第9話 火が付く導火線
新道先輩がボクシング部に行かなくなって三日が過ぎた。理由はおそらく噂の件だろう。
放課後はボクシング部がある方向へと歩いてくのだが、何を思ったのか部室近くまで来るも途中で足を止めそのまま戻ってしまうのだ。
その後は、学校付近をぶらついて時間を潰し帰っていく。時折ふと止まっては、まるで何かを考えるようにぼぅとしていた。
誰かと過ごすわけでも、何かをするわけでもない。時間だけが無為に過ぎていく。
その後ろ姿を、俺は後をつけてただ見ていた。
そしてその日は、いつもみたく学校付近を徘徊していたのだが、ばったり同じ制服の男子生徒三人組と出くわした。
「あれ?
「こんなところで何してんの? もしかして、ナンパされそうな女子がいないか探してる? 警備ご苦労さまでーす」
「ばっかお前、こいつの話嘘だったんだからナンパされてる女子がいても助けるわけねーじゃん」
彼らは、立ち尽くす新道先輩を前に躊躇うこともなく言いたい放題をぶつける。
そして、
「大人しく自宅警備員でもやってろよ」
一人が、新道先輩の肩に手を置いてそう言った。
それが、我慢の限界だったのだろう。
新道先輩は、そいつの顔を思い切りぶん殴ったのである。
「はっ!? お前、なにしてんの!」
倒れる連れの男に一人が驚きの声を発した。
新道先輩は殴った拳を握りしめたまま、荒い呼吸で彼らを睨みつける。
「やば……こいつ。いってるわ」
「に、逃げようぜ」
「お前っ……このこと言いふらしてやるからな……」
そうして彼らは倒れた仲間を起こすと、そのまま走り去っていった。
新道先輩は拳を見つめたまま、肩で息をしている。
やがて、どれくらいの時間が経っただろうか。まぁ、たぶん五分ぐらいだったかもしれない。
新道先輩は急に顔を上げると、長い長い息を吐き出し、しっかりとした足取りで歩き出した。
その方向は学校。部活が終わるにはまだ速い時間帯。ボクシング部に向かうのかと思ったがそうじゃなかった。
彼が向かったのは、特別棟の方向。
そして、その足が向く先には市場価値活動部の教室があった。
◆◇◆
「――なんで部室にこないの?」
それは、俺が市場価値活動部に行かなかった次の日の昼休み。
突然教室に押しかけてきた愛季内が、例のごとく俺を連れ出して放った一言。
「いや、俺部員じゃないんだが」
「私を守るって言ったわよね」
「それ、お前が一方的にそう言っただけだろ。俺はそんなこと言ってないぞ」
「そうだったけ?」
「ああ。そうだ」
それに愛季内はすこし考える素振り。
「じゃあ、この件は終わり? 深井戸くんは、このまま終わるわけないって言ってなかった?」
冷静に問い詰められた言葉に、今度は俺が長考する番。
どうやら……話すしかないらしい。
それから俺は、愛季内に新道先輩を見張ることを説明した。彼が愛季内を狙うとは限らないし、もしかしたら他の誰かを狙うかもしれない。
なんにせよ、愛季内の傍だけにいるのは効率が悪い、と。
「そういうこと……。でも、彼が何もしない可能性だってあるわけでしょ? 自分の行いを反省して、大人しくしてる可能性だってある。それを全部見張るのは逆に時間の無駄じゃない?」
「それならそれで万々歳じゃねぇか。それを確認するだけでも無駄じゃない」
その返答に、なぜだか愛季内は不服そうな表情をみせた。
「変わってるのね。どうしてそこまでするのかしら。深井戸くんが本当のことを話せば終わる話なのに。そもそも、助けなければ良かったのに」
「それはこっちのセリフだ。お前が何もしなければこの顛末はハッピーエンドで終わってたんだ。安藤だって、ほとぼりが冷めてから別れりゃよかった話」
だが、愛季内はそれを鼻で笑った。
「笑わせないで。それのどこがハッピーエンドなのよ。本物は評価されず、偽物が称賛を浴びて、助けられた子は我慢して……。そんなものは薄っぺらい紙芝居だわ」
「なら、お前はやり方を間違ったと思う」
「どういうこと……?」
不服そうな視線がさらに鋭いものへと変わった。
