Sister

玄道

8本の爪

 彼からのメールに呼び出され、私──西川恵にしかわ けいはD山の林を歩いていた。


 獣道が、異界へ続いているように思える。パン屑を撒いても、帰る道を間違えるような気がした。


 濃密なフィトンチッドも、焦燥を和らがせない。


 小鳥の声すら、私を嘲笑う。


 そして、見つけてしまった。世界は不安を煽る異境から、地獄に姿を変えた。


 目の前にいる"それ"は、生きていなかった。

 

 否、人の形すらしていなかった。

 

 服は裂かれ、大小の塊になって"彼"は捨てられていた。


 私は、愛した人の骸を、声も上げずただ見つめていた。


 生けるものたちの声が、生者の優越を高らかに歌っていた。

 

 私の思考も、感情も、その時彼──恋人だった佑人ゆうとと共に死んだ。

 

 二年前、夏の黄昏時の事だ。

 

 ◆◆◆◆

 

 令和○年 十月

 

 私は、あれから必死に平静を装って生きている。

 

 OLだった私は、工場の事務員に転職し、髪を伸ばして野暮ったい伊達眼鏡をかけ、人との繋がりを断った。

 

 午後六時。

 

 今日も一日が終わる。

 

 退勤の手続きをし、着替えて事務所を出る。


 虫の声が微かに響く。


 夜風が冷たい。

 

 ◆◆◆◆

 

 私は、OL時代のスーツを着て、居酒屋で呑んでいた。私の他には、男が二人。

 

 とは言え、酔いたくもないので、刺身を肴に烏龍茶を頼んだ。

 

「一回も酒、頼まないよね」

 

 大将が、珍しく話しかける。

 

 彼と、個人的な会話をしたことはない。彼に不審がられぬよう、ラフな格好で暖簾を潜ったことはない。


 古いタイプの、小料理屋の風情が残る店『刹那せつな』。いつも一人、ここで呑むのが週末の習慣だ。

 

「……ですね、嫌な客でしょ? あたし」

 

「んなこたあ無いけどね。潰れて暴れるよっかましだ」

 

 ──居酒屋、だよな? ここ。

 

「へぇ、お姉さん呑まないの。下戸?」

 

 サラリーマン風の若い男が絡む。何やら女物の香水が匂う。

 

山下やました、止めろって。すみません本当に」

 

 もう一人が止めに入る。


「止めんな小林こばやし! 俺は行く!」


 ──アホらしい。


「S物産営業の山下寿士ひさしです、これ名刺です」


「え、と……止めてください」


 コバヤシ氏が山下寿士の腕を掴む。


「やーまーしーたー?」


「頼む小林、これはチャンスだって」


 ──溜まってるのか。まるで中学生だ。


「ん……西川、恵です。その、名刺、今無くって」


「けい? ケイさん? へえ! 字は?」


 食いついてきた。こういうノリは好きじゃないが、酔ってるなら仕方ない。


 ──こんな店じゃないんだけどな。


 大将に目配せする。


「お客さん、ちょっと」


「ほら見ろ、山下お前大概にしろよ!? すみませんお会計……」


「あの、話だけでも!!」


 コバヤシに引き摺られ、トラブルは去った。


「ありがとうございました」


「あんた、ケイさんっていうの。ピンク・レディーみてえ……知らねえよな」

 

