エピローグ

 文化祭の翌週、僕らは近所の小さな公園でまたセッションをした。ギターを弾く僕と、腰を下ろして歌う彼女。ベンチには缶コーヒー。風は弱い。夕陽が温かい。


 通りがかったおばあさんが立ち止まった。


「いいねえ、その曲。テレビの曲?」


「いいえ。――わたしたちの曲です」


「そうかい。若いっていいねえ」


 おばあさんは笑って行った。どこにでもある会話。どこにでもある時間。僕らはそこで、音をひとつ置いて、またひとつ置いた。世界は相変わらず騒がしく、SNSは相変わらず勝手に話し、明日は相変わらず忙しい。それでも、この瞬間は確かだ。


 星名ほのかは、やっぱり普通にはなれない。天性は消えない。眩しさは人を集める。彼女のもとには、きっとまた光と影がやってくる。僕の目の下のクマは、たぶん、また増える。


 でも、いい。


 僕らには「ふたりの窓」がある。音と音の間に置いた、小さな約束がある。そこに戻れば、僕らはだいたい元に戻れる。


 ある側面では、これはハッピーエンドだ。別の側面では、まだ道の途中だ。どちらでもいい。物語は続く。僕らは歩く。僕は弦を張り替えることを覚え、彼女は笑顔のオンオフを覚える。親には適度に怒られ、先生にはほどよく注意され、購買のおばちゃんには新作パンをすすめられる。


 夜、家の前でギターを弾くのは、もうやめた。近所迷惑だから。代わりに、音楽室で、窓を少しだけ開けて弾く。風が、音を乱暴にしないように。


「湊」


「ん」


「今日のクマ、いい感じ」


「やめろ」


「ほめてる」


「ほめるところの基準が狂ってる」


「普通の基準は、ひとそれぞれ」


「それはそう」


 僕は笑って、彼女も笑った。封印解除は、彼女自身の手で。天性の輝きは、そのままに。僕らは、その間にある狭い道を、肩を並べて歩く。


 ――特別になりたい僕と、特別をやめたい君。交差点で出会って、同じ歩幅で進む。そういう話。そういう日々。そういう未来。


 星名ほのかは普通になれない。それでも、僕にとっての彼女は、いつでも「ただのほのか」だ。彼女にとっての僕は、いつでも「普通の湊」だ。


 それでいい。それがいい。


 そして、たぶん、それがいちばん、特別だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

星名ほのかは普通になれない Loser @opp14

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