第三章:優しい嘘のアリバイ
事件に大きな転機が訪れた。怜の緻密な捜査により、被害者の田中慎也の隠された一面が明らかになったのだ。
表向きは会社の第一秘書である山田美香との恋人関係で知られていた田中だったが、実際には彼女との関係は会社での体裁を保つためのものだった。真実は、田中は安達祐子と三年間同棲関係にあり、さらに最近になって別の男性とも関係を持っていたのだ。
つまり田中は、二人の女性と一人の男性という三角関係を巧妙に使い分けていたのだ。
私はもう一度、全ての証言映像をゼロから見直すことにした。何時間も何時間も、モニターの中の安達祐子の0.2秒の世界を分析し続けた。そしてついに一つの決定的な違和感にたどり着いた。
安達祐子が殺害された被害者の名前を口にする時、彼女の顔には確かに悲しみの表情が浮かぶ。だがその直前、ほんの一瞬だけ全く別の感情が現れては消えていたのだ。
それは「怒り」。
それもただの怒りではない。深く信頼していた人間に裏切られた者だけが浮かべる特殊な怒りの微表情。
「わかった」
私は怜に電話をかけた。
「彼女と被害者はただの親友じゃない。恋人同士だった。そして彼女は、彼の裏切りを知ってしまったのよ」
私のその突飛な仮説を、怜は今度は一笑に付さなかった。彼はすぐに裏付け捜査を開始した。そして真実が明らかになった。
被害者の田中慎也はバイセクシャルだった。
彼は会社では第一秘書の山田美香と恋人関係にあると思われていたが、プライベートでは安達祐子と長年同棲関係にあった。そして最近、新しい男性の恋人もできていたのだ。
その相手は、IT業界で田中のライバル会社を経営する若手社長、林真一(三十五歳)だった。
そして事件の夜、田中は安達祐子に全てを告白していた。林との関係、そして彼女との関係を終わらせたいということを。
安達祐子は愛する人の裏切りに絶望し、そして林真一への憎悪に燃えた。彼女は田中を殺害したのではない。田中を奪った林真一を殺害したのだ。だが計画は失敗し、間違って田中を殺してしまった。
その後、彼女は罪を山田美香に着せようと証言を偽った。だがその根底にあったのは、田中への愛と憎しみ、そして自分自身への絶望だった。
真実が見えた時、私は安達祐子という女性に深い同情を覚えた。彼女もまた私と同じように、愛する人の嘘に傷つけられた女性だったのだ。
最終弁論の日。
怜は私と二人で見つけ出したこの新しい真実を武器に、安達祐子を法廷で追い詰めた。彼は最後に彼女にこう問いかけた。
「安達祐子さん。あなたは本当に彼を愛していたんですね?」
その言葉に、安達祐子の完璧な氷の仮面がついに崩れ落ちた。彼女は法廷でわんわんと泣きじゃくりながら全てを自白した。それは0.2秒では収まらない、はっきりとした人間の悲しみの顔だった。
事件は解決した。だが私の心は晴れなかった。私たちは真実を暴いた。だがそのことで誰かを本当に救うことができたのだろうか。嘘と真実の境界線は、私が思っていたよりもずっと曖昧で、そしてもの悲しい色をしていた。
そして私は気づいていた。この事件を通して、私の中で何かが変わり始めていることに。怜という男が私に与えた影響の大きさに。
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