「愛季内が言うハッピーエンドにしたいのなら、新道先輩を刺激することじゃなく、俺が本当のことを言うよう誘導するべきだったってことだ。お前はこの顛末をハッピーエンドにしたいわけじゃなく、ただ、お前が思う悪に罰を与えたかっただけだろ」
愛季内の視線は鋭いままだった。だが、噛み締めた唇からは何も言い返せない悔しさが滲む。
やがて、それは深い吐息として緩んだ。
「たしかに、そうかもしれないわ。私は嘘をついてヒーローになろうとしてる新道先輩が許せなかったもの」
それは意外な反応だった。てっきり何か言い返すと思っていたから。
「もしそうなら今度は私が悪ってことよね。この身に何があっても、それは自業自得だわ」
そこまで言われると俺が困ってしまう。なぜ、こいつはこうも極端なのだろう。
「別にそこまでは言ってない。それに、お前がした行動には正しさがあったんだろ。それが分かっていたから、俺はお前を止められなかった」
「なら、私が新道先輩を見張るわ。これは私が起こしたことだもの」
そして愛季内はそんなことを言い出したのだ。それに俺はため息を吐くしかない。
「お前、仮にもボクシング部に所属してる一個上の男を止められるのか?」
「止められないと決まったわけじゃないわ。それに、さっき言ったように何もしない可能性だってある」
「それは希望的観測だろ。その可能性を考えてお前が見張るのは賢い選択じゃない」
「それでも……もしそうなるのなら私の責任よ」
「お前がその責任を感じるのなら、見張るのはやっぱり俺でいい」
そう言うと愛季内は小首を傾げた。
「……なぜ?」
「お前が自分を悪だとするのなら、痛い目を見るのは自業自得だし、お前が言うハッピーエンドってのは、新道先輩が自身を省みることなんだろ? その二つを満たすのなら、見張るのは俺で良いってことだ」
その説明に、やはり愛季内は小首を反対に傾げてみせた。
「言っている意味がわからないのだけれど?」
だから、俺は端的に言ってやることにしたのだ。
「これはもし、新道先輩がお前に何かしようとした場合の話なんだが……愛季内、すまないが先輩に襲われてくれないか」
彼女の目が見開いた。
「本気で言っているの?」
それに俺はゆっくり頷く。
「お前は俺に言ったよな。「あなたは評価されるべき人間だ」って。だが、俺はそんなたいそうな人間じゃない。むしろ、非難されるべき人間だ」
俺はあの日からずっとそう思って生きてきた。薄っぺらな正義に憧れて、偽善者のように振る舞って、何も守れないくせに、妹を危険に晒して。
俺は人間を恐ろしいと思う。そう思ってしまうのは、恐ろしい人間が俺自身でもあるからだ。
恐ろしい人間は良い人間から隔離しなければならない。そうやって生きなければ、いずれ取り返しのつかないことになってしまうから。
これは俺の正義だった。悪である俺自身を罰するための俺が決めた、俺の正義。
だから、もう多く人間と関わらないように生きようと思った。
なのに、こんなことになってしまっている。
「私が痛い目を見るというのは理解したけれど、新道先輩を反省させるというのはどうするの?」
「俺達は先輩がなんであんなことをしたのかを知らないんだ。知らないまま、勝手に嘘つき呼ばわりをした」
「それは事実だもの。それに、ヒーローになりたかったんじゃない?」
「それはお前の憶測だろ。先輩から直接聞いたわけじゃない」
「それを聞いてどうするの」
「肯定してやるんだよ。知ってるか? 自分の意見を通したいのなら、まずは相手の意見をある程度通してやらなきゃいけないんだ。お前が先輩を反省させたいのなら、先輩の動機を肯定してやる必要がある」
「私、肯定できるかしら……先輩がやったことには理解が及ばないのだけれど」
不安そうにする愛季内に、俺は安心するよう笑ってやった。
「お前が肯定できなくても、俺が肯定してやる。俺は悪を理解出来な位ほど、善人じゃないからな」
その言葉に愛季内は俺をまじまじと見つめ、何か言いかけたようだったが、きっと無駄だとでも思ったのだろう。
「そう、じゃあよろしくね」
それだけ言って自分の教室に戻っていったのだ。
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