すけべ怪談
辻沼藤虎
若返りの水
カラッと晴れた夏空が広がる祖母の宅で、小学生のわたしはバケツを引っくり返したような雨に打たれた。
驚き振り返ると、再び頭上に雨。少し離れた場所で、叔母がホースを振り回しているのが見えた。
昨年の豪雨など嘘だったかのように、その年は
「若返りの水じゃあ」
昨日の昼から離れに籠もっていた叔母だったが、暑さに奪われたなにかを取り戻さんとばかりに、水あそびに興じていた。
龍になるつもり? と近づいたわたしの目に写る、叔母の透けた白い肌と輪郭を強調させるかのような黒い装飾の
「りゅう?」
そう問い返す叔母の言葉に答えを返せないわたしの目は釘付けになっていた。その
――びしゃりと冷たい窒息感が私の視界を遮った。
「若返りの水をくらえッ」
叔母はことあるごとにわたしの小さかったころの話をしていたが、わたしを若返らせてどうするつもりだったのだろうと、いま思い返して思う。
笑う叔母の隙をついてホースを奪うと、そこから先はもう
祖母が気づいたころには、わたしは追い詰められ、叔母が
もちろん、しこたま怒られた。
その日の夜、わたしはあの時見た光景の意味を考えた。叔母の透けた白い肌に、黒いなにかの跡のようなものが這っているのが、ありありと思い浮かぶ。
あのあと、叔母は昨日と同じように離れへと戻っていった。叔母が離れで何をしているのか、そのときのわたしは詳しくは知らなかったが、食事や飲みものを頼まれて、離れへ向かうことは
それでもついぞ、叔母はわたしを中に入れてはくれなかった。
叔母は謎の多い人だ。収入はあるようだが、どんな仕事をしているのか、なぜ離れに住んでいるのか、その答えを知る機会はほとんどない。
この謎に答えが出るのはいつだろうと子ども心に考える。
わたしの中には漠然と、それでいて確固たる確信があった。決して、それは幼い幻覚でも間抜けな妄想などでもない。
わたしが抱えるこの不安や
――喉の渇きと同時に尿意に襲われ、わたしは思考の渦から引き上げられた。
そそくさとトイレを済ませ、冷蔵庫からペットボトルを取り出すと、窓の外に明かりが見えた。
叔母の離れだった。
それは特段、珍しいことではない。そのとき変だったのはわたしの方だった。体の奥底に
若返りの水。叔母の声が頭の中で響いた。熱を冷ますかのように、ぐっと一口飲み込むも、その冷たさがより熱の熱さを際立たせるだけに終わった。
気づけばわたしは離れの壁際に身を隠していた。耳を澄ませ、忍び足で明かりの漏れる窓へと歩み寄る。
虫の音がやけにうるさく聞こえていたのを覚えている。叔母は起きているはずだが、不思議と中から物音などはしなかった。
恐る恐る窓を覗き込む。カーテンが閉まっているものの、まるでこしらえたような隙間があいており、そこから光が漏れている。
叔母の背中が見えた。
陶器のような肌に、黒地の紐が肩へ胸へと延び、暖色の淡い灯りで照らされている。脳裏に焼き付いた昼間の姿とは別人のように思え、下腹部に奇妙な
その姿に
叔母がベッドの上にいることに、そのとき気づいた。枕元に顔を
――わたしはギョッとした。叔母はベッドに寝ている人影に馬乗りになっていたのだ。
しばらくして、叔母はゆるりと立ち上がった。
寝ている影はぐったりと動く様子はない。
叔母の肉感的な体が照らされ、
ゆっくりと叔母の指が、彼女の輪郭をなぞるように踊りだす――
――と同時にわたしの
彼女の肌を這うそれは、背中ごしに見える
それは確かにただの布地、装飾の一部でしかなかった。しかし、当時の私の目に写ったのは、叔母の肌を這い、
見てはいけないものを見た。そう思った。
解くべきでない謎を解いた。そう悟った。
子どもにはもう
わたしは握ったままのペットボトルを見つめ、ひとくち、口に含む。
ぬるくなった水が
昔々、とあるお姫様は若返りの水を飲んで、龍に
確かなのは、その水がただの水にしか思えなくなったことだけだ。
わたしはそれがひどく、ひどく悲しくなった。
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