1/∞の運命の人

しろしまそら

時代は宇宙婚活!

 ──あなたたちには無限大の可能性があります。


 幼い私にそう教えてくれたのは、携帯電話端末に搭載された人工知能だった。


 日本の技術は日々めまぐるしく進歩している。まさしく日進月歩だ。


 しかし、高度な技術の発展は果たして人類の幸福に繋がっているのだろうか。


 そんなことを考えながらノンアルコールの発泡酒もどきを飲み干す。


「婚活始めようかなぁ……」


 これほどに豊かで素晴らしい社会の中で、人間は細やかな悩みで心を傷めるしょうもない生き物である。


「は? アンタが? 無理無理」

「無理って何よぅ」

「だってアンタ宇宙人じゃん」


 宇宙人、というのは減らず口のこの悪友が私につけた暗喩的なあだ名だ。私は正真正銘の地球人。ホモサピエンス。日本人種。二十七歳。女性。星野光。


 ただし少々ホモサピエンス日本人種らしく振る舞うのが下手くそ。故に宇宙人みたいだとよく言われる


「分かってないなぁ未来ちゃん、だからこそ社会に溶け込み擬態するために適齢期での婚姻が必要なんじゃないの」

「はいもう無理でしょ無理無理」


 取り付く島もなく否定され、拗ねたフリをしてチャバブチッチを頬張る。


 再考してみると、昨今において生涯を通して番を見つけられない日本人種の個体は決して珍しくはない。擬態のために必須とは言えない。しかし──


「ヘイ、ニャリ、どう思う?」

『回答に時間がかかりますにゃ。しばらくお待ちくださいにゃ』


 戯れに声をかけると、相棒の人工知能は特有の声で起動した。そしてなかなか興味深い回答をよこした。


『では宇宙婚活はいかがでしょうにゃ。こんな広告がありますにゃ。──昨今の婚活市場は宇宙にまで広がっています。無限大の可能性の中からあなたの運命の人を探してはみませんか?』


 地球が他星との外交を開始してからはやX年。すでにそんなサービスが展開されているらしい。


***


 翌日、広告のアプリをインストールして私の宇宙婚活が始まった。


 プロフィールのほか様々な質問に回答して私自身に関する詳細な情報を入力していく。


『それでは、希望する条件をもっと細かく入力して相手の検索を行いますかにゃ? それとも、現在のヒカリの情報をもとに相性が良いと推測されるおすすめ候補を挙げましょうかにゃ?』


