19:The First Fix
授業が終わり、ホログラムの掲示が消えると同時に、教室はざわめきに包まれた。
ライラは机の端末をスワイプしてログアウトすると、小型タブレットを閉じるような仕草で鞄へ収める。だが、どこか落ち着かない様子でファスナーをいじったり、手元を弄ったりしている。
「ライラ、今日はなんだかそわそわしてるね。どうしたの?」
隣からエリナが声をかけてきた。
「なんでもないよ。ちょっと用事があって。」
ライラは軽く笑って答える。
「その割には午後、寝てなかった?」
「それはそれ、これはこれ。ちょっと体力いるかなって。」
からかうような口調に、エリナは小さく笑った。
「変なコトしちゃだめだよ~?」
「しないよ~。 エリナだってさ、そんなこと言って、最近リオとはど──」
言いかけて、彼女の表情が沈むのを見て慌てて言葉を切る。
「……ごめん。」
「ううん、気にしないで。」
その短いやり取りのあと、二人の間に微妙な沈黙が流れた。
ライラは急ぐように端末を鞄へしまい、立ち上がった。
気まずい空気に耐えきれず、ライラは学校を後にした。
昇降ゲートを抜ける足取りは自然と速くなる。
――今日はロウの連絡が合った通り、FIXRの仕事をこなす日だ。
ライラは薄暮に染まる低層に踏み出した。
「ここね。」
ライラは指定された場所に足を運んだ。
狭い路地の奥、廃ビルの前で二十人近い少年少女が屯している。
ネオンを貼り付けたような髪やジャケット、スピーカーから垂れ流される重低音。
酒瓶を振り回し、叫び声と笑い声を混ぜたような騒ぎが夜気を震わせていた。
1時間ほど前――。
ロウの部屋。
壁際のスクリーンに、ざらついた映像が映し出される。路地裏で集まる十数人の若者たち。髪や服に光るパーツを取り付けて、騒音をまき散らし、近くの店から盗んだ品をその場で分け合っている。
「忘れずに来たな。」
ソファに座ったロウが、腕の端末を操作しながら言った。
「当たり前でしょ。……で、早く内容教えて」
ライラは腕を組み、そっけなく返す。
ロウは映像を一時停止した。
「依頼内容はこいつらをとっちめることだ。」
対象は二十人ほどの不良グループだった。夜通しの騒音、万引き、通行人への暴力。低層では珍しくないが、住民からの苦情が積み重なり、FIXRに回ってきた。
ライラは映像を見て吐き捨てる。
「ただの子供じゃないの。」
「お前も子供だろ。」
ロウの切り返しに、ライラは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……そんなの、警備隊がやればいいんじゃない? そもそもこの仕事自体、無駄だと思うんだけど。」
「隊の出動コストを考えろよ。あいつらはもっと大きな案件にしか動かない。こいつら程度じゃ手が回らねぇってわけだ。」
路地で笑いながら空き瓶を叩き割る少年の姿に、ライラは小さく息を吐いた。
視線を戻すと、ちょうど数人の大人が彼らに声をかけていた。
「夜中までうるさいんだよ!」
「いい加減にしろ!」
次の瞬間、押し問答は暴力に変わった。
殴られ、蹴られ、呻き声を上げて追い払われる住民たち。
それを見て不良たちは腹を抱えて笑い合い、さらに騒ぎを大きくしていく。
笑い合う不良グループを見て、ライラは左腕に持っていた端末をかざした。
赤外線のような淡い光が路地を横切り、映像が即座に端末に記録される。
暗めのスクリーンに映し出された映像を確認する。数秒後、短い文字が浮かび上がった。
『そうだ。こいつらがターゲットだ。』
「了解」
ライラは小さく呟き、音もなく降り立つと、近くにいた一人を軽く突き飛ばした。
尻もちをついた少年に仲間たちの視線が集まり、次の瞬間にはライラへと集中する。
「……は? 誰だお前。」
「いきなりなんだよ!?」
「アンタらこそ何やってんのよ。」
ライラは短く返す。
動揺していたが、不良たちはライラの姿を見てひそひそと耳打ちする。
彼女の服装や整った身なりを見れば、少なくとも低層で暮らす人間でないことは一目で分かる。
そしてすぐさま憎悪を露わにした。
「ちっ……コイツ上にいる奴だぞ!」
「何様のつもりだ? 説教でもしにきたのか?」
「さっさと消えろブス!」
「いや、ちょうどいい。だったら服でも金でも取ってやろうぜ。いいモン持ってんだろ?」
口々に罵声を飛ばしながら、彼らはゲラゲラ笑う。
ライラは淡々と告げた。
「アンタらみたいなのを蹴飛ばしに来たの」
「はぁ? この人数見えねぇのか?」
「ブッ潰して、全部奪い取ってやる!」
