9 共闘

「よくもまあ、こんなに集めたもんだな!」

 斬りかかってきた男の剣を弾き返し、マルセルがそう叫ぶ。背中合わせになったジスランも、うんざりしたように「まったくだ」と言いながら、飛び込んできた男を迎え撃った。

 樹葉の天蓋が途切れ、ぽっかりと開けた狭い草地の片隅に、その枯れ井戸はあった。古に忘れ去られた小聖堂の残骸であろうか、屋根が朽ちて外壁だけが残った廃墟がそばにある。ご丁寧に立てられた一本の篝火がそれらを照らし、金属製の篝籠の中で赤々と燃えながら、焼けた鉄錆のにおいをまき散らしていた。

 ジスランたちが警戒しながら近づくと、修道士にあるまじき武装をした男が四名、廃墟の影から姿を現した。なんの口上もなく攻撃を仕掛けられ、それぞれが切り結んだ直後、背後の木立から潜んでいた男たちが、一斉に斬りかかってきたのである。

「さすがは貿易商の息子、金は腐るほどあるってか?」

 男にとどめの一撃を見舞ったマルセルが、そう言って舌打ちをする。エイム誘拐時と同様に金で雇った破落戸ごろつきか、それともエルアの肉につられた〈翼生会〉の会員か。彼らが何者かは定かでないが、今回は素人だけの集団ではないのが厄介であった。

「――、っ!」

 襲いかかってきた男を切り伏せた直後、死角から殺気を感じた。疾風の刺突、修道士。ジスランが身体を捩って避けると、深追いはせず、再び闇へと紛れていく。

 相手側の初撃を捌き、二、三人の死体が転がった頃には、様子を窺うように距離を取られた。相手方の正確な人数は、闇に潜まれてわからない。だが確実に、こちらの五人よりも多いようだった。まだ八人、いや十人はいるだろうか――

(……数的には不利、か)

 おそらくテランスは、リュカの件でグラース家ジスランが表立って動けないことを確信している。しかし、たとえ少人数であろうとヴァンを助けに来ると想定しており、かつエルア族奪還を敢行するならば、退路は樹海へと通じる地下通路を使うと判じたのだ。

(正面から侵入し、枯れ井戸の扉を開く役目の者がいると見抜かれているな。……しかしここに戦力を集めておけば、いくら侵入者ユーゴがエイムやヴァンを助けようとも、結局は袋の鼠として再び捕らえることができる。ヴァンの件を知らない内部の者に、悟られる心配もない)

 そして同時に、退路の確保をする仲間もここで一掃し、異端を知ったすべての者を葬るつもりなのだ。

 つと暗がりから飛び出してきた男の剣が、篝火を映し、ぎらりと光った。受ける。鍔元で競り合い、押し返す。体勢を崩した男の腹を貫く。そのジスランを狙った修道士の一撃を、マルセルが阻止し、一刀のもとに首を切り飛ばした。〈シアン〉を狙った者らも同様に返り討ちにあったようで、口惜し気に「下がれ!」と命じる修道士の声がした。

 暗がりの中、敵が移動する気配がする。ギシ、と張り詰めた音がした。まずい、これは――

「木立へ!」

 間一髪、木の影に隠れた直後、矢の放たれる鋭い弦音げんおんがした。幹を穿つ衝撃が梢を震わせる。危機感はまだ去らない。弓撃を逃れたのではない、

 そう判じた瞬間、ジスランはぬらりと蠢いた目前の闇へと剣を突き立てた。鈍い手ごたえ。潜んでいた男の顔面を貫いていた。それと同時に〈犬〉が呻き声を上げる。揉み合う気配がしたあと、蛙が潰れたような断末魔が聞こえ、だれかの痛みに耐える荒い息遣いがした。