 相棒とアプリとの連携もバッチリだ。


「そんじゃあ、おすすめの宇宙人を頼むよ」


 というわけで、マッチしたおすすめのお相手、複数人。


「あ、このプロフィールの人良いね。この人にする」


 一人目との会合は即座に決まった。


 第一の使徒。惑星A出身。ベビーデザイナー(そういう職業があるらしい)の宇宙人。


「こんにちは。はじめまして」

「こんにちは。本日はよろしくお願いいたします」


 礼儀正しい好青年とご挨拶。


「ええと……こういう時って何話せば良いんだっけ……。あ、ご趣味は?」


 静かで雰囲気のある個室の飲食店。緊張は禁じ得ない。


「その前に改めて確認ですが、我々の着地点としては惑星地球の法令に基づいた婚姻関係の締結ということでよろしかったでしょうか」

「あ、はい、よろしいです、多分」

「良かった。それでは先程の質問に回答いたします。趣味は人間観察、およびその記録を主観的なテキストデータで残すことです」


 おそらく柔らかな声でそう言った。向けられた表情はおそらく笑顔と解釈しよう。


「あ、へぇ、それは日記のようなものですか? 私も文章を書くのが好きで、論文とか」

「ああ、論文に近いかもしれないです。ケースレポートというか。趣味で書いているものですが、報告書形式のものですから日記と呼んで良いのかどうか」

「あらじゃあ私たち好みが似ていますね」


 穏やかで真面目で研究者気質。好印象だ。おそらくとても真面目が故に少々天然でズレているところも良い。


「私はあとは美味しいもの食べるのとか好きですね。あとは犬猫の動画見たりとか」

「食文化の調査は人間観察の中で一番好きです。地球は人間以外の動物の生態も興味深いですよね」


 とても良いのでは。


 さすが幼い頃からの相棒の人工知能、私の好みを熟知している。


 好みど真ん中である。


 八個の目に触手状の手、異様に長い舌と胸まで繋がった大きな口。そんなグロテスクな外見をしていることを除けば。


 そういえばこの人、プロフィール画像がなくて初期設定の男性アイコンのままだった。


「ヘイ、ニャリ、外見の条件って多少は指定した?」

『してませんにゃ。すみませんにゃ。ヒカリは外見で人を判断しないと常日頃おっしゃってますにゃし、日頃実際にそうなさっていますにゃから、良いかと思ったのですがにゃ』

「さすがに配偶者には少し求めたいかな。あれじゃあ周りの視線も気になるし」


 第二の使徒。惑星B出身。数学者(宇宙でも人気の学問らしい)の宇宙人。


「こんにちは。はじめまして」


 外見はきっちりと地球人ホモサピエンスに擬態している。


「3以上の自然数nについて、x^n+y^n=z^nとなる自然数の組は?」


 しかし会話内容はなかなかの宇宙人らしさ。


「えーと?」

「次数が2以上の整数係数既約多項式にすべての正の整数を代入したとき、1より大きな最大公約数をもつ整数の無限集合ができなければ、無限個の素数ができるか」

「ほぇ」

「馬鹿と話すのは時間の無駄だ」


 とても宇宙的。


「ヘイ、ニャリ、彼の言っていることが全く分からなかったんだけど、ひょっとして彼の自動翻訳機は壊れていた?」

『彼の自動翻訳機は正常に機能していましたにゃ。全て誤訳なく日本語に翻訳されていましたにゃ』

「マジかよ」


 会話相手との知能指数が乖離していると会話が成立しないとかいう本当かどうか怪しい俗説のことを頭のどこかで思い出した。


「知能指数がもう少し近い人、にして」

『ヒカリ、あなたはとても賢い人ですにゃよ。分野にはよりますがにゃ』

「ああ、じゃあ趣味、趣味の一致する人の条件を追加しようかな。定番よね」


 第三の使徒。惑星C出身。漫画家(銀河系で最近流行してるらしい)の宇宙人。


「こんにちは。はじめまして。"アポロン宇宙旅行記"良いですよね」

「いや本当に最高っすよね、アレ!」


 何を好み何を嫌うかは、人となりを雄弁に表す。好みが同じ人間というのは、生き方も近い人間かもしれない。


「心の奥の手の届かないところに刺さるというか、人類の普遍的な問いというか、幸福の在り方ついて考えさせられる内容で……」

「ヒロインたちが巨乳揃いで最高っす! マシュロンしか勝たん!」

「私は貧乳派だ。昨今の巨乳インフレーションは好かん。ヒメたんも可愛いだろうが」


 全く異なる物を好む者同士よりも、同じ物を好み僅かに思想が異なる者同士の方が頻繁に争うものである。同じ神を崇めていても宗派が違えば全く別物であるように。


***


 ほか十名の使徒との会合は省略とする。


 無限に増えていく相手に求める条件。自分でも知らなかった己の中の譲れないマニアックなこだわり。


「人間とはなんて贅沢で愚かな生き物なんだろうねぇ」

『今後の人生に大きく関わる大切な選択ですにゃから、しっかりと考えるのは良いことですにゃよ』


 ノリで自宅内で逆立ちをしながら相棒に話しかける。多分こういうところが地球人的にはダメで、普通のやり方で配偶者が見つからなかった原因のひとつなんだと思う。


「無限大の中のたった一人の運命の人か。それってさ、lim (n→∞)1/n=0なんじゃないの? もう宇宙婚活やめようかな」

『結婚に至らずとも様々な人と出会うこと自体があなたに良い影響を与えているのは自明ですにゃ』


 第二の使徒ふざけんなよアイツ。最初の問いはフェルマーの定理で答えは「なし(※ただしなしであることが証明されていない)」だし、二つ目は未解決問題のブニャコフスキー予想じゃねえか。


「人類の可能性は無限大、か……。選択肢が多すぎるのもまた考えものだねぇ」


 選択のパラドックス。選択肢が多ければ多いほど、不幸を感じやすくなり、満足度が下がるという心理効果、認知バイアスのこと。


 選択肢が増えれば増えるほど、最適な選択をしようと細かい比較をする必要があり、精神的負担が増加し、結果として満足度が低下してしまうという。


 複数の絵を用意して直感で選ばせるグループと熟考させ選ばせるグループとを分けた時、直感で選ばせたグループの方が時間が経ってからの満足度が高いとか。


『結婚をしないという人生の選択肢もまた良いものですにゃよ』


 様々な技術の目まぐるしい発展によって、人々の人生の選択肢は無限大に増えた。


 やろうと思えば、時間とお金と運さえあれば、本当に何だってできる恵まれた時代になった。


 しかし、そんな社会の中で、自身を迷いなく"幸福だ"と言える人間はどれほど居るんだろうか。


 ホモサピエンス日本人種は、結婚しないこと・子孫を残さないことを倫理的に許容するようになった。結婚をしないという選択肢は個人の幸福の追求のために決して否定されてはならない。


