第6話 市場価値活動部

「俺の名前を言うかと思った」

「そんなことするわけないじゃない」


三年生の教室をあとにした愛季内はさも平然とそう言った。


「新道先輩、結構怒ってたぞ」

「怒らせたんだもの。むしろ暴露しなかったのを感謝してほしいくらいね」

「ああ、感謝はしてる」

「なんであなたが……あぁ、あなたもバラしてほしくなかった人だったわね。おかしな人」

「お前のほうがおかしいだろ。わざわざ人を怒らせるようなことをしにいって……新道先輩がなにかしてきたらどうするつもりだ」

「なにかってなに」

「口止めだ」


そう答えた俺に、愛季内は呆れたような表情。


「そんなことをしてきたら本当に失望ね。まぁ、もう失望するような期待もしていないのだけれど」

「わかってないな。喧嘩のことをバラされて新道先輩が失うものを想像してみろ。それを阻止するために大人しくしてるとは思えない」

「もしそうなったとしても自業自得でしょ? 何故そんな発想になるのか理解できないわ」


依然としてそう言い切る愛季内は肩を竦めてみせた。


「それに、新道先輩がなにかしてくるのなら、あなたが私を守ればいいじゃない」


そして、そんなことを言い出したのである。


「お前、何言ってんだ」

「言葉の通りよ。それとも、流石にボクシング部相手では私を守れない?」


わかりやすい挑発。だがそれよりも、簡単にそんなことを言い出せる思考に言葉を失う。


「それじゃあ、今日の放課後からお願いね」

「は?」

「特別棟の教室で市場価値活動部をしているから」

「は?」


俺の困惑が伝わらないのか、はたまたシャットアウトしているのか、愛季内は一方的にそう言い、呆気にとられる俺を置いて彼女は去っていった。もはや意味がわからん。


なにより、


「市場価値活動部ってなんだよ……」


部ということは部活なのだろうが、その名前が異質すぎて、にわかには信じられなかった。



◆◇◆



結論から言えば、『市場価値活動部』というのは存在した。それは去年まで『検定取得部』という名前で活動していた部であり、簡単に言ってしまえば、様々な検定試験に挑戦するのが主な活動らしい。


名前が変更になった経緯は人数不足による廃部。それを現在在籍している一名が存続を希望したことで、新たに作り直したことらしい。


その一名とは、言わずもがな愛季内その人。承認されたのは、彼女が部で残してきた功績が大きい。


「漢字能力検定に簿記検定、ITパスポートにTOEIC……どんだけ検定受けてんだよ」


入学式以来開いてもいなかった学校紹介のホームページには、愛季内が取得した検定の数々が載っていた。中には、ねこ検定なるものまで存在し、合格一覧は魑魅魍魎と化している。まるで、目に止まった検定すべてを受けているかのようなその一覧は、関係ないことにまで首を突っ込んでくる彼女らしくて妙な納得感があった……。


「――ちゃんと来たのね」


放課後、特別棟の一角にある空き教室。現在は『市場価値活動部』と名を変えた部活の教室には、すでに愛季内がいた。


「市場価値活動部なんて、お前の妄想かと思ったぞ」

「仕方なかったのよ。私が顧問の先生から言い渡されたときには、前部活の廃部が決定したあとだったから」

「名前変える必要あったのか?」

「その様子だと、ちゃんと調べたのね。まぁ、記載の問題だと学校側は言っていたわ。廃部した部がそのままの名前ですぐに作り直されるのはおかしいからって。顧問の先生も変わったの。名前を考えたのはその人よ」

「へぇ、さいですか」

「活動目的も少し変わったの。前は検定試験に受けるだけが活動だったのだけれど、今は自分の価値を上げるための活動を主としている。検定試験はその活動の一つになったわ」

「あぁ、お前が言っていた自分の価値ってそこからきてたのか」

「そうよ。将来社会に出たら人としてではなく、駒として見られるわけでしょ? それに今は終身雇用よりも転職するほうが主流になっているのだし、組織内でしか活用することのできないスキルよりも、個人で使えるスキルを身につけておくほうがいいと思わない?」

「ねこ検定もか?」

「あ、あれは……ただの趣味よ」


やはりねこ検定には愛季内も思うところがあったのだろう。彼女は目線を外し小さく咳払いをして分かりやすく誤魔化した。


「そういうあなたは放課後何も用事はなかったの? ……あぁ、あなた所属する部活も一緒に変える友達もいないボッチだったわね」

「ねこ検定のことを訊いたのは別に攻撃しようって意図じゃないぞ。過剰に反撃してくんな」


そんなやり取りをしているときだった。不意に、教室の扉がノックされたのである。


「あのー……愛季内さんっていますか?」


扉が開いた先にいたのは一人の女子生徒だった。第一ボタンは開けていて制服のリボンはゆとりを持ち、袖口は軽く腕まくりをしている。それはいわゆる、着崩しというやつなのだろう。髪も薄く染めており、爪も光沢を放っていた。まぁ、一般的に言われるギャル。そして、俺なんかがあまり関わることのない種類の人間。


ただ、そのギャルはどこかで見覚えがある気がした。


そんな女子生徒は教室内を見回し、俺と愛季内を見つけた後で、再びおずおずと愛季内がいるかを訊いてきた。


「私が愛季内よ。何か用? 安藤モカさん」


安藤モカ……安藤、モカ……だと。


「あ、え? 私のこと知ってるの!?」

「有名人だもの。ナンパから助けられたヒロインさん」


最後の言葉を愛季内は俺を見ながら言った。その視線は無視するほかない。


「あー、やっぱりそれだよね」


そう言って、安藤は苦笑い。


「それでどうかしたの? もしかして、カレシさんにでも差し向けられた?」

「え? なに? 先輩がどうかしたの? ていうか、入って話ししてい?」


どことなく噛み合わなかったやり取りに愛季内は目を細めた。もしかしたら、安藤の図星を突いて動揺を誘ってやろうとしたのかもしれない。それをとぼけたのか天然なのかはわからないが、どうやら目論見は外れたようだ。


「おじゃましまーす」


そうやって入ってきた彼女は愛季内の前まできた後、俺の方を横目にチラチラと見てきた。


「えっと……できれば愛季内さんと二人だけで話をしたいんだよね」


つまり、ご退室願いたいということだろう。それに思わず出ていこうとした俺を、愛季内が止めてきた。


「安藤さん、話って新道先輩絡みじゃないの?」

「えっと、まぁ、そうなんだけどさ」

「なら深井戸くんはいていいわよ」

「へ? なんで?」


安藤の疑問は最もだろう。だが、それに愛季内は答えなかった。それに安藤は不服そうな顔をしていたものの、やがて「まぁ、いいや」と小さく呟き、諦めた様子で愛季内の近くにある椅子へと座った。


「話っていうのは、今日愛季内さんが先輩に言ったことなんだけどさ」

「嘘つきのこと?」

「そう! それ! それを詳しく聞こうと思ったの!」


安藤は椅子から体を浮かせて食いついた。


「それを聞いてどうするの」

「いやぁ、その……もしも愛季内さんが言う通り先輩が嘘をついてたら、別れようと思ってさ」


そう言って安藤ははははと笑う。


きっとその発言までは予想していなかったのだろう。


「……は?」


愛季内が珍しくすっとんきょうな反応をした。

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