第5話 一方的に話すお客様の自己紹介
若者が硝子棚を乗り越えるのではないかという勢いで覗き込む。シロイはどうしていいのか分からず、ファビーを見た。彼は小首を傾げ「チチチ」と鳴いて天板に飛び乗った。
突然目の前に来られた若者は驚き、仰け反った。
「チチッ」
「え、え、なんと言ったんだ? 君なら分かるだろう?」
話を振られたシロイは戸惑いながらも答えた。
「落ち着いて、って言ってるよ」
(言葉が通じると教えて良かったのですか)
「あっ」
「どうしたんだ?」
「あ、ええと、あの」
(シロイ、あなたも落ち着いて)
天板の上から手を伸ばすファビーを見て、シロイは自然と頭を寄せた。落ち込んだ時にファビーがよく頭を撫でるからだ。
思った通り、ファビーはシロイの頭をさりさりと撫でた。
すると、若者からくぐもった声が聞こえる。
「ぐ、羨ましい……」
若者はどうやら幻獣が好きらしい。
シロイはファビーと顔を見合わせ、ほんの少し肩の力を抜いた。
小さな幻獣が好きな人に変な人はいない、というのが一人と一匹の認識だった。
* * *
若者は冷静になると、姿勢を正してから自己紹介を始めた。
「俺はヴィルフリート=カロッサ、クレアーレ魔法学校の三年生だ。そろそろ実習が始まるから、必要な魔道具やアイテムを探していた。それと、幻獣の召喚も考えている」
そこで一度間が開いたので、シロイは戸惑いながら、聞いていると示すために頷いた。
「……そうだな、いきなり入ってきた客に名乗られても困るか。小さい子供だった。君は店番ではなくて留守番を任されたのかな? 店主はいつ戻るだろうか」
数秒考え、シロイはヴィルフリートの言葉の意味に気付いた。早口なので頭がどうにも追いつかなかったが、彼はシロイがなにも知らない女の子だと思っているのだ。ある意味では合っている。
シロイは今の時代について知らないことの方が多い。目覚める前に生きていた時代についても多くを知っていたわけではない。幼い頃はぼろぼろの小屋に押し込められていたし、師匠に助け出されたあとも人里離れた家で暮らしていた。知識は本か師匠の言葉だけ。そして師匠は魔法の研究にのめり込んでいたので常識には疎かった。
今こうしてなんとか生活できているのは、生活支援を担うファビーがいるからだ。彼が情報収集した上でシロイにあれこれと教えてくれる。
ただ、それも限界があった。
シロイには対人の経験が圧倒的になかった。
「あの、店主って、このお店の持ち主のことを聞いてるんだよね?」
「そう、なるか。責任者についてだ」
「し、商業ギルドに登録したのは、わたしだよ」
「……ん?」
「お店をやりますって申請したよ」
「なるほど?」
「店舗付きの家を買ったの。ちゃんと許可をもらったから、えっと、怒られないよ」
ファビーに散々脅されたのだ。以前とは違い、今は法律がしっかり制定されている。強者の一言で急に制度が変わったり、無茶を言われたりはしない。
逆に、ルールさえ守ったら普通に生きられる世界なのだ。
だから商業ギルドにもきちんと申請し、登録した。
売り上げがないから人頭税は高く、商業ギルドの年会費も結構かかる。けれど、ちゃんとしているからこそ十歳の子供が一人でいようと誰にも介入されずに済むのだ。
「家を買った? 許可も取ってある? え、君が?」
「う、うん」
「どうやって!」
シロイはびっくりして固まった。ファビーがふうと息を吐く。そして、ヴィルフリートの前に立った。
「チチチ」
(どうやってもなにも、正規の手続きを取ったのです。疑うのなら商業ギルドへ行きなさい)
「なんと言ってるんだ?」
「う、疑うなら商業ギルドへ行って確認して、と」
「あ、いや、その。すまない」
ヴィルフリートは狼狽え、申し訳なさそうに目を伏せた。
「失礼だった。君はきちんと答えてくれたのに」
シロイは急いで頭を振った。尻尾も揺れる。
それを見たヴィルフリートがふと笑った。
「そうか。俺は勘違いしていたようだ。幼い子供に見えたが、只人族とは年齢の重ね方が違うのだろう。そういえば森人族も我々のような成人姿になるまで何十年も掛かるらしい。君は獣人族に見えるが実際は特殊な種族なのだろうね。あ、もちろん、答えなくていい。俺も家のことは聞かれたくない。それと同じだ」
なにやら納得した顔で頷くヴィルフリートに、シロイはまたも口を挟めずにいた。
ファビーは面白がっているのか、不自然に黙っている。普段であれば念話で指示を出すのにと、シロイは内心でむくれた。
「そうか。君が店主か。ならば、質問したいことが山ほどあるんだ。構わないか?」
「い、いいよ」
話が長くなりそうで緊張するが、初めてのお客様だ。シロイは大きく息を吸ってヴィルフリートの次の言葉を待った。
ヴィルフリートは考えた末、優先順位を決めたようだ。
「まず、聞きたいのはアイテムの使い方だな。発想もすごいが、そこはおいおい聞かせてほしい。できれば幻獣についても教えてもらいたいが、仲良くなってからの方がいいかな」
後半は小声だったがちゃんと聞こえている。ファビーが四つん這いになって顔を隠した。笑うのを我慢しているらしい。ちょっと気になりつつも、シロイはヴィルフリートの言葉に頷いた。
「俺が一番気になったのはこれだ。手の平に載るぐらいの小さなカードに、どうやって魔法陣を組み込めたのか。しかも、内容が『湯沸かし』だ。対象の鍋や桶の水を沸騰させるんだろう? しかも十回は使えると書いてある。普通は魔道具製じゃないと難しい。それぐらい魔法陣が大きくなるものなんだ」
「そう、なの?」
シロイは首を傾げた。
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