 私は一人、静かに呑み続ける。


 茶色い、磨かれたカウンターが、孤独な三十女を映している。


 聞いたこともないインストの演歌が、妙 に沁みた。


 ◆◆◆◆


 二週間後。


 夜の大型書店で、山下寿士と再会してしまった。


「西川さん?」


 彼が持っていたのは、『悪の教典』コミック版一巻だった。


 喧騒も、BGMのポップスも遠のく。 


 私は呟く。


「どんな話か、知ってて買うんですよね?」


 彼は頷く。


「お、西川さんも好きなんですか?」


 ──止めてよ。私の過去なんて、何も知らないくせに。


「二度と絡んでこないで」


 背を向けた私に、声が襲い掛かる。


「西川さんって、そこまで避ける理由、何かあるんですか? 話だけでも、できませんか?」


「そこまで私に構って欲しいの?」


「…………西川さん、いや、気持ち悪いかもしれないけど、姉に似てて」


 ──シスコンかよ。


「はぁ、いいわ。寿士君の話、聞くだけ聞いてあげる」


 ◆◆◆◆


 午前二時 D市内のファミリーレストラン


 私たちは、隅のボックス席に陣取った。


 週末だからか、若者もちらほらいる。一様に疲れて見えた。


 ドリンクバーと、適当に軽食を頼む。


「で、よ。お姉ちゃんに話したいことって何?」


 ──くだらない。私はカウンセラーでも医者でもないんだ。


 早目に切り上げて、部屋の鍵をかけてアニメでも観る算段をしていた。


「ケイさん、その、僕……あの時は酔ってたけど、悩んでることがあって。ケイさん、なんか相談とか乗ってくれるかなって」


「ナンパじゃなかったっての?」


 寿士は、赤面して縮こまる。


「……僕、女の人は好きじゃなくて。いや、その、性的な関係が嫌で」


「アセクシャル?」


「……」


 寿士は、アイスコーヒーに口を付けた。


「それが相談?」


「ナンパじゃないって根拠、です。話したいのは別で」


 黙って彼を見つめ、傾聴に入る。


「これ、なんです」


 スマホを差し出す。


 動画サイト──楽曲配信専門チャンネルだ。チャンネル名は『Eight crows』。登録者数……二万!?


  「なに、寿士君がやってるの?」


 自分のスマホでも表示する。


『Hurt』、『Mr.Self Destruct』、『Wish』……Nine Inch Nailsのカバーバンドか。


 二曲、オリジナル曲を見つけた。


 イヤホンを付け、聴いてみる。


 ──打ち込みじゃない。


 切れ味の鋭いギターリフや手数の多いドラム、重いベースと中性的なボーカル……アナログな音の濁流に呑まれた。


 だが、暗く攻撃的な歌詞は、間違いなくトレント・レズナーの影響下にあった。


 †††

 Stay out of my way.

 If you get in my way, I'll smash you.

 I'll plug your asshole.

