第二章 二年の間に(蔵人編)

 蔵人とサムが出会って、二年が過ぎた。



 その間、二人は親交を深め、互いに得難い友人であると思うに至った。蔵人は剣の鍛錬の合間に、サムと城内で教え合った。蔵人はこの国の言葉を。サムはあらゆる知識を。

 ラッセル・サムという名の並びは、この曙王国の名の形に合わせたもので、氏と名が逆になっている事すら、蔵人には新鮮な知見だった。

 平明王にサムを紹介された日の、夕焼けの日光差し込む謁見の間。そこでは次のような会話が交わされた。

「サム・ラッセル……いいえ、ラッセル、サム、です」

 差し出された手を取り、蔵人は立ち上がった。

「結城蔵人です、サム殿」

 サムは首を傾げ、

「サム、違う、苗字。苗字、ラッセル」

 蔵人は玉座から立った平明王に助けを求めた。

「陛下、えっと、どういう事ですか?」

 平明王は笑いながら、蔵人とサムの傍に下りてきた。

「蔵人、お主には色々学問をつけさせるべきだな。サムとよく話し合う事だ。年齢も同じ、多感な年頃だ。剣の稽古も、サムから学問をつけてもらう事も、どちらもするのだ。

 このラッセル・サムは、海を渡ってきた魔法使いだ。余もこの者からは、大いに学びたいと考えている。だが、このサムの時間が空いた時は、お主はサムから様々な事を学ぶがよい。代わりにお主は、サムにこの国の言葉を教えてやれ。

 ラッセル・サムと名乗ったが、この者の故郷では、個人名が最初で、氏は後にくるらしい。互いになんと呼ぶかは、それぞれ決めるがよかろう」

 平明王は豊かに蓄えた茶髭から、歯を見せて笑った。そして握手しっぱなしの二人の肩を豪快に叩いた。蔵人は手を解き、騎士としての礼に従い頭を下げた。

「我が名は結城蔵人と申す。ラッセル殿、世の見聞について、ご教示いただきたい」

 畏まった口調に、平明王は苦い顔をして蔵人の背を叩いた。

「そのような堅苦しい挨拶などするな。もっと普段の口調で、友と話すがよい」

 勅命に従い、蔵人は笑顔で挨拶を言い直した。

「あーっ、よろしく!サム!」

 どこか怯えているような雰囲気だったサムは初めて笑った。

「よろしく、クロード」

 終生の友誼の誕生であった。



 剣は打ち直された。友も得た。あとは、あの武闘会での汚名返上を期すのみだった。

 暦に従い、月に一度開かれる武闘会に、蔵人は再度臨んだ。最初こそ、観客や参加者から白い目を向けられ、剣の柄には剣山を付ける嫌がらせも受けた。しかし、いざ武闘会となって正面から闘えば、蔵人は敵無しだった。それどころか、相手を見る時の視線に凄みを増すなど、成長著しかった。

 午前は剣の稽古に、午後は友となったサムと、城内に設けられたサムの居室で語り合った。平明王の命の通り、敬語は使わず、砕けた調子でのお喋りである。何しろ互いの言葉を理解せねば、会話もままならないのだ。どちらが教える側になる、という事になる前に、まずは名詞や動詞から伝え合いが必須となった。

 サムの居室に空いた小窓から、太陽の光が差し込んでいる。蔵人は光源を指して、

「太陽」

と述べた。すると、

「たいよう……sun?sunが、たい……よう?」

 サムが片言で反応した。

「Yes! サン、は、太陽」

 互いに教え合っているため、蔵人も少なからずサムの母国語に触れた。それだけでも、蔵人には得るものがあった。蔵人にとってはこの王国と、戦争状態の相手国が世界の全てであり、王国の言語が言葉の全てであった。それがサムと話し合う事で感化され、自分の住んでいる王国が、広大な世界の一部に過ぎないと学んだ。

