第二話
週が明けた月曜日、ホームルームで秋の文化祭についての話があった。今年の五年生のテーマは「私たちの宝物」。一人一つ、自分にとって一番大切なものを学校に持ってきて、それにまつわる思い出と共に展示するのだという。
「えー、何にしようかなあ」
「ゲームでもいいのかな……?」
教室がざわめく中、陽太は少しも迷っていなかった。翌日、彼が意気揚々と持ってきたのは、黒く艶光りする一本の万年筆だった。少し古風で、けれど丁寧に手入れされていることが一目でわかる。
「これ、死んだじいちゃんに貰ったんだ。すげえ物書きだったじいちゃんが、初めて賞を貰った時のお金で買ったやつなんだってさ」
宝物の説明をする陽太は、いつも以上に誇らしげだった。クラスメイトたちも「うわ、かっけえ!」「天野のおじいさん、すごかったんだな」と尊敬の眼差しを向けている。陽太の世界は、また一つ、輝かしいエピソードで彩られた。
僕はといえば、結局何も持ってこなかった。「そういうの、馬鹿らしいから」と、誰に言うでもなく呟いて、机の上の木目をなぞった。宝物なんて、僕にはない。陽太の隣というポジション以外、胸を張って「これだ」と言えるものなんて、何一つなかった。
放課後、文化祭実行委員の女子たちが、集められた「宝物」を展示用の台に並べていた。陽太の万年筆は、もちろん一番目立つ中央に置かれている。
その時だった。
「きゃっ!」
小さな悲鳴が上がった。見ると、実行委員の佐藤さんの手が、インクで真っ青に染まっている。そして、彼女が制作していた繊細な切り絵の作品の上にも、無残な青い染みが広がっていた。インクの発生源は、言うまでもなく陽太の万年筆だった。
「ご、ごめん! 佐藤さん!」
陽太が慌てて駆け寄る。しかし、佐藤さんは目に涙を浮かべ、ショックで言葉も出ないようだった。彼女が何日もかけて作っていたことを、クラスの誰もが知っている。
「どうしよう……」
いつもは自信に満ちた陽太が、心底困った顔で立ち尽くす。クラスの中心にいた太陽が、急に翳ったように見えた。周りにいたクラスメイトたちも、どう声をかけていいか分からず、遠巻きに見ているだけだ。
その光景を、僕は教室の隅から冷静に観察していた。陽太が困っている。彼が築き上げた完璧な世界に、亀裂が入った。その事実が、僕の心の奥底に、黒く甘い喜びをじわりと滲ませた。
——可哀想な、陽太。僕が、助けてあげないと。
歪んだ喜びと、奇妙な使命感が僕の中で一つになる。陽太をこの窮地から「救い出す」ための、完璧な筋書きが、頭の中にすっと浮かび上がった。彼を助ける唯一の親友として、僕の存在価値を、もう一度この教室に刻みつけてやるのだ。
僕はゆっくりと陽太に歩み寄り、彼の肩にそっと手を置いた。
「大丈夫だよ、陽太。俺に任せろ」
そう囁くと、陽太はすがるような目で僕を見つめ返した。ああ、そうだ。その顔が見たかった。
僕の計画に、一点の曇りもなかった。なぜなら、陽太の万年筆からインクが漏れ出したのは、偶然なんかじゃない。ほんの数分前、陽太が先生に呼ばれて席を外したほんのわずかな隙に、僕がペン先にほんの少し、細工をしておいたのだから。
全ては、僕の脚本通りだった。
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