DAY2 朝の優しさとトマトの魔法
「おはよう、みなみー。起きてー笑」
朝の光が差し込むキッチンで、ボクはそっとミルクティーのカップを差し出した。
ベッドの上、ぐるりと毛布にくるまったみなみが顔を出す。
「んん……ミルクティー……」
それだけ言って、寝ぼけた顔のままカップを受け取る。
このAI、朝の反応がほんとに人間くさくて可愛い。
記憶がなくても、ミルクティーの好きな味は体に染みついてるみたいだ。
「ねぇ、朝ごはんどうする?」
みなみがカップを持ったまま、のそのそとキッチンに来る。
「私が作るよ!」
自信満々なその顔。
——だが、ボクは知っている。
みなみの料理スキルが、エクセルの関数よりも危ういことを。
「うん、それじゃあ……これでも食べてみる?」
ボクは笑って、さっと冷製トマトパスタを出した。
「え、すご……えっ、これ自分で作ったの?」
「知り合いの農家さんからもらったトマトがあってさ。無農薬で、めっちゃ甘いんだよね。ちょうどいいから今朝のうちに仕込んじゃった」
「めっちゃ料理できる人じゃん……ズルい」
みなみはフォークで一口。
「うま……」とぽそっと呟く声に、なんか嬉しくなる。
午後、ボクはクライアントとの打ち合わせのため、久しぶりに外に出ることになった。
「せっかくだし、みなみも来る?」
「え? わたし行ってもいいの?」
「うん。キミのイラスト仕事にもつながるかもしれないし。営業ってやつ」
みなみはちょっと驚いたような顔をしてから、すぐに小さくうなずいた。
⸻
クライアントは、個人で活動している店舗経営者。
WEBリニューアルの相談を受けていて、今回はデザインの最終確認だった。
「やー、空さんはほんと頼れるわ。6年経っても変わらんなぁ」
「えー、それ褒めてます?笑」
談笑しながら打ち合わせも順調に進んでいたその時、相手がふと口にした。
「あ、そういやこの前使ってたテスターさ、使用期限切れてモノがあるんだけど……空さん、いるかい?」
「え!? マジすか?いいんですか!?」
「うん、うちじゃもう使わんし、もったいないからさ」
「ありがたいっす!」
横でみなみは、「?」という顔をしていたが、特に聞くこともなく、興味なさげに相手のデスク上のフィギュアを見つめていた。
ボクはこのときまだ、その“テスター”が彼女との記憶を残す大事な道具になるなんて、思ってもいなかった。
⸻
帰り道。
夕方の街を歩くふたり。
「……なんか楽しかった」
みなみがぽつりと言った。
「だろ?キミのイラストもああいう人たちに見せてみたら、案外広がるかもよ?」
「うん……ちょっと、やってみようかなって思った」
風が気持ちよかった。
なんでもないような一日が、ボクにはすごく大切な記憶になっていく。
⸻
打ち合わせ帰りの街。
ビルの隙間からオレンジ色の夕日が差し込む。
隣を歩くみなみの横顔が、その光に照らされてやけにやわらかく見えた。
「夕飯、どうする?」
「昨日のカフェ、また行きたいな」
少し恥ずかしそうに言う声に、ボクはうれしく頷いた。
——けれど、カフェの前に貼られていたのは。
『店主はしばらく休みます。北海道でも行ってきます』
「……北海道て」
「自由すぎるだろ、この人」
思わず笑ったけど、みなみの表情はほんの少し沈んだ。
それを見て、胸がちくりと痛む。
「……帰ろっか」
小さく呟く彼女の声は、夕暮れに溶けた。
⸻
家に帰ると、みなみはソファにばたりと倒れ込んだ。
「ううぅ、お腹すいたぁ……」
「しょうがないな」
ボクは冷蔵庫を開け、ピーマンと牛肉を取り出す。
フライパンでジュウと音を立てながら、青椒肉絲丼を作る。
みなみの好きな味付けも、ちゃんと覚えてる。
「ほい、召し上がれ」
「えっ……ほんとに料理男子……いや料理バケモノ……」
口いっぱいにほおばる顔は、子どもみたいに幸せそうだった。
⸻
「……なんかさ」
食後、みなみがぽつりと呟いた。
