終章:二人だけの真実(トゥルース)

 裁判が終わった一週間後、私たちは再びあのジャズバーにいた。今度は事件の打ち合わせではなく、私的な時間として。


 カウンターに並んで座る私たちの関係は、一週間前とは明らかに変わっていた。怜は時々私の手に触れ、私もそれを拒まなかった。


「晶さん」


 彼が私を下の名前で呼ぶのにもすっかり慣れた。


「でも正直まだ慣れないわ。嘘を見抜くことしか知らなかった私が、誰かを信じるということに」


「僕も同じです。でも、不思議なことに、先生といると嘘をつきたいと思わない」


「それは私の能力のせいよ。つこうと思ってもすぐバレるから」


「いえ、違います」


 怜は真剣な顔で私を見つめた。


「先生……いや、晶さんになら、


 その言葉に、私の心が温かくなった。この感情は何だろう。これが「愛」というものなのだろうか。


「怜」


「はい」


「一つ約束して」


「何でも」


「私に嘘をつかないで。例えそれが優しい嘘でも」


「約束します。では晶さんも約束してください」


「何を?」


「僕が本当のことを言った時、それを疑わないでください」


 私は少し考えてから頷いた。


「約束するわ」


 そして怜は私の顔をじっと見つめて言った。


「僕は晶さんを愛しています。能力も含めて、あなたの全てを」


 私は彼の顔を観察した。微表情分析の全てを使って。そして確信した。


「嘘は、ない……」


「当然です」


 怜は微笑んだ。


「では、僕も確認させてください。今の晶さんの顔には何のサインが出ていますか?」


 私は自分の頬が熱くなるのを感じた。


「『この男性を愛している』という、隠しようのないサインが出ているでしょうね」


「はい、はっきりと見えます」


 私たちは同時に笑った。そして私は思った。もしかしたら人間は、真実を伝えるために嘘をつくこともあれば、嘘を恐れるあまり真実から逃げることもあるのかもしれない。


 だが私たちは違う。私たちは嘘と真実の両方を知った上で、それでも愛し合うことを選んだのだ。


「晶さん」


「何?」


「これから僕たちにはどんな未来が待っているでしょうね」


「さあ。でも一つだけ確実なことがある」


「何ですか?」


「私たちの間に嘘はない。だからきっと、大丈夫」


 私たちの静かで知的で、そして少しだけスリリングな心理戦は、法廷の外でまだ始まったばかりだ。そしてそのゲームの結末は、きっとどんなAIにも予測できないだろう。


 なぜならそれは、私たち二人だけの真実なのだから。


 バーのスピーカーからは、再びマイルス・デイビスの「Kind of Blue」が流れていた。私は思った。愛とは最も複雑で矛盾に満ちた感情だ。それは時に人を盲目にし、時に人を最も鋭敏にする。


 だが私にとって愛とは、相手の全ての嘘を知った上でそれでもその人を選ぶことなのかもしれない。そして怜にとって愛とは、全ての真実を受け入れてくれる人を見つけることなのかもしれない。


 私たちは決して普通のカップルにはなれないだろう。彼は論理の人で、私は直感の人。彼は証拠を信じ、私は微表情を信じる。


 でも、だからこそ完璧なのかもしれない。私たちは互いの欠けている部分を補い合い、真実への異なるアプローチを持ちながらも、同じゴールを目指している。


 そして何より――私たちは嘘に傷つけられた者同士として、真実の価値を誰よりも理解している。


「怜」


「はい」


「また一緒に事件を解決しましょう」


「ええ、ぜひ」


 私たちの物語は、これからも続いていく。嘘と真実の境界線で、愛と信頼を武器に、人間の心の謎を解き明かしながら。


 そして私は確信していた。この男となら、私の三十二年間の孤独は、ついに終わりを迎えるのだと。


(了)

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【法廷恋愛短編小説】その嘘を、見抜かないで ~0.2秒の恋人は真実を語るか~(約9,000字) 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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