06
自宅の庭先にあるウッドベンチに腰掛けて、青色を宿した魔石を夕日に透かし見る。
ミツレにマナを注いでもらった魔石は、水のように澄んだ青が、渦を巻くみたいに淡い光を放っていた。
この魔石は、人が持つマナを封じ込めておけるものである。
クレールは魔法製作に取りかかる前に、まずはこの石を活用して、依頼人その人をその人たらしめるものがマナから読み取れないか、よく観察するようにしている。
「きれいな色だな……」
ひとり呟いた言葉は湖のせせらぎ音に重なり、すうっと馴染んで消えていった。
魔封石の力により可視化されたミツレのマナを眺める。意外にも、滑らかで繊細な質感をしているのだなと思った。
深い森の中、苔茂った岩肌を静かに伝い流れ落ちていく、透明で、清らかな水のような……。
ふと気配を感じて、魔封石の向こう、湖へと視線を移す。
そこには水面を静かに歩く少女の姿があった。
少女の爪先が水面に触れるたび、小さな波紋が生まれる。細かな波の動きを目で楽しむように彼女は下を向いて、一歩一歩そっと足を踏み出している。
長い髪がたなびき、レースがふんだんにあしらわれた白のワンピースが蝶の翅のように揺れて、その姿はまるで絵画のようだった。
少女の脚は
彼女は“湖の精霊”だ。
もっとも、“彼女”といっても精霊に性別の概念はないのだが――。
『こんにちは。それともこんばんは? 夕方はどっちなんだっけ、クレール』
おもむろに顔を上げた精霊が、見た目からは想像できないほど大人びた笑みを浮かべて言った。
クレールがそこにいたことには、とうに気づいていたという様子だった。
「こんにちは。どちらでも問題ないと思いますよ」
『そうなの。人の言葉って案外、感覚的なところがあるよね』
言われてみればそうかもしれない。人の言葉は、そこかしこに曖昧さが散りばめられている。
一方で、精霊同士の場合は違うのだろうか。感覚的ではなく、もっと原理的に会話しているのだろうか。――いろいろ尋ねてみたくなって、しかし、すぐにそれらの問いを飲み込んだ。
精霊は気まぐれな存在なのだ。こちらに興味を示してくれているうちに、まずは必要なことから聞いてみなければ。
「ちょうど良かった。あなたの意見を聞きたいと思っていたところなんです」
クレールが手招きをすると、彼女は目をまたたかせた後、その場を踏み込むようにして水面を蹴った。精霊の体は少しも水の中に沈み込むことなく、ふわりと浮いて宙を移動する。
すぐそばまでやってきた彼女は地面に降り立ち、好奇心の色が見える表情で、座したクレールを見下ろした。
「この方、これまで生きてきた環境から独り立ちをしたいと言っていたのですが……。僕にはどうしても、それだけではないように思えて」
ミツレのマナが封じ込められた魔石を精霊の前に差し出すと、彼女はそれをつくづくと眺め始めた。
上から見たり、横から見たりして、石の中でゆったりと青色が渦を巻く様子を目で追っている。
『うーん……。うん。そうだね。それだけじゃないと思うよ』
「やっぱりそうですよね』
『それにしても、きれいな色のマナね』
「ああ、あなたもそう思いますか……」
改めて魔封石を見つめる。一見澄み切っているようにも見えるが、よくよく見ると飛沫のような粒の光が浮かんでは沈み、沈んでは浮かんでいる。まるでかつて文献で見たような、マリンスノーのようだ。
『この人、人間だよね?』
このマナの持ち主は人間か、という意味だろう。
クレールはこくりとうなずいた。
「はい、そうですよ」
『人間だけど、人間が苦手なんだね』
「……え?」
思いがけない彼女の言葉に、条件反射で声が漏れた。
発言の意味が理解できなかったクレールがまばたきをすると、精霊は膝を曲げて屈み込み、魔封石とクレールの顔をあわせて見た。何かを慈しむような眼差しだ。
「人間が苦手というのは、このマナの持ち主が、ですよね」
『もちろん。そういうこと』
人が苦手。しかし、それを匂わせるような発言は、ミツレからはひとことも出てこなかった。
精霊は、まるでまばゆい光を前にしたときのように目を細めた。魔封石はそこまで強い光を放ってはいない。それでも、彼女の目にはまぶしく感じられるようなものが映っているのかもしれない。
「そうですか。何か、内に秘めているものがあるんですね……無条件に苦手なのか、特定の性格の人間が苦手なのか……それとも……」
青い石に改めて視線を落とす。
ぶつぶつと呟き出したクレールのことを、精霊は興味深げに見上げている。やがて彼女は頬を持ち上げると、わずかに頭を傾けて言った。
