婚約破棄されましたが、おかげで聖女になりました
瀬崎由美
第1話・婚約破棄
管弦楽団の奏でる音楽が流れる中庭で、リボンとフリルで装飾されたドレスを身に纏った女子生徒がクルクルと回りながら踊っている。エスコートしている男子生徒は着慣れないタキシード姿で普段よりも背を伸ばし、緊張した面持ちを浮かべていた。
王都の貴族達ばかりが通う学園に比べたら、ここにはそこまでの華やかさはないだろう。貴族も通ってはいるがせいぜい男爵位。商家の子息・令嬢のような比較的余裕のある平民が中心の学園だからだ。
今日は学園の卒業パーティーが催される日。エスコートしてくれるはずの婚約者から、『やぱり現地で待ち合わせしよう』という連絡が来たのはほんの一時間半前のこと。迎えの馬車が来るものだと思っていた我が家は、慌てて馬の手配をし直す羽目になり、私が会場に着いたのはおそらく生徒の中では一番最後だっただろう。
音楽が途切れたタイミングで遅れて中庭に顔を出した私は、見知った学園仲間達から一斉に注目を集める。今日のためにと両親が用意してくれたドレスは、最近王都で人気があるというデザイナーに一年前からオーダーしていたものだ。これを着こなせるよう体重管理には十分注意したつもりだったが、良いのか悪いのか胸元だけは若干苦しさを感じていた。成長期真っただ中の十六歳なのだから仕方ない。
会場内を見回して、私はドリンクが並ぶ隅のテーブルの前に婚約者であるセドリックの姿を見つけた。我が家と同じく男爵家の子息である彼は、普段からつるんでいる学友達に囲まれて楽しそうに笑っている。その彼の隣にぴったりとくっついて腕に手を添えているのは、クラスメイトのミレー。大きな商家の娘なだけはあり、キラキラと光るラメ入りのリボンで腰回りを強調した華やかなドレスを着ている。
——なんで、ミレーがセドリックと一緒にいるのよ?
婚約者はまだいないミレーのエスコート役は一つ上の兄がすると聞いていた。なのにまるでセドリックのパートナーであるかのように、彼の隣に居座っている。私はムッとした気分を表情に出さないよう気を付けながら、婚約者の元へと近付いてから声を掛けた。
「セドリック、遅れてしまって、ごめんなさい」
あなたが急に迎えに来ないっていうから、こっちは朝から大変だったのよ、というクレームを言いたくなるのはグッと我慢。近い将来に伴侶となる相手なのだから、つまらないことでは喧嘩したくはない。周りの学友達に対してもにこやかに微笑みかけながら、私は男爵令嬢として立ち振る舞う。私もセドリックもこの学園では数少ない貴族で、その挙動は常に注目を浴びやすいことを知っているから。
すると私の声掛けに、セドリックの周りの生徒達がクスクスと笑い始める。よく見れば他の生徒達も私達の様子を遠巻きに見るような視線を送っていた。私は訳がわからないと、少し離れた場所にいた友人達のことを首を傾げて見る。普段ランチを一緒に取る事が多いナーシャ達はオロオロした顔で何か言いたげにこちらを見守っているようだった。
——え、何? 何なの……?
遅刻したと言っても、別にそこまで遅かったわけじゃない。もちろん、場違いに思われるような装いも振舞いもしてはいないし、私にはこんな風に皆から笑われている理由がさっぱり思いつかない。キョトンとセドリックの顔を見上げる私に対し、彼は笑いを耐えた表情で突然言い放ってきた。
「アイラ・ロックウェル、君との婚約は無かったことにしよう」
彼の台詞に、周囲の生徒達がドッと笑い声を上げる。セドリックにしがみついたままのミレーは彼の腕に顔を隠しながら肩を大きく振るわせていた。私の顔を見てもまだ彼から離れるつもりがないようだ。
私は婚約者が口にした言葉を頭の中で反芻する。「婚約を無かったことに……?」親同士が決めた政略結婚。貴族の家に生まれた私達は当たり前のように幼い頃から受け入れていたはずだ。それをセドリックは親への相談もなく、いきなりこんな公衆の面前で破棄を宣言してきた。
「それはご両親もご存じなのかしら?」
「いや。親へは帰ってから話すつもりだ。とにかく、俺が君との関係は無かったことにしたいと思ってる」
「……理由を伺っても?」
周囲のクスクス笑いはずっと収まらない。我慢ならないと手を叩いて笑い出す者まで出ている。この時点で、私はあることを察して呆れた溜め息が出そうになった。
——なんて、バカバカしい……
私が深く追究してくるのは想定していなかったらしく、セドリックは「えっと……それは……」とタジタジし始める。その彼を横から急かすように小突いているのは、大きな農園を営んでいるモリス家のニール。ニヤニヤと揶揄うような嫌な笑顔を浮かべている。
次の言葉が出ないセドリックに代わって、ミレーが笑い過ぎて目に涙を浮かべながら口を開く。
「彼は私と婚約し直すの。だから、あなたとの婚約は破棄してもらわないと困るのよ」
「家同士が決めたことだから、理由もなく解消なんてできないわ」
「そうね、理由は、私への嫌がらせの数々かしら」
「嫌がらせって、何のこと?」
全く身に覚えがないと首を傾げる私に、ナーシャ達が憐れみの視線を送ってきているのを感じる。気の弱い友人達にはこのバカげたやり取りから私を救い出してくれる力はない。
私とミレーの会話を聞こうと、離れたところにいたはずの生徒達まで集まり始めている。群衆に囲まれた中で、私はグループでいるセドリック達に対して一人で立ち向かっている状態だ。胃がキリキリと痛み始める。
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