました。エネルギーコアは高質で密度の高い環境を提供してくれるものです。そのため、その周囲は特別な環境が形成されております。濃密なエネルギーを手にした強い魔獣が近くに棲んだりもしています。ご兄弟はエネルギーコアを手にするために、それらを攻略しようとお考えの模様です」
その後、自分が眠っている間、ひいろ君や子供たちが決断した経緯を見せてもらった。正面に大型のモニターらしきものが浮かびあがり、そこに彼らの様子が映し出された。自分が搬送された救急病院だろう。ひいろ君が病院の入口から駆け込んでくるのが最初のシーンだった。また、あんなに慌てて…と、ももはその姿を観て苦笑をもらせた。その後、ひいろ君にイケオジが声かけている様子、チラっとカメラ、こちらを見たひいろ君、どうも、これは誰かの視点で見たものを記録している様だった。その後、わたしが見せられたように、ハジメさんが頭を切断して断面を見せる様子に、ひいろ君はわたしと同じようにギョっとしたりしていると、ひまわりと木欄が入口から入ってきたのが映し出された。
その後、木欄とイケオジのやり取り。母船に移動してからの説明、久しぶりに見た碧くんとひまわりちゃんの抱擁を見て、ももは少し涙を浮かべた。それでも、ももは、木欄たちが、自分の父を代償にして母を救ってくれと躊躇なく決断する様子を見て、少し笑った。ひいろ君が決断する前に、木欄が言っちゃダメよ。そんな変わらないやり取りと、変わらない思いに久しぶりに家族全員の愛を感じた。
『あ、はい!ちなみにお名前を教えて頂けますでしょうか?さすがに五名もいらっしゃると名前を教えてもらえないと不便でして』
ハジメさんたちが、母船でサポートする五人を紹介したところ、ひいろ君がわざわざ手を挙げて質問した。
『名前はございません。皆さま方で付けていただけないでしょうか』
顔を見合わせる家族たち。想定通り、一番任せてはいけない子が手を挙げた。真ん中の娘。ひまわりちゃん。
『はい!じゃぁ私がつけます!』
『却下。どうせ犬猫みたいな名前を付けるでしょうが』
ひまわりの発言を木欄が断ち切った。ひい君に任せるよ、と彼はひいろ君に言った。わたし達家族の名前は「色」だ。彼はそのまま「日色」だし、わたしは「もも」ピンクだ。なので、子供たちも色にまつわる名前を付けようと、ひいろ君と相談して決めたのだ。
長男は「碧」読みは「あお」なのでブルーで合っているのだが、ターコイズブルー、南国の海の色をイメージして付けた。新婚旅行で行ったパラオの海の色が余りにも綺麗で忘れがたく、あの海の色にピッタリの子に育って欲しいと願い付けた。
長女は、わたしと同じく、ひらがなが良いと思った。「あずき」とか「いちご」とか色に直接的に関係のない候補を彼はあげたけど「それじゃ、食べ物だよ」と笑って却下した。彼は悩んだあげく、付けた名前は「ひまわり」だ。彼と同じようにお日様関連だ。
次男は、自宅の周りの森をイメージした名前が良いと考えていた。イメージカラーは緑のはずだったのだが、結局は「木欄」にした。カラーとしては微妙で、アイボリーをより濃く、より茶色に近い感じだ。高位の僧侶の袈裟の色、らしい。
『一太郎とか・・・』
『ダメよ』
娘から指摘される。何度か却下と提案と是正を繰り返し、下記のように決まった。どうも、数字からつけたらしい。わたしは、彼らをぐるっと見渡して、つけられた名前を覚えた。
老紳士・ハジメ
老婦人・フネ
スーツ美人・ミツバ
アイドルのような可愛い男の子・シオン
スポーツが出来そうな明るい美少女・イツキ
『ちなみに、ハジメさんたちは、生命体と認識していて宜しいのですよね?』
自分も聞きたがったが、聞きにくいなと思っていたことを、末っ子の木欄がズバリ投げこんだ。