 種の繁栄・国家の繁栄を到達点として考える思想は、個を蔑ろにする暴力的な懸念から昨今では否定的に捉えられるようになっている。


 私たちはそれぞれ個人の幸福を到達点として人生を歩まねばならない。


 それは、私のようなこだわりが強くてどうしようもない我儘な人間には非常に難しいことなわけで。


 ああ、私、今、現実的なことを考えるのが面倒くさくなって思考が宇宙に逃げてる。


「そうね。私って、結婚てなると、良いなって思える人居ないっぽい」

『たった数個のサンプルから全てを想定するのはヒカリの良くない癖ですにゃよ』

「でももー無理。試行って疲れる」


 この無限大の宇宙の中でたった一人の私の人生、そんなもの、無限大を分母にすればゼロに近似されるわけで、どうだって良いんじゃないかな。


 いや──


『本当に"宇宙婚活マッチングムゲン"をアンインストールしますかにゃ?』

「あ、待って、いや、んー、どうしよっかな」


 苦い思いごと、アプリごと消そうと思ったのに、確認のポップアップに指が止まる。


『迷うのですかにゃ? 思い出してくださいにゃ、そもそもヒカリはどうして結婚がしたいんですかにゃ? アンインストールする前に私に話してみてくださいにゃ』

「……じいちゃんがね、私の花嫁姿を見たいって言うの」


 婚活をしようと思ったきっかけを振り返り、落ちきった気持ちがほんの少し鼓舞される。


「幸せになってほしいって」


 先日、膵臓癌と診断された祖父。余命あと半年もないと言う。そんな祖父が、死ぬ前に私の花嫁姿を見たいと言うのだ。


「結婚が女の子の幸せって、やっぱり古い考えと思う?」

『いいえ。そんなことはありませんにゃ』


 多分そう答えるようにプログラムされているであろう、人類の叡智の詰まった無機質な音声はいつも温かい。


『運命の人が一人とは限らないですにゃよ。複数の候補が居て、全てが希望に合う相手ではなくとも、選んで寄り添って人生を歩むうちに信頼できるパートナーになることもあるでしょうにゃ。それを"運命の人"と呼ぶのでしょうにゃ』


 愚かな人間はプログラムの中に勝手に愛を見出す。


「まあ人生トライアンドエラーだよね。戸籍にちょっとくらいバツ付いても良いや。次会った人と結婚してみる」

『あなたはゼロか百かしかないのですかにゃ?』


***


 そうして様々な条件を再考し追加し出会った第十四の使徒。


 なんと実家の近くに住んでいた地球人。小学校の同級生。


「ええ、ああ、結局地球人の相手は地球人が良いってことかぁ、勉強になったわ」

「相変わらず何言ってんだか分かんねえヤツだな、ヒカリは」

「大地くんは変わったねえ」


 粗暴なガキ大将であった彼も今やすっかりと別人。パリッとしたスーツからしっかりサラリーマンやってます感が溢れている。


「結局私もただの不器用な地球人ってことだねぇ」

「あ、そういえばお前、宇宙人てあだ名だったなー」


 懐かしく大切なものはすぐ近くにあるエンド、良いじゃない。やっぱり結婚相手は同じ文化圏の人に限るね。


 と思ったが──


「アイスとホット、どちらがよろしいでしょうか?」

「おい、コーヒーつったら普通アイスで出すだろ、こんな暑い日に熱いもん飲めってのか!?」


 うーん。


「なんで砂糖とミルク付いてねえんだよ、もう返金しろ返金!」

「大変申し訳ございません」

「さっきブラックって頼んでたよ」


 あー。


「カードでつってんだろ!! いい加減にしろ!!」

「大変申し訳……」

「そのカード、ニャオンポイントでもクレジットでも支払えるし、ポイントカードとしても使えるんだよ」


 わー。


「ったく、やっぱ飲食なんてやってる奴使えねえ無能ばっかだな」


 無理。


「それは違うと思うよ」


 さらば運命と思いたくない人。本当に同じ文化圏の人間か?


