第12話:宇宙と恋の観測記録

「好きです。厄神ヨウさんのこと」


 そう言いながらちゅっちゅとクイナは啄むように俺の唇に薄い桃色の唇を押し当てて、柔らかい身体を俺の上に重ねる。

 細くて軽いけれども生き物を感じさせる体の重さと、快適よりも少し暖かい体温、衣擦れの音。


 天使のような容貌の彼女が、天使ではなく人間であることを示してくれているかのようだった。


 俺が触れれば赤く色づいていく白い肌。

 羞恥と興奮の混ざったクイナの吐息が俺の頬にかかり、たまらず、彼女の細い腰を抱き寄せる。


 クイナはただ体が触れ合っているだけでは満足できないように指先を俺の身体に這わせて、脚を絡めて首筋にキスをする。

 俺の興奮に気がついたのか、彼女は自分の体に押し当てられているそれを見て口を開き──。


 ──あ、これ夢だと気がつく。


 クイナってこう、もっとクソガキなのでこんな色っぽい顔ではなくアホっぽい顔をするし、俺がクイナに夢中になってたらものすごく勝ち誇ってくるやつだから……。


 なんか自分で考えながら落ち込んでいるうちに目覚める。


 薄暗い部屋の中、まだ日が登りきっていない外を見る。


「……夢にクイナが出たの、本人にバレたらやばいな」


 めちゃくちゃマウント取られる。

 間違いなく大喜びで数日はイジられることだろう。


 俺の夢にクイナが頻出するのは好意の表れというよりかは、俺がそれ以外の人との親交が浅いからだろう。

 彼女と会ってから、みるみるうちに俺の生活……というよりも人生に彼女の存在が侵食し始めた。


「……まだ暗いな」


 もう一眠り……と思ったが、目は冴えてしまっている。

 朝飯を食おうかと冷蔵庫を見るが、ほとんど空っぽで乾燥した謎の野菜っぽいものがポツンとあるだけだ。


 買い置きのカップ麺……は、クイナが「こういうものばかり食べて」と怒るから買い足していなかった。


 最近は近所のコンビニも24時間営業ではなくなっていることだし……食うものが何もないな。


 欠伸をしながら服を着替えて歯を磨く。

 スマホでクイナからメッセージが来ていないことを確認してから、外に出て朝焼けが出る前の薄明るい街中を歩く。


 ……ゴミが散らばってるな。アイツらの仲間になったわけだし、暇だからゴミ拾いでもするか。

 あ、ゴミ拾い用のトングとかゴミ袋もないか。


 店が開いたら買いに行くか。

 フラフラ街中を歩く。

 かつてからシャッターが目立っていた商店街は、その店先のシャッターを管理するものが誰もいないからかスプレーでの落書きがされ放題でちょっとした展示会のようにすら見えた。


 アングラにはアングラのルールがあるのか、落書きはされ放題になっているのにゴミは散らばっておらず落書きを除けば綺麗なものだ。


 派手な赤色が目を引くダイナミックな絵……かと思えば、細部にも手が入っていて近くで見るのも面白い。

 こういう散歩でもなければなかなか来ないような場所だが来てよかったな。


 まぁ店主からしたら迷惑だろうが。

 ズラリと並んだシャッターのキャンバスは色取り取りに塗られていて、一人で歩いているだけでもそれなりに楽しい。


「……深見クノウは、混沌を望んでいる。……けど、これを見れば無理って気がつくだろうな」


 勝手に落書きという違法行為。

 けれども整然と並んでいてゴミも落ちていない。

 無法地帯であっても発生している秩序を見れば……あの男が何をしようとも人間は勝手に決まりを作っていくだろう。



 芸術とかは分からないけど結構好きだな、と思う。

 モチーフは宇宙とかが多く、不思議な気分になれる空間だ。


 鑑賞しながら歩いていると風に流れてシンナー臭がしてくる。

 さっきまで描いていたやつでもいるのかと思うと、シャッターの前に脚立が立っていて、その上に一人の小さな人影。


 体型を隠すようなブカブカのパーカー。

 フードを深くまで被った子供が黒いスプレーをシャッターに吹きつけていた。


 脚立の足元には塗料まみれのカバンと空のスプレー缶が入ったゴミ袋が転がっている。


「ふんふーん、べんとらーべんとらー、スペースピーポー」


 近づくと下手な歌なのか独り言か分からない声が聞こえてくる。

 高い声、声変わり前なのかと思いながらそのまま歩いていこうとすると、急にその子が俺の方を見て小さな悲鳴をあげる。


「わっ、わわっ! 人!?」

「えっ? あ、別に咎めたりはしないけど……と、危ないぞ?」


 バタバタと脚立から降りて逃げようとする子供を見ながらそう言うと、子供は案の定、脚立の上でバランスを崩す。

 バランスを取ろうとした子供が脚立を掴むが、脚立ごと倒れそうになり……俺は降ってきた子供を受け止めて、もう片方の手で脚立を支える。


「……へ?」

「怪我はないか?」


 ギュッと目を閉じていた子供は俺を見てまた慌てる。

 パタパタ動くせいで外れたフードから覗く顔は、スプレー缶の塗料で汚れているが男の子とは思えないぐらい綺麗だ。

 近所の小学生だろうか。


 子供を地面に降ろすと、所在なさげにキョロキョロと周りを見ながら俺の顔を伺い、俺が何かを言うのを待つ。


「あー、別に怒ったりはしてないぞ。そんな注意出来るほど立派な人間でもないし」

「そ、そう、なの?」

「ああ、暇だから散歩してたらいい絵が見えたから、暇つぶしがてら鑑賞してただけ」


 大人としては叱るべきなのだろうが……。

 クイナと夜に会おうという約束を交わしているため、なんというか多少のルール違反を責める気にはなれない。


 子供はホッとしたように胸を撫で下ろす。


「え、えっと」

「ああ、いい絵だと思ったよ。宇宙を冒険しているみたいで」

「ふへへ、そう、かな」


 子供は照れた顔をしながらも荷物を纏めて、一度俺に頭を下げてからパタパタと去っていく。


 違法ではあるけど……この道を全部あの子が描いたのか。大したものだな。

 寂れてるからって好き放題やってるなぁと思いながら歩く。別の通りでも同じようなことになっているが、こっちはこっちで別の人が描いているらしい。


 宇宙というモチーフではないのもそうだが、スプレー缶アートに言うのもおかしいかもしれないが筆致が違う。


 色々と凄いことになっていると言っていいのか、それとも酷いことになっていると言うべきなのか……。


 近くのコンビニが開店したのを見て、朝食を買って宇宙の絵を見ながらおにぎりを齧る。


「やっぱりいい絵だな。今度クイナと来るか。愛知とか他の自警団は……」


 教えない方がいいか。

 特に地元愛の強い愛知と堅物の真中にバレると消すと言われかねない。

 コンビニは開いたけどもっと大きいトングとか売ってる店はまだだろうな。


 ……クイナと店を作るときは商店街がいいだろうか。

 いや、ちょっとうるさくなりすぎるか? クイナも自分は騒ぐ方だが、あまり人混みは好きじゃない方だしな。

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