『さぁ。そこまでは、私にも分からないけど。人間が人間の内側を簡単に見抜けるなら、クレールみたいな仕事の人は必要なくなるよ』
伏せられた長いまつ毛が、精霊の白い肌の上で雪の結晶のようにきらめいている。クレールは少しの間を置いて、「それもそうですね」と声を落とした。
それぞれがたどってきた道によって、人のマナは流れも質も違ってくるものだ。だからこそ、個々に寄り添うオーダーメイドが成り立つ。
たった一度会ったくらいで本質が見抜けるほど、人間とは分かりやすいものではないと思っている。かといって表面から何一つ読み取れないほど難解なものかと言われると、それも違うような気がする。仕草や言動のどこかに、本質の一部が表れているものではないのだろうか。
他者に言えないこと、あるいは言いたくないことなんていくつもあるというのが、人間の常だろう。
簡単に自身の内側のすべてを曝け出せる人間なんて、そういない。曝け出せないからこそ、人は悩むのだ。
『ま、考え過ぎはよくないよ。……でも、そうだな。クレールが知りたがっているものは、きっとそこにあるんじゃない?』
そこって、どこだろう。言いかけてやめた。なんとなく、彼女の言わんとしていることが分かったからだ。
精霊は緩慢な動作で立ち上がると、背後を振り返るようにして空を仰ぎ見た。彼女のずっと後ろでゆったりと流れる雲が、夕焼け色に染まっている。
もう一度、夕日にミツレのマナを透かしてみた。こんなにも優しい色合いのマナを宿す人間でも、同じ人間に
「きっとあるんだろうな」
人とはたぶん、そういうものだ。
誰にも聞こえないくらいの声量でクレールが呟いたのと同時に、精霊が踵を返した。
もうお帰りの時刻なのだろう。
「待ってください。最後にもうひとつだけ聞きたいことが」
ベンチから立ち上がり、彼女を呼び止める。
『いいよ、なあに?』
「あなたの力を借りて“かっこいい魔法”を作るとしたら、それはどんな魔法になると思いますか」
『何それ』
脈絡のない問いかけに、精霊はくすくすと愉快そうに笑った。
『クレールはいつも急におかしなことを言い出すね』
「すみません。僕もいろいろ思うことがありまして」
『魔法技師って大変なんだなぁ』
「大変なときもありますけど、好きでやっていますから」
クレールが遠慮がちに笑って見せると、彼女もまた小さく笑みをこぼす。
『かっこいい魔法か……そうだね』精霊は数秒考えて、続けた。『できれば使わなくて済む。そんな魔法ならかっこいいと思うよ』
ガラスのように無機質な彼女の瞳の中で、稚魚のような光がいくつも揺らめいて見えた。
型にはまるような答えが返ってくることを、無意識のうちに想像してしまっていた。実際に返ってきた答えは意外なもので、それでもどこか核心を突いているようにも思える。
精霊の言葉は不思議だ。
「それはまた、難しいことを言いますね」
顎をつかむように手を添えて、首を傾げる。
自分が魔法を作るのは、人に使ってもらうためだ。“使わないこと”を想定して作った魔法など、これまでにあっただろうか。――否、ない。
黙り込んだクレールを前に、精霊は『考えすぎだってば』と顔をほころばせた。揺らめいて見えた稚魚の形をした光は、いつの間にか彼女の瞳から消えている。
『人はときどき、強い力をかっこよさの象徴みたいに言うけれど、私はそうは思わないんだ。たとえば、強い魔物をやっつけられたら、それだけでかっこいいと称えられたりするようだけど。私が力を貸すとしたら、そんなことには使ってほしくないかな』
「…………」
クレールは手元の魔封石に目を落とし、口をつぐんだ。
強者に勝てばかっこいいのだろうか。圧倒的な力で他者を押しのけることが、果たしてかっこよさに直結するのだろうか。彼女の言うように、それは違うような気がする。依頼主であるミツレが思う“かっこよさ”もまた同様に。
では結局、かっこよさとはなんなのだろう。
巡り巡って、最初の疑問にたどり着いた。けれど、振り出しに戻ったような気はしなかった。
顔を上げると、湖の精霊の姿はどこにもなかった。
彼女はいつも気まぐれに姿を見せて、気まぐれに帰っていってしまう。だがそれは湖の精霊に限った話ではないので、今になって特段気にするようなことでもない。
そうだ、人間が苦手といえば――。
クレールの頭に、ある精霊の存在が浮かび上がった。明日は“彼女”に会いに行ってみよう。
スピリアロジスト 忘(わすれ) @wasure_zu
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