「ふたり負傷した」

 隣の木の陰に隠れたマルセルが、仕留めた伏兵を足蹴にしながら言う。

「命に別条は」

「ない。だが浅い傷でもない。止血のため一時離脱する」

「わかった。相手人数の予測はつくか?」

「足音はおよそ十。射撃音から察するに射手は三。修道士だろう。いま数人潰したから、残りは多くて七、八人ってところか」

「対してこちらは、いまは三人か」

「上等。お相手は不意打ちで仕留めたかったんだろうが、俺を視界から外したのは失策だ」

 ピュイ、とマルセルが指笛を吹くと、難を逃れた〈犬〉ひとりがそばに来る。

「おまえはあるじを守れ。俺は射手を仕留めに行く」

「篝火を回り込んで後方を取るか」

「ああ。せっかく濃い闇を作ってくれてるんだ。潜ませてもらう」

「では、俺が注意を引き付けておこう」

「頼んだ。だが無茶はしてくれるなよ」

「わかっている――」

 駆け出そうとしたマルセルの腕を、咄嗟に掴み引き留める。思わぬ制止に気勢を削がれたマルセルが、「なんだぁ?」と戸惑ったように振り向いた。

「心配すんな、うまくやるって」

「違う、そうじゃない。なにか、……おかしい」

「なにかって、なに――」

 そう言いかけたマルセルであったが、すぐに彼も、そのを察知したようである。枯れ井戸を背に樹海を睨むあるじの前に立ち、庇うように剣を構えた。真っ黒な夜に沈む木々と深い葉叢はむらかすかに瞬く泡沫のような精霊の白光。その奥に、なにかがいる。殺気を噛み殺しながら、息を潜めてこちらを見ている。

 争いをいとう精霊が、怯えた瞬きを残して飛び去る。刹那、硬質な光が煌めいた。

(あれは)

 ぞわりと、背に冷たいものが走る。

やじりの照り返し――)

「放て」

 玲瓏な女性の声。連なる弦音。〈犬〉が主を守ろうと横から覆いかぶさった。だが――裂声を上げたのは、ジスランを庇った〈犬〉ではなく、背後の修道士たちであった。

「殺せ、ひとりも逃がすな!」

 鮮烈な青が、視界を横切っていく。これまで幾度となく粛清官を翻弄してきた彼らの姿を、ジスランたちは呆気に取られながら見送った。

 地を吹き抜ける風となって修道士らを屠るのは、五羽のエルアの戦士である。素早く肉薄して敵を切り裂き、瞬く間に優勢へと転じていく。信じがたい光景であった。木立に逃げ込んだジスランたちがまとうのは、彼らが憎んでやまぬ粛清官の外套なのだ。にもかかわらず、エルア族が我らに味方したというのか――

「ジスラン・グラースだな」

 号令を発していた女性の声に、ジスランははっとして振り返った。青銀の蔦髪に、意思の強そうな切れ長のひとみをしたエルア族が、葉叢をかき分け近付いてくる。マルセルに下がるよう合図し、ジスランは女性に向き合った。彼女の理知的な眸に敵意はない。右手を胸に添え礼を示してから、戦況が好転したことへの謝辞を述べた。

「私の名はイネス」

 礼を返し、女性がそう名乗る。

知音鳥イロンクールにてユーゴから知らせを受けた。同胞奪還のため、エルアの戦士六名、加勢させてもらう」

「心強い。しかしまさか、貴君らが援護してくれるとは」

「粛清官を援護することに、みな抵抗がないわけじゃない。いま飛び出していった五名は、直近でおまえたちに連れ去られた戦士たちの親族だからな」

 一瞬応えに詰まったジスランであったが、イネスはかまわず「だが」と続ける。

「そのなかのだれかが、生きている可能性があるのだろう? エイムはそれを諦めなかった。同胞のために戦うあの子を見捨てては、私たちは誇り高き戦士たりえない。ともに戦うと決めたんだ」

 イネスは木立の縁まで進み、縦横無尽に飛び回る同胞を見上げる。自身も参戦しようと翼を広げたが、ふと思い出したように「ヴァンの養父だそうだな」と言った。「そうだ」と返すと、振り向いたイネスが、ふっと頬を緩ませる。

「どんな育て方をしたら、ああなる」

「……とは?」

「無謀すぎる。粛清官のくせに、たったひとりでエルアの集落まで来たんだぞ。殺されてもおかしくなかった」

 「樹海に行かなきゃ」と言ってはいたが、まさか敵陣の真っ只中に飛び込んだというのか。呆れて言葉も出ず、眉間を押さえたジスランであったが、マルセルは「あいつらしい」と吹き出していた。

「だが――その向こう見ずで真っ直ぐな訴えが、エイムの献身を私たちに繋ぎ、頑なだった戦士たちの心を動かした。……動かしてくれたんだ。救出はこれからだな?」

「そうだ。ユーゴが内部と繋がる扉を開いたら、俺が行く」

「ではこの退路の確保は私が請け負おう」

 そう言って、イネスは凛然と微笑んだ。

「借りは返す主義だ」


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