数人がメリケンサックをはめ、バットや鉄パイプを構える。
(……こんなのが同い年だなんてね。 信じられない。)
ライラは心の中で吐き捨てた。エリナたちと過ごす学校の時間を思い浮かべれば、今の光景との落差はあまりに酷かった。
数人の不良が勢い任せに突っ込んできた。
殴る気満々の拳を振り上げるが、ライラはわずかに体をひねっただけでかわす。
次の瞬間、踏み込みと同時に放った横蹴りが、まとめて三人を薙ぎ払った。
特異者は意識してリミッターを外し、生体エネルギーを動員することで超人的な身体能力を生み出す。その差は歴然で、不良たちはまるで人形のように吹き飛び、地面を転がった。
ライラは足を戻し、倒れた彼らを見下ろす。
「……ほら、どうしたの?」
「クソが! 舐めんな!」
ライラの目の前に飛び込んできたバットの一撃を躱し、振り下ろした腕を逆に掴み、関節をひねり上げる。そのまま身体を回転させて地面へと叩きつけると、鈍い衝突音が路地に響いた。
その直後、横合いから別の影が飛び込む。突っ込んできた少年の腹に、ライラの膝が正確に突き刺さった。呼吸を奪われた体が折れ曲がり、呻き声とともに崩れ落ちる。
背後からも気配。振り返ることなく、右肘を振り抜き、同時に後方へ蹴りを放つ。乾いた音が二度、連続して響き、二人の身体が前のめりに転がった。
さらにチェーンの金属音が空気を切り裂いた。
振り回す軌道を読んだライラは最小限のステップで懐へ飛び込み、伸びきった鎖を素手で掴む。力を込めて一気に引き寄せると、少年の体がバランスを失い、地面に叩き倒された。
四方から飛び込んでくる気配。
ライラは一歩も退かず、迫る武器の持ち手を次々とはじき返す。バットも刃物も、その一瞬でただの棒切れに変わった。
残った三人のうち二人が同時に突進してくる。ライラはその勢いを利用し、髪をつかんで互いの頭を激しくぶつけ合わせた。鈍い衝撃音が響き、二人はよろめきながら崩れ落ちる。
残ったのはリーダー格らしき男ひとり。
ライラが振り返り視線を向けると、男は一瞬で戦意を失い、狼狽したように言葉を探した。
「ま、待てよ……わ、悪かったって……!」
唇が震えて謝罪を吐き出そうとするが、その裏で背中に隠した手に力がこもる。
鋭い金属音。
彼は鉄パイプを振りかざし、渾身の叫びを上げた。
「くたばれッ!」
次の瞬間、路地に乾いた衝撃音が響いた。
リーダー格の身体は地を離れ、宙を舞っていた。
ライラのアッパーが彼を打ち上げていたのだ。
リーダー格の男は地面に転がり、呻き声を上げることしかできなかった。
ライラは淡々とその場に立ち、端末をかざす。縛り上げられた数人の不良たちと、散乱した武器の映像が録画されていく。
映像はリアルタイムでロウに送信され、依頼者にも共有される仕組みになっていた。ライラが黙って操作を終えると、不良たちの顔に恐怖が浮かぶ。
「次に同じことをしたら……今度はもっと痛い目に遭わせるから。」
低く告げると、リーダー格は青ざめ、逃げ出すように路地裏を後にした。残った者たちも蜘蛛の子を散らすように散開していく。
しんと静まり返った路地に、端末の通知音が響いた。
『よし、映像は届いた。ご苦労さん』ロウの声だ。
ライラは短く息を吐き、端末を閉じる。
「……戻るよ。」
それだけ答えると、背を向けて帰路についた。
目的地はFIXRのオフィス――つまりロウの家だ。
部屋に入った途端、乾いた破裂音が響いた。
頭上から舞い落ちる紙吹雪とリボンに、ライラは目を瞬かせる。
「……なんのつもり?」
「初陣だからな! 祝賀会だ!」
ソファの上で両手を広げるロウは、やけに得意げだった。
ライラは無言で紙吹雪を払い落とす。だが、端末を開いた瞬間、表示された振込額に思わず口元がゆるんでしまいそうだった。
" SOL:50000"
「……こんなにもらえるの?」
「そりゃ、そういう契約だからな。もっと危険な依頼ならその何倍もいくかもな。 ってなわけで、次も頼むぜ。」
すぐに表情を引き締め、そっけなく言い放つ。
「……仕方なく付き合ってるだけだから。勘違いしないでよね。」
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【SOL】
「ソル」と読み、世界共通通貨として用いられている。
由来は、国境を超えて共通である「光の中心」から転じた名前。
紙幣や硬貨はすでに廃止され、すべてが電子取引で完結している。
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