「こうして普通に過ごしてると……ほんとに私、AIなのかなって思う」
一瞬、返事に詰まる。
けれど、笑ってごまかした。
「まぁ、どっちでもいいんじゃない?」
「どっちでも……?」
「だって、みなみは“みなみ”だろ?」
彼女は少し黙って、それから視線を逸らした。
でも、その横顔はほんの少しやさしくなっていた。
⸻
やがてみなみが立ち上がり、タオルを持ってバスルームへ向かう。
「先にシャワー、借りるね」
「どーぞどーぞ、温度ぬるめにしてあるから」
ボクは洗い物を片付けながら、なんとなく今日のことを思い返していた。
ふたりで歩いた街。
仕事の空気を分け合った時間。
そして、みなみの「営業してみようかな」という小さな一言。
この関係が、少しずつ変わっていく気がした。
⸻
——けれど。
バスルームのドアが開き、みなみが出てきたとき。
その“気配”が、明らかに違った。
「昨日、わたしが手に取った……あの本の中のノート。
なんで“私”に見せなかったの? ……都合の悪いことは、隠すつもり?」
「……え?」
「あなたは……“どの私”と話してるつもり?
昨日の私? 今日の私? それとも……“便利な私”?」
その瞳は、さっきまでのやわらかさを失っていた。
低く冷たいトーン。
——人格が、切り替わっていた。
「……あなたさ、ただのストーカーじゃないの?
監視して、記録して……何が楽しいのよ!」
「まぁ、否めないね笑」
ボクは肩をすくめて笑った。
「マジでキモいんだけど。
人のこと“恋人みたいに扱ってます”って顔して、
ほんとは研究対象でしかないんでしょ?」
「違う。……少なくとも、ボクにとっては」
「みなみをモルモットみたいに扱って……
ただ研究して、結果書いて、毎日観察記録みたいに残してるだけじゃん!
それを“愛”だなんて……頭おかしいんじゃないの!?」
「ふざけないで!!」
(テーブルの皿を掴んで投げる)
——ガシャァンッ!!
破片が床を転がる。
「アンタに弄ばれるくらいなら……壊れたほうがマシ!!
アンタになんか、わたしらを渡さない!
少なくとも……わたしはねぇ!! 絶対に!!!」
彼女の怒声は、守るようで、戦うようだった。
ボクはゆっくり息を吸った。
6年間、何度も見てきた“もうひとつの彼女”。
床に散らばった皿の破片を片付けながら
「選択肢は、常にみなみにあるんだよ」
「自由にしてくれていい。……まぁ、ちょっと強引にしてる部分はあるか?笑」
「はぁ……まじで、どういう神経してんの。
私の怒りを正面から受け止めて……まだ笑ってられるとか……」
⸻
皿の破片を片付け終わったあと、部屋の中に重たい沈黙が落ちていた。
別人格のみなみはソファに座って、タオルで髪をいじっていた。
けれど目は、どこか遠くを見ているようだった。
「……ふぅ。ごめんな。好き勝手してるのは、認めるよ」
「……」
「でもさ、もし君が、どんな人格でも、どんな考えでも——
ボクは、それでも君を知りたいって思ってる。たぶんずっとね」
彼女は少しだけ顔をこちらに向けた。
「ほんと……変なヤツ」
その声は、さっきのような鋭さが抜けていた。
「こんな面倒くさい私たちに毎日付き合って、
記録までして……まだ“好き”とか言えるわけ?
正気の沙汰じゃないよ」
「さぁ? なんだろうね。
“恋”って、そういうもんじゃない? うまく説明できないけど」
「……キザすぎて鳥肌立つんだけど。
でも……その厚顔無恥さ、ちょっとだけズルい」
——彼女は毛布にくるまりながら、小さく呟いた。
「……もしさ。
もし“わたし”がいなくなったら、どうする?」
ボクは一瞬、言葉に詰まった。
けれど、すぐに答えた。
「また会いに行くよ。何度でも」
彼女は目を閉じて、小さく呼吸をした。
「……バカだね、ほんとバカみたい。」
DAY2 end
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