 四大魔法使いの伝承も、サムから教示されるまで知らなかった。

「じゃあ、現代社会の基礎は、その四大魔法使いが築いたのか。でも、千年も前の事が、よくわかっているんだな」

 サムの居室で、国賓待遇のベッド上で蔵人はゴロゴロしながら言った。サムと出会ってから数ヶ月、互いの言語はほぼ理解できるようになった。

「本当に、サムは頭がいいな」

 机に向かって平明王依頼の書き物をしているサムに、ベッド上から蔵人は言った。

「そうでもない。僕の頭の良さは、知識の集積だ。僕からしたら、判断力や感覚を研ぎ澄ましている蔵人も、頭が良い」

「そうかな?」

 訝しむ蔵人に、サムは書くのを中断して答えた。体ごと向き直り、視線を真っすぐ蔵人に向けている。

「毎月の武闘会の闘いもそうだし、僕から吸収した知識による判断も、的確だと思う。陛下が可愛がるのも頷けるよ。やがては戦士兼武将を任せたいんだろう」

「陛下が――――」

 蔵人は言葉がなかった。本当なら光栄な話である。しかし、ふと武闘会という単語が引っかかった。

「まて、サムは、俺の武闘会での闘いを、毎月見てるのか?」

 サムは顎に手を当てて笑顔になった。

「ああ、この国に来た最初の日から、毎月ね。最初のは印象が強いな」

 蔵人は赤面して怒鳴った。

「やめろやめろ!忘れろ!」

 蔵人は更に、頭を抱えてうずくまった。どうやらサムとの友誼は、初めから上下関係になっていたらしい。



 年が改まり、蔵人が一五の数え歳を迎えた。そして成人扱いされる、正式に騎士の一人へと昇格した。

 真昼の陽の下、明るい王城の広間にて。騎士一同が参列する中で、蔵人は跪き、屹立する平明王から肩に剣の腹を当てて問われた。

「その方を、この王国に忠実な騎士と認める。承知するか、否か?」

 蔵人は答えた。

「身命を賭し、陛下の御意に従う所存にございます」

 平明王は笑みを浮かべ、剣を鞘に仕舞った。そしてサムから緋色のマントを受け取ると、蔵人に手ずから着けた。

「光栄に存じます、陛下」

「今後とも、武の道文の道、両方の鍛錬を欠かさぬように努めるが良い」

「御意」

 平明王の言葉に、全力で臨む思いを新たにした。

 この国の騎士とは、馬と馬具を下賜されるに足る武勇の証となる存在である。馬を飼い馴らし、手入れをするのは高くつく。この国には馬の産地たる高原に恵まれ、騎兵の運用が可能となっていた。現在、戦争状態にある邑諸都市連合にはない強みだ。

 緋のマントに身を包んだ蔵人は立ち上がり、平明王は玉座に戻った。

「さて、今は冬季。戦も休みだ。そこで、騎士となった蔵人に、頼みがある」

 王の言葉に、

「何なりと」

 蔵人は再度跪いた。

 勅命は、意外なものだった。

「宮廷魔法使いのサムに、馬術を教えて欲しいのだ。戦の際、サムには余の元で助言や魔法を駆使して欲しく思うておる。その際、馬が無くては余の動きについてこれぬ。

 誰かに教えられるだけ習熟してこそ、真の技能というものだ」

 玉座の傍らに立つサムを、蔵人は一瞥した。苦笑する友の姿が目に入った。

 蔵人は言った。

「御意のままに」

 しばらく先生役を交代しての、指導が始まる事になりそうだった。



 数ヶ月後、春を迎えて都市連合との戦が再開された。サムはその時までに、馬を操る技能を完全に習得していた。蔵人もサムも、技能や知識の呑み込みが早い。互いの習得速度には、両者とも舌を巻いていた。

 蔵人は先陣に、サムは王の幕僚として、陣の一部を成していた。戦の規模は、双方の参戦者の合計が二〇〇〇を少し超える程度である。曙王国側の兵力は一一〇〇、都市連合側は一〇〇〇程だ。平原に布陣して睨み合い、いつ衝突してもおかしくない。

 馬上で完全武装した蔵人は手が震えた。それを隣の先輩騎士に気づかれ、からかわれた。

「おいおい、いくら初陣だからって、王国一の剣士様が震えてるのか」

 わざと大きい声で言って、周囲の笑いを誘った。しかし蔵人は、意識は冷静だった。

「はい、怖いのです。だからこそ、楽しみで仕方ありません。ようやく、我が剣を陛下のために振るえるのですから」

 つまりは、蔵人の震えは武者震いである。

 意気込む蔵人に、騎士を統率する老騎士が注意した。

「いくら強くとも、また、どんなに大きな手柄を立てる機会に恵まれても、陛下やわしの命令を無視してはならぬぞ。たとえ敵の総大将の首に剣を突き立てる寸前であっても、命令があれば直ぐに戦うのを止めるのだ。それを忘れるな。

