第5話 怖いもの知らずの愛季内
俺が助けた女子生徒は同じ学年の安藤モカというらしい。そして、喧嘩を申し出た人間は、
普通ボクシング部が喧嘩をしたなんて問題になりかねないが、今回は他校の生徒が執拗にナンパをしていたという背景があったため、お咎めは反省文で済んだらしい。
そして、そんな新道先輩の教室へと向かう愛季内。三年生の教室がある廊下を颯爽と歩いていく彼女の背中は、勇気があるのかはたまた蛮勇なのか俺にはわからない。
ただ、愛季内が今からしようとしていることが面倒事を引き起こすだろうことだけは予感できていた。それでも止められないのはたぶん、その原動力が正しさによるものだと知っているから。
これだから正義マンというのは厄介なのだ。
そんな彼女は三年教室の一つに立ち、迷いもなく扉を開け放つ。
俺の視界から教室内はまだ見えなかったが、静まり返った雰囲気で、愛季内が注目を浴びたであろうことは容易にわかった。
そんな場所へ彼女は踏み込んでいき、俺は無意識にため息を吐いてしまう。
遅れて教室内を覗けば、愛季内は一人の男子生徒の前で仁王立ちをしていた。
その男子生徒こそが、現在学校中で噂されているヒーロー新道先輩なのだろう。
「新道のやつモテモテだな。また女子が来てんじゃん」
扉付近にいた男子生徒がニヤニヤしながらそう言ったのが聞こえた。
「新道先輩、どうして顔を隠していたんですか?」
そして、愛季内の凛とした声も。
「え? もしかして……喧嘩した件のことかな?」
見れば、新道先輩なる男は席に座ったまま半笑いの表情を浮かべていた。たぶん、愛季内の異様な雰囲気から何かを察したのかもしれない。そこには微かな困惑が見て取れた。
「はい、そうです」
「いやぁ、何回も説明したんだけど俺ボクシング部だからさ……喧嘩したことがバレたら問題になるでしょ?」
「では、なぜ問題になると分かっていながら名乗り出たんですか?」
もうこの時点で、愛季内が称賛しに来たのではないことを理解したのだろう。困惑を含む半笑いは苦笑いへと変わった。
「どんな理由があるにしても良くないことは良くないと申し出たほうがいいと思ったんだよ」
「そうだったんですね」
「そうだよ。……ところで君は、俺になんの用かな?」
「いえ、実は私もあの場に居合わせていたので、どんな人が喧嘩をしたのか気になっただけです」
その瞬間、新道先輩の表情に微かな変化があった。その変化はあまりに小さく、すぐに笑顔によってかき消されてしまったが。
「君もあの場に……?」
「はい。よく他校の生徒三人も相手にしましたね」
「あ、ああ。幸い相手が素人だったのが助かったよ」
「私もボクシングに詳しくはないのですが、まさかボクシング部だとは思いませんでした。喧嘩の仕方がそれっぽくなかったので」
「そう、だったかな? 助けなきゃって頭で一杯だったから、あまりよく覚えてないんだ」
「ふぅん、そうですか」
含みある愛季内の言い方に俺は頭を抱えそうになった。わざとなのだろうか? いや、わざとなんだろうな……。
「なにか言いたいことでもあるのかな?」
それでも、新道先輩は冷静にそう訊いた。
そしてなぜだか、愛季内が小さく息を吸ったのが教室の外にいる俺からでもわかった。
「嘘
その声はやはり凛としていて、教室中に響いた気がした。
「それだけです。では」
静まり返る教室の中で、唯一愛季内だけが平然としていた。そんな彼女は悠然と新道先輩に背を向けると、何事もなかったかのように俺の横をすり抜け教室をあとにする。
「お、おい! ちょっと待てよ! 嘘吐きってどういうことだ!」
新道先輩が遅れて教室を飛び出し、廊下にいた生徒たちも何事か? と視線を向けた。
そして、振り返った愛季内はやはり、堂々としていたのだ。
「言葉通りですよ。それともここで説明しましょうか?」
それに新道先輩先輩は何かを言いかけたものの、開きかけた口から言葉が出てくることはない。
それを見定めたのか、愛季内は再び背を向けて歩いていく。
もう、新道先輩が愛季内を追いかけることはなかった。
俺は、そんな新道先輩がギリッと小さく歯ぎしりをしたところまでで愛季内の後を追う。最後に横目で見た先輩の瞳の奥には、怒りと焦燥のような感情が見て取れた気がした。
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