意味なんてなくても

三角海域

意味なんてなくても

 コンビニの冷蔵庫の前で、俺は今日も真剣に悩んでいた。

 オレンジジュースにするか、それともコーヒーにするか。はたまたお茶か。

 これから俺は辻占いをしている真緒さんに会いに行く。

 その際、今日買った飲み物当てクイズをするのがルーティンになっている。ちなみに真緒さんは毎回外す。これもルーティン。


 こんな馬鹿げたことを続けているのも、家に帰って親の冷たい視線を浴びるよりはマシだからだ。「祖母の遺産数百万、それが底をつくまでにニートをやめて何とかしろ」それだけ言われて以来、俺は完全に異物扱い。


 憂鬱な気分を忘れる変わったものでも見つけられるといいな、とぼんやり思いながら、コーヒーを選んだ。


 商店街の奥、人通りの少ない角っこに、真緒さんの辻占スペースはある。手作りの看板に「人生相談承ります」と書いてあるが、客は俺以外ほぼ来ない。月・水・金の週三日だけの営業で、午後二時から五時まで。


「はい、今日のお題」


 俺はコンビニの袋を真緒さんに見せる。


「またそれ?」

 

真緒さんは小さくため息をついた。三十手前くらいの、落ち着いた雰囲気の女性だ。今日も薄紫のワンピースに、手作りっぽいアクセサリーをつけている。


「占い師なんだからさ、わかるでしょ?」

「だから、私は超能力者じゃないんだってば。占いは人の話を聞いて導くものなの」

 

 言いながら、真緒さんは目を細めて袋を凝視する。


「......緑茶?」

「残念! コーヒーでした」


 いつもの茶番が終わると、真緒さんは苦笑いを浮かべる。


「で、今日はどんな変なものを見つけてきたの?」


 アクティブニートである俺が、町を徘徊しては奇妙なスポットを発見してくるのを真緒さんは知っている。


「駅前の住宅街、あの家がぎっしり建ってる密集地帯があるでしょ?」


「ええ」


「あそこの真ん中に、ぽっかり花畑があったんだよ」


 真緒さんの眉がぴくりと動いた。


「花畑?」


「そう。普通の住宅やマンションに囲まれてるのに、そこだけ別世界みたいに色とりどりの花が咲いてる。チューリップ、スイートピー、ラベンダー……甘い花の香りが風に乗って、まるで都市のオアシスって感じ」


 あの光景を思い出すと、今でも不思議な気持ちになる。


「で、その中で小さなおばあちゃんが水やりしてたんだ。腰を曲げながら、一つ一つの花に話しかけるみたいに丁寧に水をかけてた」


「へえ……」

 真緒さんの表情が興味深そうに変わる。


「でも意味わかんないんだよ。あの辺、土地めちゃくちゃ高いでしょ? 普通なら家建てるか、駐車場にするか、コインパーキングでも作るじゃん。なんでわざわざ花畑?」


 俺は腕を組んで首をかしげる。


 真緒さんは少し考えてから、ゆっくりと言った。


「意味なんて、別にないんじゃない?」


「え?」


「花って、ただ咲くだけでいいの。人がきれいだって思えば、それでもう存在の理由になる」


「でも、効率とか、お金とか……」


「誰かに見せるためにやってるわけじゃない。ただ、自分が花を見たいからやってるのよ。効率とか関係なく、自分だけのそういう儀式みたいなのが必要な人もいるの」

 

 真緒さんは少し遠くを見るような目をした。


「私がここで週三日だけ占いをしてるのも、似たようなものかもしれない。儲からないし、お客さんもほとんど来ない。でも、必要だから続けてる」


「必要だからか……」


 俺はもう一度、あの花畑を思い浮かべる。陽光に輝く色鮮やかな花々と、優しく水を撒くおばあちゃんの後ろ姿。


「それって、本当に意味があるのかな」


「大切なのは意味じゃなく、その人にとって必要かどうかってことでしょ」


 言われてみれば、俺がここに来るのも同じかもしれない。単純に真緒さんと話すのが楽しいし、家にいるより気が楽。この時間は俺にとって必要だ。


「でも、なんで俺はあの花畑が気になったんだろうな」


「それこそ、占いに来る意味なんじゃない? 自分でも気づかないうちに、何かを求めてる。それに道を示すのが私の役目ってわけ」


「俺は何を求めてるんだろう」


「そこから先は自分で考えなさい。もし具体的な道筋がほしいなら、ちゃんと料金払ってね」


 真緒さんはいたずらっぽく笑う。


「でも、そうやって考え始めたってことは、もう答えに向かって歩き始めてるってことよ」


 時計を見ると、もう四時半だった。真緒さんの営業時間も終わりに近づいている。


「じゃあ、今日はこの辺で」

 