 戦においては、良くも悪くも兵士一人は駒の一つだ。駒は勝手に行動してはならない」

 蔵人は、

「肝に銘じておきます」

と、短く答えた。

 一刻程の睨み合いの後、騎士たちに前進の命が下った。

「征くぞ!総員、右方へ微速で前進!」

 騎士団長の一声で、騎士隊の全員は動き出した。といっても全速での突撃ではない。総員八〇〇余りの歩兵は、敵歩兵隊と既にぶつかり合っている。歩兵隊と戦っている敵の歩兵の、側面を突くのだ。最初は敵に気取られる事なく、静かに進んだ。

 やがて、号令が発せられた。

「全速前進!」

 蔵人も駒の一つとして、馬に鞭を入れ、同僚たちと共に突撃していった。



 突撃は、最初こそ上手くいったようだった。側面を突かれた敵歩兵たちは混乱し、次々と騎兵の槍や剣で倒れた。蔵人も長い槍で、敵兵を刺していった。

「撃破、一人、二人!」

 致命傷を与えて倒れる敵兵を、蔵人は数えた。

 敵歩兵隊が、前方と側面の二方向からの攻撃で、混乱に陥った。

 勝ったと、曙王国軍側の誰もが思った。唯一の例外はいたが。

 不意に、蔵人は妙な気配を感じて、騎士隊の側方に目を転じた。そこには、丘の上に勢揃いした、敵弓兵の一軍がいた。

 蔵人は目を見開き、寒気に犯されつつも声の限り叫んだ。

「右側面に敵弓兵!数は一〇〇以上!」

 騎士団長以下、勢いに酔っていた騎士は一斉に横へと視線を向けた。同時に、騎士たちは矢の斉射を浴びた。

「ぎゃあ!」

 敵兵の悲鳴であふれていた戦場は、味方騎士の悲鳴に背景音を変えた。いかに頑丈な鎧でも、十分な速度の矢を弾く事は叶わない。

 先頭にいた騎士団長も、肩を矢で射抜かれた一人だった。

「くそ……ぬかったか」

 団長は落馬をかろうじて堪え、馬上に踏み止まった。

「よくも……くらえ!」

 蔵人は手持ちの手裏剣を数度投げた。敵にも負傷兵が出ると、矢の斉射は怯んだ。

「団長!今のうちに!」

 蔵人の合図に、

「うむ、全員退け、退けぇ!」

 騎士団長の大きな一声の下、騎士たちは馬を転身させ、退却を始めた。折しも、大量の小さな火球が敵弓兵に襲い掛かり、退却の援護となった。

 敵に背を見せるなど、屈辱の極みである。だが、蔵人一人残ったところで、殿にすらならないだろう。蔵人はあくまでも、騎士団の一員、駒の一つという立場を忘れなかった。



 その日の戦は、痛み分けといった形で終わった。敵軍に十分な打撃を与えたものの、騎士たちの犠牲により、勝利とまでは言えなかった。聞けば騎士の退却を助けた火球は、平明王がサムに命じて、敵へのとどめとして用意されていた物らしい。つまり、こちらの持てる手段は、全て使った結果が引き分けなのだ。その事実の前には、歩兵たちも騎士たちも閉口せざるを得なかった。

 騎士団長の負傷が軽度で済んだ事が、蔵人にとって慰めだった。間近で見た上官の負傷の瞬間が、蔵人の目に焼き付いている。一歩間違えば潰走もあり得た場面で、整然と退却できたのは大きかった。

 戦闘が止み、夕暮れの薄暗い中で、蔵人たちは遺体の回収にあたっていた。この時ばかりは敵味方関係ない。両陣営の兵士たち総出で、間近で死者の埋葬にあたった。

 蔵人も鎧を脱ぎ、軽装で遺体・遺品の回収に明け暮れていた。そこへ、都市連合の人物が近づいてきて、やはり遺品回収を始めた。しかし損傷の酷い遺体から、遺品の首飾りを取り外すのに四苦八苦していた。

