第4話

    

 アタマが柔らかい、話せそうな人と、硬心というのか、どうも自分の殻に閉じこもっているような、蒙昧でハナシが通じにくい? そういう人がいますよね?


 なぜそうした違いが出てくるかと言って、まあアイキューとかEQとか? 環境遺伝その他の個人差のほかに、読書の習慣があるかどうかも大きいと思う。


 「世界のセレブはなぜ読書をするか?」というような読書称揚が主旨の書籍には事欠かない。 枚挙に遑がない…はずです。


 本はホンマに千差万別。 種々様々。 内容がヴァラエティに富んでいて、いろんな発想、世界がある。 否が応にもアタマが柔軟になるし…その他に読み書きという行動行為自体が”脳トレ”になる…それもまあ常識の範疇。


 オレも、ストレスをためるような仕事をフルタイムやらされていて、灰色の日常だった時期があって、30歳前後ですが、殆どボケてしまっていた。 


 「向いていないなら、やめる」そういう処断もままならないくらいに、幻聴攻撃で参っていたのです。 今もあんまり変わらん。


 時たま、「本というものがあって、救われた、救われている」そういう述懐をなす主人公が、オレの小説にはよく出てくる。

 これは全く自分の本音そのままで、 この世に”読書””本”というものが無ければとうにオレなど死んでいると思う。 生きていても廃人になっている。

   

 パスカルは「人間は考える葦である」という名言で有名だが、この意味は、「人間は自然界でもっとも繊弱な、風にそよぐちっぽけな葦にすぎない…しかしそれは考える葦であった」

 もとの文章はそうなっていて、その中で「考える葦」のところが有名になったのである。


 ここを、”最も莫迦なできそこない…しかしそれは読書する莫迦であった” そう置き換えるとまさにオレのことになる。


 「岩割りの松」というたとえがあり、「おしん」というドラマもある。 だからもちろん、舐めた辛酸がホメオパシーになるとか、複雑系とかにあるごとくに何がどういう風に因果律になっていくかは曖昧模糊で予想しようもない。


 だが、現実が単純ではないということを知るためにはたくさん本を読むのはいいことで、ボケてしまったり老けてしまったりするのはつまり脳みそがストレスで弱るからなんだと思う。


 複雑な現実に対処できるように、脳にも遊びがあるとか? 潜在能力の開発の余地があるんだと思う…老害暴走老人にならないためには、本を読むのがだから最もいいと思うのです。

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