『そうですね。生命体の定義によると思います。物理的に仕切られている、エネルギー代謝を行う、自己複製をする、といった条件は満たしておりますので、生命体と定義されても良いとは思います。ただ、この世界の生命体とは少し異なるかもしれません。考えることは単独で出来ますが、AIと同じと言われたら、そうです、とも言えます。我々は経験したことを、全ての仲間に共有することが出来ます。同一時空間にいる、という制約はありますが。思考は全員で行います。エネルギー代謝に関しても、皆さまと同じではなく、食べ物を必要とはしません。この世界ではあまり重要視されていませんが、宇宙を構成するエネルギー要素を主に取り込んで活用しています。少しの水、は必要です。有機物もあると尚良しです。全く水がないと変化も複製も出来ません。ただ、その意味では、この船も同じです。では、この船や皆さんがお乗りになった乗り物が、生命体だというと、皆さんには抵抗があるでしょう。なので、生命体である、アンドロイドのような機械である、そのどちらで捉えてもらっても構いません』
なるほど。理解できたような理解できないような感じだが、もう生命体として扱おうと、わたしは思った。きっと子供たちもそう思ったと思う。長い付き合いになりそうなのだ。どんなモノにも命が宿る、それが我が家の風習だ。壊れて捨てる家電に、今までありがとう、と言って別れを告げる家族だ。新しく買った自転車を「この子」と呼ぶ家族だ。彼らをモノとして扱うことなど、誰も選ばないだろう。
『えっと、ここに入って寝る。それだけ?』
一通り母船で話を聞いた彼らは、払うべき代償も理解した上で、異世界へと赴くことに合意した。母船の床も、このお家さんと同じ仕様の様だ。床から、全員分のポットが浮かび上がってきた。それぞれのポッドの横に、ハジメ一族がサポートに立つ。
『はい。それだけです。あとは全てこのポッドの中で自動的に行われます。着ている洋服等は、分解されポッドが吸収します。排泄物も同様です。栄養補給はポッド内の水分から行われます。日色さまは胎児からの再生。他の皆さまは細胞を、全て順次入れ替える処置を行います。向こうの世界に適用するために、心臓の近くに、エネルギーを蓄積する器官が新たに生成されますが、見た目には分からないですし、他の臓器にも何ら影響を及ぼしません』
『心臓の近くにエネルギーを蓄積する器官って、それって、魔石でしょ、魔石じゃん?』
多分、誰もが同じことを思ったが声に出したのは、ひまわりだけだった。他は苦笑いを浮かべているだけだ。
『皆さまが目覚めた時、その場所は、向こうの拠点で皆さんに割り当てたお部屋の中です。安心安全は保障いたします。我々が必ずサポートに付いておりますので、ご心配なく。日色さんは少し異なりますね、今の記憶がない状態となります。そういう意味では、次に日色さんと会えるのは、ご家族にとっての数年後になるのでしょう』
『分かった。碧、ひまわり、木欄、ももさんを宜しく頼む』
ひいろ君が皆の顔を見渡したが、子供たちは当然でしょ、という顔でうなずくだけだった。
『次に僕が僕であることを自覚するときには、そこは異世界で生まれ変わった肉体で、あ、前世の記憶が戻った、とか言ってしまうのか。これはもう、異世界転生、って言っても良いのではないのかな…』
ポッドが音もせずに閉じていく時に、ひいろ君がそう呟いたが誰も返事する人はいなかった。
「それでわたしが一番先に目覚めた、ということですのね?」
「はい。奥さまの処置は比較的簡単でしたので、実はかなり前にポッドの蓋は開いたのです。ただ、お目覚めにならなかったので、私どもは非常に心配いたしました。ベッドに移させていただきまして、十日ほど経ったところでございます」
どうやら、あの愛犬と過ごす河原の夢があまりに幸せだったので、思ったよりも長く寝てしまったらしい。ひょっとしたら、あの時、吠えたのは、起きなさいとわたしに言っていたのかしら。
「お子様がたはもうしばらく掛かると思われます。しばらくは、ゆっくりとお過ごしください」
野菜のスープから胃を馴染ませ、少しずつ固形物を増やすメニューに変えていった。大体がフネとミツバが食事を作ってくれたが、そのうち、ももは自身で作るようになった。我が家の味付けと定番メニューをフネやミツバに教えておきたいからだった。日常生活に何ら支障を感じさせない程度には回復して、ひいろ君を抱いて外を散歩したり、庭で育てている植物を学んでいるうちに、子供たちが目覚めそうであるとフネから聞いた。
自分が目覚めてから、二カ月ほど後のことである。
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