 蔵人は自然と近づき、

「手伝います」

と言った。しかし、相手は言葉の異なる都市連合の人間である。相手は一歩退いて警戒した。

 蔵人は、身振り手振り、拙い語学力で意思を述べる必要性に迫られた。

「戦い、違う。二人で、首飾り、外す」

 正しく伝わったかはわからない。しかし相手は、蔵人に近づいてきて、共に遺品回収を始めた。最低限の内容は理解されたようで、蔵人は安心して死者の鎧を外した。

 二人がかりで作業したため、遺品は簡単に外せた。首飾りを持って去ろうとする相手に、蔵人は名乗った。

「私、蔵人」

 相手は目を見開き、その後、ややためらいがちに、

「ワタシ、ジョウ」

 そう名乗った。そして敵陣に向かって歩いていった。

 蔵人はその場に立ち尽くし、相手の名を頭の中で反芻していた。

「ジョウ、どこかで聞いたような……まさか!都市連合軍総司令の、周遜(ジョウ・スン)?」

 蔵人は仰天していた。敵の指揮官が、こんな作業に携わっているなど、にわかに信じがたい。しかし、周総司令は傭兵の身分ながら、兵士からの信望が厚い理由も納得できた。気さくな態度、雑兵に混じっての作業など、兵士からは戦友に映るだろう。

 ただ、蔵人は同じ行為を王に求めるつもりはない。むしろ王の手に血が付いては、その統治も血に染まるだろう。平明王と周では立場が違う。

 それでも、周の行為は一つの感銘として、蔵人の胸に刻まれた。

 日は没し、本格的な宵闇が辺りを包み始めていた。



 成人の儀、騎士叙勲の儀から更に一年。蔵人は婚礼を一ヶ月後に控えていた。相手は貴族階級の一人娘である。政略の結果だが、没落騎士の家に生まれた蔵人には有り難い話だ。

 曙王国で貴族階級とは、騎士の上位層か、行政に携わる文官の上位層である。世襲で身分が継承される事が多く、騎士の成れの果てのような蔵人にとって、貴族の娘との結婚は異例なのだ。これは、貴族階級から転落寸前の一家が、騎士として実力で頭角を現す蔵人に目をつけた結果だった。

 政略結婚のため、蔵人は一度会った事があるくらいで、会話もした事がない。結婚がどういうものかも、よくわからない。しかし、これも大人の義務として、こなしていくつもりだった。大人になると、昔の武闘会のように、なかなか感情のままに行動できない。正直、窮屈な思いは抜けなかった。

「おい、蔵人」

 サムの声に、蔵人は我に返った。友の部屋を訪ねて、談笑に耽っていたのだった。

「蔵人、最近ぼーっとしている事が多いぞ。婚礼も来月だっていうのに」

「なんだかな。成人して結婚も決まって、大人になっていくのが信じられなくてな。騎士見習いの頃は、騎士たち全員は皆立派に見えたし、貴族は雲の上の存在だった。だが自分が騎士になり、結婚して大人になっていくと、自分の未熟さばかり感じる。

 このままじゃいけない……焦っているのかな、俺は?」

 友は目を瞑り、鼻で笑った。

「なんだよ、その態度は?俺、変か?」

 サムの態度に、蔵人は不服を露わにした。サムは言った。

「僕も、その悩みは何度も感じてきたからね。むしろ、その悩みを今まで蔵人が感じて来なかったのかと思ってさ」

 友は机上の本を閉じ、椅子にだらけて部屋の中央に座す蔵人に向き直った。そして蔵人の目を直視してきた。

「僕は、村一番の不出来な子供と言われ、育った。幼い頃は、年上の人たちどころか、同じ年齢の子たちすら大人と感じた。そして羨んだ。

 でも、僕の魔法の師匠が村を訪れて、段々と違うと気づいていった。

 幼児は少年に、少年は青年に、青年は壮年に……という風に、年上の人物たちを威厳ある存在に感じるものだ。

 結局のところ、人は自分に出来る事しか成せない。そしてそれをこなしていれば、未熟でもなんでもないのさ」

 蔵人は目を丸くして、言葉がなかった。その様子を見て取ったサムは、

「なんだい?何か変か?」

と、先程の蔵人のような質問をした。蔵人は答えた。

「サムってすごいな。俺は年上の人よりも前に、サムから得られるものを吸収し切れてない」

 サムは肩をすくめて、

「褒めても何も出ないよ」

 そう言った。

 二人が談笑に耽る中、急に悲鳴が聞こえた。二人は反射的に立ち上がり、同時に、

「なんだ?」

と口にした。

 やがて悲鳴は、城内、屋外、男女問わず、あちこちで聞こえてきた。

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