 †††


「すごいね、これ。好きだな」


 チャンネル登録者が、一人増えた。


「これだけ凄いなら、会社員じゃなくても食べられるんじゃない? あ、副業禁止?」


 寿士は黙り込む。これだけ名が売れているなら、収益化もされているだろう。


「こんな曲書いて、売れるってどうなんでしょう。明るい曲とか、元気な音楽の方が喜ばれるんじゃ、ないですかね」


 ──卑屈。


「で? 寿士君はどうしたいのよ?」


 アイスコーヒーが空になった。


 緩いBGMが場違いに聞こえたが、場違いなのは私たちだろう。


 サラダとポテト、唐揚げが運ばれてくる。


 私たちは、無言で食べ始める。


 ポテトのケチャップは付けない。


 食事中だというのに、私の中には佑人の残骸があった。


 この二年、食欲の失せる光景が網膜に貼り付いて離れない。


 カウンセリング、セルフケア、何をしても無駄だった。


 意識しないようにして、時の過ぎるのを待つのが最善だという。


『Eight crows』の曲が、その狂暴性が私に二年前を容赦なく突き付ける。


 ──逃げられないんだ、私。


「あのさ」


 食事の手を止め、ぽつぽつと語り始める。


「君の音楽は、さ。激しいし、レズナーの精神性を理解してる、正しいフォロワーだと思う」


 寿士も、手を止めて聞き入る。


「怒りとか、絶望とか……ロックやメタルってそういうものを吐き出す音楽じゃない? 浄化のため、とか」


 一呼吸置く。


「寿士君が話してくれたから、私も話すね。二年前、D山で男性の遺体が発見されたの……覚えてる?」


 彼の喉が鳴った。こくりと頷く。


皆川みなかわ佑人。昔、付き合ってた人なの。何もわからないまま、二年も経ったわ」


 彼の表情が沈む。


「……だから、君が『悪の教典』、買おうとしてたの、嫌だったの」


「……すみません。こんな話ばかり読んでるから、学生の頃も独りで」


「謝らないで、知らなかったんだし。私も大人気なかった」


 ポテトを一本摘まむ。ケチャップの代わりに塩を振りすぎた。


「……暗い話とか、暗い音楽って、犯罪の温床とか言われるかもしれないけど、それじゃこの二万人が犯罪者予備軍ってことじゃない?」


「……やっぱ、僕」


 私は、右手で遮る。


「こういうので救われる人もいる。現実に、この二万人を救ってるのかもよ? 自信持っていいと思うけど」


 ──偉そうに。自分は過去を捨てられないくせに。


「君らがやってることが間違いなら、こんなに聴かれてないわ。自分と向き合ってるだけ、明るい曲で誤魔化すよりましよ」


 思い付くまま喋っていると、自分の物とは思えない意見が出てきた。


 ──自分と向き合う、か。


 傷を見つめ続けて、ずっと閉じたままでいるのは、私も同じなのだろう。


 鏡を覗くように、山下寿士を見た。


「ありがとう、ございます」


 彼は、深々と頭を垂れた。


 ──本当にこいつがってんのかよ。


「寿士君、君、パートは?」


「前に出るの、苦手なんで。作詞と作曲です。演奏は他のメンバーが」


 ──マジか。


「元々は、ボカロPだったんです。それがなんか大きくなって、バンドの形になって……で、今の位置にいるんです」


 ──どっかで聞いた話だな。あ、ハチか。


「お、おう。まあ頑張りなよ」


 ──妙なオチが付いた。


 私は再びドリンクバーに向かう。コーラを二人分注いで戻る。


 会計は寿士が払った。


 ◆◆◆◆


 更に二年の月日が経った。


 メールを処理し、エクセル入力を終えて、雑誌をめくる。


 あんなご高説を垂れながら、情けない姉は工場の事務のままだ。


 微かな変化はあった。


 大将が身体を壊し、常連の私を跡継ぎに考えていると漏らしたのだ。


 そんな中、『Eight crows』がメジャーレーベルと契約したと、私はネットニュースで知った。


 あの時、私が偉そうに語った言葉を、寿士は抱え続けているらしかった。


『BURRN!』のインタビューで、彼はコメントだけを寄せていた。やはり裏方に徹するらしい。


 □□□

 ──なら、その人の言葉が『Sister』の歌詞に?

 コトブキ:そうですね。たった一度、少し話をしただけでしたけど。彼女のお陰で、今もこうやって音楽やれてます。

 ──最後に、1st『Eight』を聴いてくれた方にメッセージを。

 コトブキ:『Eight』を聴いていただき、ありがとうございます。新人なので偉そうなことは言えないですけど、怒りや絶望と向き合って書いた曲で、誰かが救われたらって思ってます。あ、あとこれ聴いて変なことしないで下さいね? (笑)

 ──(笑)ありがとうございました。

 □□□ 


 私は、あのD山の記憶を抱えたまま、大将から週末に教えを乞うている。


『Eight』は、発売日に買った。『Sister』は最後に収録されている。


 †††

 The words from that day stick in my mind.

 I have no choice but to go on.

 All along, my sister's words have had my back.

 †††


 ──あいつ。


 週末、退勤の手続きを済ます。


「割烹着より、エプロンの方が良いんじゃねえの?」


 師匠が言うので、白いエプロンを買った。ピンクはさすがに辞退した。


 忙しくしていれば、いつかあの惨劇から解放されるだろうか。


 ──傷を抱えた女将がいる居酒屋、か。


 何やらハードボイルドな絵面が浮かぶ。


 気恥ずかしくなって、妄想を打ち切った。


 偉そうな口を利くのは、あの夜で最後にしよう。まだ、自分の傷も癒えていないのだ。


 そんな女将の言葉に、重みも説得力もないだろう。


 心のどこかで、あの光景を見つめたまま手探りで生きている自分を知っているから。


 生きることの意味も分からず、誰かを導く資格なんてない。そんな私が誰かの道標として振る舞うなんて、ただの偽善だ。


 私は、何も解決していない、醜い傷跡を隠して、他人の口に入るものを作るのだ。


 平穏な生活の中で、いつか傷も癒えるかもしれない。


『Sister』を連れて、店への道を歩く。


 ──寿士君、またね。


 <了>

参考文献

『悪の教典(1)』原作/貴志祐介 漫画/鳥山英司(アフタヌーンKC)講談社

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Sister 玄道 @gen-do09

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