アイリス=シルフィードの優雅な冒険
佐東
第1話 一日目1
朝、カーテンの隙間から差し込む陽の光で目が覚めた。
「――まだ眠い……けど暑い……」
お気に入りのナイトウェアは寝汗で少し湿っぽく、洗い立ての艶を失っている。
麦秋を迎え、日々の気温上昇を実感せざるを得ず、暑いのが苦手な身として、とても憂鬱だ。
わたしはベッドの脇に設置された大きな箱型の魔道具に魔力を込める。
「涼しい……」
スポットクーラーと呼ばれる魔道具は、内蔵の魔石に魔力を流すことで、冷んやりとした空気を吐き出してくれる。
「もう一度、寝る……」
体が冷やされていく心地良い感覚に身任せ、意識を手放そうとしたところへ、部屋の扉を叩く音が響いた。
「アイリス、まだ寝てるの? 冒険者を続けるなら規則正しい生活をするって約束でしょ?」
その言葉に、ハッと目が覚める。
そうだった。『約束を守れないなら冒険者を辞めてもらう』と、母に言われていた。
「起きてる、寝てない」
ちょっと二度寝しようとしただけ。なんの問題もない。
「そう、なら良いけど。朝ごはん出来てるから、早めに来るのよ? 私はもうすぐ出ちゃうから」
母はギルドの雇われ職員として働いている。元々Aランクの冒険者だった事もあり、金銭的には働く必要も無い。しかし人との繋がりは力だと言って、今も精力的に他者と関わりを持っている。
「――わたしもいつかは、友達作る」
胸に秘めた小さな決意。人から見たら大した事では無いのだろうけど、悲しいかな、切実な目標だ。
わたしは小さい頃から人の思考が
そんな特異体質を持っていた影響で、子供の頃に大失敗をしてしまい、数年前までは引きこもりをしていたのである。
今ではとある魔道陣によって思考の流入を遮断出来るようになり、年齢も重ねた事で、この体質と上手く付き合えている。
ベッドから立ち上がり着替えを済ませると、気合いを入れる為、
「――今日も一日、がんばるぞえ?」
何かが違う気もするけど、大体は合ってるはず。
わたしはまだまだ鈍い思考のまま、部屋を出て洗面所で顔を洗い、ダイニングへと向かった。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
「おはようアイリス。私はもう出るけど、後よろしくね?」
ダイニングには忙しそうに動く母と、書類を見ながらパンを齧る父が居た。
「分かった。わたしは今日の夜、家でご飯食べれない」
今日の講習には確か、解体と調理が含まれていたはずだ。食べるのは好きな方だけど、限度がある。
「ええ、分かったわ。確か今日の講習って二十時までよね? 私もそのくらいには仕事を終わらせるから、一緒にお茶でもして帰りましょう」
「む、父さんも――」
「今回はダメよ。あなた、研究発表が近いんでしょ? 資料を纏めるの、頑張りなさい」
父は一緒に行きたがったが、来月行われる学術集会に向けて連日忙しそうに書類を読んでいる。母の意見も尤もだ。
食事中にまで書類と睨めっこしているせいで母の機嫌が悪い事に、父は気付いていない。
鈍感だなと思うけど、こういうのは自分で気づくのが大事。暫くは様子を見だ。
「それじゃあ、私は行ってくるわ。また夜ね」
「行ってらっしゃい」
「…………」
父がショックで放心してる間に、母は家を出た。
わたしは自分の席に着いて、サーバーからお気に入りのカップへ珈琲を注ぐ。
「――良い香りだな」
父は言うが、母の料理もそうやって褒めれば良いのにと思わざるを得ない。
「お母さんがブレンドしたやつ」
「ああ、母さんはブレンドも上手いからな」
居ないところで褒める。それも大事な事だとは思うけど、感謝や賞賛は、本人に伝えるのも大事。
仕方ない、午後まで暇……もとい、少しだけ時間がある。様子見はやめて、お説教をしよう。
わたしは背筋を正して、口を開く。
「お父さん、そういうのはちゃんと――」
その後、何故かニコニコしている父へのお説教は、お昼まで続いた。
お説教を済ませて、昼食を作り二人で食べた後は、準備してあった装備を持って家を出た。
今はギルドへ向かう道中にある雑貨屋へと立ち寄っている所だ。
「――こっちの子も良い」
わたしが手に取っているのは、小さな狐が刺繍されているモコモコのスリッパだ。
先程までに見ていた黒猫のスリッパも可愛らしく、甲乙つけがたい。
「こっちの方が、履き心地良さそう」
可愛さで優劣がつかない以上、別のところで違いを見出すしか無い。
「けどやっぱり――」
「おいアイリス、そんなに悩んでて時間は大丈夫なのか?」
わたしが人生で最も重要と言っても良い事柄で悩んでいる時、ひげもしゃ店主のクラークが声をかけてきた。
「今日は十四時から。まだ平気」
店に飾られた時計の針は、十三時三十分を指している。
「そうか。冒険者になってからそろそろ一ヶ月だが、調子はどうだ?」
「今は森林ダンジョンに潜ってる。順調」
もう八階層まで進んでいる。二、三日に一度潜っているが、苦戦らしい苦戦はしていない。
「そうか。まあエレクトラの娘なんだ、当然と言えば当然か」
母は結構な有名人だ。その昔は銀閃風華の異名で名を馳せたらしい。恥ずかしがって自分では名乗らないが、自慢の母であり、いつか超えるべき目標だ。
「うん。それよりクラーク、このスリッパ、いくら?」
わたしは狐のスリッパを手に取り、クラークに向けて掲げる。
「そいつか? 防水防虫防汚が付与されてるし、素材も良いから、20万ラウだな」
「20万……」
高い。森林ダンジョン一日での収入が2万ラウに届かないくらいだ。他にも買わなきゃいけないものがあるから、今は手が出せない。
「近いうちに買う。とっておいて」
わたしのモチベーションは、過去最高だ。今からでもダンジョンに潜りたい。
「別に良いが、これ子供用――」
「とっておいて」
それ以上は言わせない。可愛いものに年齢は関係無い。
「――分かった、もう何も言うまい」
「ん、じゃあ早速ダンジョンに――」
「講習受けるんだろ! 夢中になると周りが見えなくなるところ、アポロにそっくりだな」
父に似てるとは心外だ。わたしはあそこまで酷く無いはず。
「何故不服そうに出来るのか、俺には理解に苦しむが……」
むむ、バレてしまった。初対面の人には表情が無いと思われたりするが、付き合いの長い人たちには分かるようだ。
「お父さんはこの間、気になる遺跡があると言って、突然隣国まで行ってた。わたしはそこまでじゃない」
父ほどの変人に、わたしは会ったことがない。そもそも知り合いも少ないけど……虚しくなってきた、やめよう。
「じゃあ今度買いにくる。そろそろギルドへ行く」
「おう、気をつけてな」
「うん、クラークもお髭食べないように気をつけて」
「お前な……」
そんな挨拶をして、わたしは店を後にした。
アイリス=シルフィードの優雅な冒険 佐東 @Shiki-Sato
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