 こっぴどく口論をしてお腹が減ったのでコンビニ飯。箸におしぼりに温めのサービス。現金を持ち歩かずに済むキャッシュレス会計。ありがとう、本当にコンビニエンスだ。全ての接客業の人を尊敬する。私にはとても出来ない。


「あ」


 そうして公園のベンチで一人ぼんやりとしながらご飯を食べる少々不審人物をしていると、先程の喫茶店でクズに絡まれていた哀れな店員様(プライベートの姿)とエンカウント。


 こうして出会ったからには伝えねばならないことがある。


「「先程は本当に申し訳……」」


 重なった台詞。多分、人間はこういうちょっとしたことを後から運命だったと意味付ける。


「いやいや本当にあのツレというかツレとも思いたくないアレが悪いので、カスタマーハラスメントですから」

「いえいえ接客に不慣れでご迷惑をおかけしたのは事実です。初めての超短時間バイトのタイニーでして」

「え!? すご!! 初めてでアレ!?」


 思わず本音が溢れると、その人は笑った気がした。


「というか、あの、星野光さん、ですよね。僕、宇宙婚活マッチングムゲンで会った……」

「え?」


 なんとなくデジャブを感じていると、なんと使徒だった。しかし全く記憶にない。こういうところがダメなんだろう私は。


「あれも初めてで、その、すみません、本来の姿で会うものかと勝手に思って、擬態が解けた状態でお会いしてしまって」

「あ」


 なんと、一人目。


 直感で最初に選んだ選択肢、である。


「驚かせてしまったことを謝罪したかったのですが、ひょっとしてそれ以外の点で嫌われてしまったのであれば、もう一度会おうというのも悪いかなというか」


「結婚しましょう」


 その日、私はいつもの宇宙人ムーブでもって、光の速さで結婚を決めた。


 その直感を運命と呼んで。


***


 惑星地球。日本国。某所。本日も平和。


 夫、妙に地球人じみている異星人、星野海(仮)、二十九歳男性(仮)。


 妻、変わり者であるが故に「宇宙人」と呼ばれている地球人、星野光、二十七歳女性。


 本日も夫婦仲は良好。


「だからねぇ、じいちゃんが私たちのキューピットってわけよ」

「ガッハッハ、そりゃあ良かったのぅ。しかしまさか、治験の薬がよぉく効きよってまだまだ生きられるとはのぅ」

『目まぐるしい科学技術の発展に感激ですにゃ』


 寛解し無事に退院した祖父を新居に招き、ちょっとしたパーティ。ノンアルコールの発泡酒もどきを開けまくり。


「こうなると孫の顔も見たいもんじゃが……」

「敏腕ベビーデザイナーデザインの試験官ベビーをお楽しみにしてね」

『宇宙の技術は信じられないほど素晴らしいですにゃ。まるで漫画のようですにゃ』

「今後も地球に滞在しますので、地球人でデザインさせていただきます。母親似で」

「目まぐるしい科学技術の発展に感謝じゃのぅ」


 夫の仕事は変わらずベビーデザイナーだ。デザイナーズベビーの遺伝子コードを作るお仕事。科学の力ってすげー。


 高度な技術の発展は確実に人類──いや私に幸福をもたらしている。


 祖父が帰ってもちょっとしたお祭りは続く。


『科学の力って素晴らしいですにゃ」

「技術の発展がなけりゃ海さんとは出会えなかったもんねぇ」

「ははは、そうだね。光さんって僕のどこが良いと思って結婚してくれたの?」


 アルコールの有害性が実証され強く叫ばれるようになった現代において、ノンアルコール飲料で場酔い出来ることは社会人の必須スキルである。


「直感」

「直感か……」

『立派な理由ですにゃ』


 少しだけ呆れた様子の夫に、わざとらしくちっちっちと指を振る。


「おっと海さんやい、直感の力をなめちゃいけないですぜ」

『ですにゃ』

「なんだなんだ」


 さて、明日使えない地球の豆知識を教えてあげよう。


『──、というわけで、なんだかんだ直感で選んだ方が後悔がなくて幸福な結果に繋がるというデータがあるですにゃ』

「そうなんだ。それで、君は後悔していない?」

「してるわけない!」


 惑星地球、本日も大変平和。


「あ、でも靴下裏返しでその辺に放るのは不満!」

「あ、ごめん」

『何事も擦り合わせが必要ですにゃ』


 もちろんちょっとした不満はあるが、運命の人と大変幸せに暮らしている。


 宇宙の無限大の中から直感で選んだたった一人との、ゼロに近い奇跡のような出会いに、今日も感謝している。

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