第3話 お店と家について
家は一階の道路側が小さな店舗になっている。
元々、学生向けにクッキーを売るお店だったらしい。営んでいたお婆さんが怪我を切っ掛けに、娘夫婦に引き取られた。その際、土地建物ごと商業ギルドに売ったという。娘夫婦が後を継がなかったのは、クッキー売りだけでは儲けが出ないからだ。時代と共に多くの菓子専門店ができ、馬車通りには都会的なカフェもできていた。
元々裏通りと呼ばれる端っこの店だ。しかも小さな店舗だから他の商売をしようにも難しい。
売れ残り続けた店舗付きの小さな一戸建ては、商業ギルドでも持て余していたようだ。
ファビーは王都に来て二日目にこの物件を見付けた。夜な夜な歩き回ったらしい。
そして翌日には書類を揃えた。家を購入するのに必要な書類だ。どうやったのか、後見人の署名が入った書類まで揃っていた。ちゃんと面倒を見る人間がいますよ、と証明するものだ。
とはいえ、いくらなんでも子供が商業ギルドに一人で行って「家を買います」が通るとは思えなかった。それでなくともシロイは人見知りだ。宿で散々ぐずったけれど、ファビーに「師匠の指示を忘れたのですか」と背中を押されて渋々向かった。
不思議なことに、最初は訝しそうだった職員は書類を見て「まあ、いいでしょう」とあっさり認めてしまった。
最終的に「後見人のサイン」を提出して家の引き渡しが完了した。
シロイが何度「どうやったの」と聞いても、ファビーは「奥の手です」としか答えなかった。
ちなみに、お金は師匠が残してくれていた金貨で払った。二百年前の金貨だ。職員は「ふぁっ?」と変な声を上げていた。貴重な貨幣だったらしい。出所を聞かれたものの、ファビーに言われるまま「後見人からの支度金です」と答えて事なきを得た。どうやら「訳ありの田舎暮らしが長いお金持ち」だと思われたようだ。
持ってきた金貨は現在の貨幣に換金してもらった。商業ギルドの担当者はほくほく顔で喜んだ。シロイも安心した。これで普通に買い物ができる。
宿の支払いは金の粒だったから、ぎょっとされたのだ。時代が変わって一番困ったのは貨幣だったかもしれない。
店舗は、表の扉を開けるとすぐに硝子製の飾り棚が目の前に現れる。横に長く、硝子部分が多いことから見せる収納棚だ。硝子部分はファビーが魔法で作り直した。頑丈で壊れない特別製である。
硝子棚の長さはシロイの身長でいうと二人分はあるだろうか。高さはシロイの胸あたりまで。女性や子供ならちょうどいい案配だが、男性だと屈まねば見づらいかもしれない。かといって高くはできなかった。硝子棚越しに商品をやり取りするためだ。
表の扉と硝子棚の間には人がかろうじて身を躱せるぐらいの通路しかない。
わざわざ通路に出て商品をやり取りするよりも硝子棚越しに渡した方が楽だ。という理由で、内側の床は少し上げている。これはシロイが板を張った。これぐらいならシロイにもできる。
「ファビー、お茶を淹れてきてもいい?」
(どうぞ。留守番なら任せてください)
「お客さんが来ても返事できないでしょ」
「チチチ!」
(と、こうして鳴けば気を引けます。逃しませんよ。シロイにも聞こえるでしょうしね)
硝子棚の天板に載ったままで答える。一番お店が見渡せる場所だ。
シロイはファビーに店を任せ、家と店舗を分ける扉を開けた。
奥に台所やお風呂、手洗い場といった水回りがある。お客さんがいる時に扉を開けるつもりはないけれど、中が見えるのは嫌だからと棚を作って目隠しした。通路のつもりもある。そこを通って台所に入り、お湯を沸かす。
魔道具で火が出るコンロだ。竈しか使った経験のないシロイはこの便利さに早くも慣れた。
「今日は林檎の乾果と
師匠が残してくれた家の周辺には多くの植物が生えており、シロイが目覚めるまでファビーが毎年せっせと集めてくれていたそうだ。食材は全て、時間停止の保管庫に入れてあった。
ファビーは二百年の間に何度か長期スリープモードで寝ていたと言うが、それでも長い時間をたった一人で生きてきた。いつか目覚めるシロイのためにだ。だからファビーには強く反抗できない。ましてや師匠の伝言を記憶し、生活支援もしてくれる。そんな彼にシロイは頭が上がらなかった。
「ファビーは木の実入りのクッキーが好き~」
シロイはふんふん歌いながら、作り置きしていた焼き菓子を戸棚から出した。虫除けの薬草が入った小袋も取り出して確認する。香草で作っているけれど食品棚用だから匂いは控え目だ。
「クッキーにも匂いは移ってないね。次もこの組み合わせで作ろうっと」
森の中から引っ越してきたので、虫除けの配合も変えた方がいいのかと思っていた。今のところ問題はない。森の中で採れた素材で間に合うのなら安心だ。
念のため、この辺りで採れる香草や薬草を植えるつもりでいる。裏には小さいが庭も付いていた。
一階は店舗と水回りだけだ。二階は小さな部屋が三つあった。改装して今は二部屋にしてある。露台はなく、ちょっとした出窓があるぐらいだ。
とにかく小さな家だった。
最初に見た時、シロイは師匠の家との違いに驚いた。けれど、もっと幼い時は掘っ立て小屋に押し込められていたのだから、それを思うと雲泥の差だ。
「さあ、できた」
林檎の良い匂いがする。
シロイは気分が高揚するのを感じた。耳が動き、尻尾も揺れる。白い尻尾が目の端に見えて、ふと気持ちが静まった。
昔は紛い物だと言われていた姿だ。毛のない只人の姿に、耳と尻尾だけが仲間と同じ形だった。
だから純粋な獣人族である母親や親族らには忌み嫌われていたのだ。
ところが今は違う。
獣人族とはシロイのような姿の者を指す。
ファビーにも大丈夫だと言われていたけれど、実際に王都で似た姿の人間を見た時は心底驚いた。
多民族国家であるフォルバッハ王国を引っ越し先を選んだのも、この獣人族がいたからだ。
おかげで、シロイはこわごわとしながらも外を歩けている。
心が落ち着いたところで、シロイはお茶とお菓子を手に店へ戻った。扉はお尻で開ける。
ちょうど鈴の音が鳴った。見ると、表の扉が開いたところだ。そこに真っ黒いローブを着た若者が立っている。
お客様第一号だった。
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