 真緒さんは立ち上がる。


「気を付けて帰りなさいね、ニート君」


 その表情は、いつもより少し優しく見えた。


 帰り道、俺は再び花畑に寄ってみた。

 夕方の光が花たちを金色に染めている。おばあちゃんはもういなかったが、花は静かにそこに存在していた。



 あれ以来、なんとなく花畑を見に行くのが日課になっていた。

 その日、花畑の向こうからゆっくりとおばあちゃんが歩いてくるのが見えた。手には小さなハサミと籠を持っている。

 おばあちゃんは俺に気づくと、にっこり笑って会釈した。俺も慌てて頭を下げる。


「きれいですね」


「ありがとうございます。今がちょうど見頃なんですよ」


 声をかけると、おばあちゃんは嬉しそうに答えた。


「どのくらい前から手入れを?」


「もう三年になりますね。最初は息子たちに『土地がもったいない』『売れば大金になる』って随分言われました」


 おばあちゃんは花を見つめながら続ける。


「でも、主人が生きてた頃からの夢だったんです。『いつか二人で花畑を作ろう』って。その約束を守りたくて」


 そう話すおばあちゃんの目は、花を見つめる時と同じように優しかった。


「家族は理解してくれましたか?」


「最初は反対されたけど、今は孫たちが手伝ってくれるんですよ。『おばあちゃんの花畑、学校で自慢してる』って」


 おばあちゃんは笑いながら花の手入れを始める。


「きれいでしょう? それだけで十分だと思うんです」


 それだけで十分。その言葉が胸に響く。


「俺も、そう思います」


 花の世話をするおばあちゃんの表情は本当に生き生きとしていた。俺はその光景をもうしばらく眺めてから、ゆっくりと歩き始めた。



 家に向かいながら、俺は考えていた。


 今まで、俺には何の価値もないと思っていた。

  でも、あの花畑を見ていると思う。一見無駄に見えても、誰かにとって大切で必要なもの。そういうものが確実に存在する。


 おばあちゃんにとって花畑が必要なように、真緒さんにとって辻占が必要なように、俺にとって必要な「何か」もきっとある。



 あれから一週間が経った。

 玄関で靴を履いていると、リビングから母の声が聞こえてきた。


「また出かけるの?」

「うん」

「いつまでそんな生活続けるつもりなの」

 ため息交じりの言葉が俺に向けられる。

「……分からない」

「お父さん、近所の人に合わせる顔がないって嘆いてるのよ」

 

 俺はそれ以上何も言わずに玄関を出た。何を言っても、今の俺の言葉に耳を貸してくれることはないだろうから。

 いつものように商店街を抜けて花畑へ向かった。途中、小さな花屋があることに気づく。今まで気にも留めていなかったが、今日はなぜか足が向いた。


「いらっしゃいませ」

 

 店主の優しそうなおじさんが声をかけてくる。


「プレゼント用に買いたいんですけど」

「どんな方に?」

「えーっと、友人の女性に……詳しくないんで選んでもらえませんか?」

「その方はどのような性格ですか?」

「誰かのためになりたくて占いをやってて、俺みたいなやつの話を真面目に聞いてくれる優しい人です」

 

 おじさんは笑顔で店内を見回した。


「それなら、この白いガーベラはどうでしょう。花言葉は『希望』や『前向きさ』なんです」

「それにします」

 

 白いガーベラを買って、真緒さんのところへ向かった。

 いつものように商店街の奥に着くと、真緒さんがテーブルに座って読書をしていた。


「今日も暇そうだね」

「余計なお世話よニート君。で? 今日は飲み物当てクイズはなし?」

「今日は違うものを持ってきた」

 

 俺は花を差し出す。真緒さんの目が大きく見開かれた。


「これ……」

「ありがとう。俺の話、いつも聞いてくれて」

 

 真緒さんは花を受け取ると、しばらく見つめてから顔を上げた。

「どうしたの、急に。何かあったの?」

「おばあちゃんの花畑を見てて思ったんだ。俺にとって必要なものって、もしかしたらもうここにあるのかもしれないって」

 

 俺は椅子に座って続ける。


「家にいても、親は俺を異物みたいに扱う。でも、ここに来ると真緒さんがちゃんと話を聞いてくれる。俺の発見を面白がってくれる。それって、俺には必要なことなんだ」

 

 真緒さんは花を両手で包むように持って、小さく微笑んだ。


「そんな大げさなことじゃないのよ。私もあなたとの会話、楽しみにしてるから」

 

 夕方の陽射しが二人を優しく包んでいた。真緒さんは花の香りを確かめるように、そっと顔を近づける。


「ありがとう。とても嬉しいわ」

「また今度、何か面白いもの見つけてくるよ」

「楽しみにしてる」

 

 俺は立ち上がって帰り道についた。振り返ると、真緒さんがまだ花を大切そうに見つめていた。

 家に帰って異物に戻る前に、もう少しだけ町を歩いてみよう。真緒さんに話せるような、新しい発見があるかもしれない。

 空を見上げると、今日の夕焼けはいつもよりも美しく見えた。

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