#3〖未練〗

「なあ。ヒスイって汐香きよかじゃないのか……?」

 あまりに都合が良すぎる妄想だ。ヒスイは僕の問いを聞いて、やっぱり首を傾げた。

「だよなあ……」

 ヒスイを拾ってから一ヶ月が過ぎた。未だ交番から連絡はない。ヒスイが来てから僕の生活習慣は随分変わった。家事をサボると冷たい視線を向けてくるし、朝は決まった時間に無理やり起こされる。

「……してること、汐香と全く同じなんだけどな」

 ヒスイのことを何か知らないか、汐香の母親に訊いてみることにした。今までの経緯を簡単にまとめてメールで送信する。すると、十秒もしないうちに電話がかかってきた。

「もしもし」

『おはよう織都りつくん!メール見たよ。今から織都くんの家に行ってもいいかな』

「はい大丈夫です。住所送っておきますね」

『ありがとう。じゃあまた後でね』

「はい、失礼します」

 

 汐香の家からこの家までは、車で大体二時間。リビングに掃除機をかけてから、近くのケーキ屋に出かけた。

「桜庭さんって何が好きなんだろう……」

 今から訊くのも面倒だったので、汐香がいつも選んでいたショートケーキを買うことにした。

「すみません、ショートケーキ二つ下さい」

 ケーキを買うのなんていつぶりだろうと、ふと思った。悲しいより懐かしいが先行して、それが何だかとても嫌だった。


 家に帰って、ケーキを皿に移し替えていた時にチャイムが鳴った。ドアを開くと、一見三十代に見える女性が立っていた。正直二十代と言われても違和感はない。がしかし実際の歳は四十代後半だ。正に美魔女。

「桜庭さん早かったですね」

「高速で来たからね!早くネコちゃんに会いたくて!」

 僕の隣にいるヒスイを見つけて、桜庭さんは思い切り顔を綻ばせて満面の笑みを浮かべた。

「可愛いいいいいい!」

 彼女はヒスイを容易く抱き抱えて頬を擦り寄せた。

「慣れてますね」

「ペットショップで働いてたことがあってね!ああもう本当に可愛い......!この子の名前は?」

「ヒスイっていいます」

「ヒスイちゃん……。可愛い名前ね!」

 桜庭さんはヒスイの首元のチャームを優しく触った。

「あ、ネックレス外すのはやめた方がいいです。この前外そうとしたら引っ掻かれたので」

「分かったわ。ネックレス大事にしてくれてるのね、ありがとねぇ」

 答えるようにヒスイは「にゃあ」と鳴いた。

「それにしても……」

 彼女は部屋全体を見回して。

「案外綺麗にしてるようで良かったわ。織都くんのことだから、ゴミ屋敷になってると思ってたわ」

「僕の印象どうなってるんですか……」

「汐香がよく言ってたからね、織都くんは私が言わないと掃除もしないって」

「汐香さんには本当にたくさん迷惑をかけました……」

「迷惑だなんてそんな、あの子世話好きだから頼ってくれて嬉しかったと思うわよ」

「だったらいいんですけど……」

 桜庭さんは「きっとそうよ」と優しく微笑んだ。

「それでね。ヒスイちゃんのことなんだけど、織都くん、汐香への未練ってある?」

「未練……?いきなり何ですか」

「いいから」

 ……それはもちろん。

「最後に喧嘩して謝れなかったことです」

「じゃあ、その思いをヒスイちゃんにぶつけてみなさい」

「え……どういうことですか……」

「何となくね、ヒスイちゃんのネックレスに汐香がいる気がするの」

「え……?」

 ますます意味が分からない。ネックレスに汐香がいる?どういうことなんだろう。

「大切にされたものには魂が宿るってよく言うでしょ?このネックレスは、私が知る限りでは汐香が一番大切にしていたものなの。……だからね、きっと、このネックレスに残ってた汐香の織都くんを想う気持ちが、ヒスイちゃんを織都くんのところに連れてきたんじゃないかなぁって。だからね、今ヒスイちゃんに伝えた言葉は汐香に届くと思うのよ」

「え……」

 正直何を言っているんだと思った。あまりに現実味に欠ける話だが、全く信じられないいわけでもない。むしろそうであって欲しい。もしそうなら僕は、ずっと消化できないこの気持ちを吐き出せるのだろうか。

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