第2話
なんとはなしにコリンウィルソンのことをメモっているだけですが?
だいたいが、非常に気になる著述家ではある。
右脳の開発というテーマの「フランケンシュタインの城」という著書があったり、バーナードショウを高く評価していたりするのにも親近感が持てる。
彼のショウへの傾倒の仕方が、オレの筒井康隆さんへの私淑に似ている気もする…だいたいがコリンウィルソンというわりとマニアックな名前を知ったのもツツイ経由。
前稿でも言及したが、Cウィルソンの個人的に注目すべき特長は、思想や指向?嗜好、志向がスピリチュアルで、大英図書館に通い詰めて培ったという博覧強記ぶりはアシモフやエーコを凌ぎ、おそらくダントツに空前絶後? そういう貴重な人物で、尚且つ不気味なほど?「明朗」な点。
小松左京を彷彿させる、と書いたが、小松さんは晩年「虚無回廊」という遺作を書くような、不遇な落ち込み方をしておられた…
「虚無回廊」でも読んでみないとわからんですが、現代社会のどこか狂った文明の方向性の錯誤? あまりにも刹那的な盲目的な暴走? そういうようなところに絶望していたんだろうか。
ミシマも、憂国のあまりに割腹自殺した。
ダザイはもとより、大江健三郎やら、サルトルも、真面目で理想化肌で、素朴に人類の明るい未来を、そういうビジョンを提示しようとしていたからと言っても、無理解なヘンな嫉妬で落魄してしまう人も多い。
「愛と美について」は太宰の書簡集ですが、宮沢賢治でも、どこまでも真面目で、真摯で、敬虔…文学者として認められるほどの人物が、根っこのところで単純素朴なエゴイストであるはずがないのだ。
寧ろ彼らはすべからく単純素朴な「革命家」であろう。
「家庭の幸福」が、なぜ諸悪の元、なのか。
もちろん家庭が不幸であれと言っているのではない。
読書と知的研鑽、その繰り返しが、そして思索の習慣、持続的な執筆の習慣ゆえに、人格が陶冶されて行って、それはその先にあるのがハッピーエンドとは限らないのだが…Cウィルソンやら手塚治虫的な楽天性、明るさ、…
それが single cell な浅薄、軽佻浮薄とはオレには、いや誰にも言えないと思うのだが。
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