第42話:証明完了
桐生刹那の体が、糸が切れたようにマットに崩れ落ちる。
後楽園ホールは、一瞬、水を打ったように静まり返った。
誰もが、今目の前で起こったことを理解できずに、息を呑んでいる。
レフェリーが、慌てて二人の間に割って入り、カウントを始めた。
「――ワン! ツー! スリー!」
だが、そのカウントは、ただの形式的なものに過ぎなかった。
桐生の目は虚ろで、立ち上がる気配は微塵もない。
レフェリーは、カウントを途中で止めると、大きく両手を交差させた。
「――勝者、春海悠ーっ!」
リングアナウンサーの絶叫が、静寂を破る。
その瞬間、後楽園ホールは、地鳴りのような、爆発的な大歓声に包まれた。
『き、決まったーっ! 第二ラウンド、KO! 氷の戦略家・桐生刹那を、フィジカルモンスター・春海悠が、完璧に、完璧に打ち砕きましたーっ!』
実況アナウンサーの声が、興奮で裏返っている。
俺は、そんな狂騒の中心で、ただ静かに自分のコーナーへと戻った。
「悠! やったな!」
ユウトが、泣きそうな顔で俺に抱きついてくる。
真壁さんは、何も言わず、ただ俺の頭を無言で力強く撫でた。
その手のひらが、少しだけ震えているのに俺は気づいていた。
◇
『……信じられない。言葉が見つかりません。ただ、とんでもないことが今このリングで起きている……!』
解説席で、木戸健司が、呆然とマイクを握りしめていた。
その顔には、もはや解説者としての冷静さはなく、一人の格闘技ファンとしての、純粋な興奮と畏怖が浮かんでいる。
『第一ラウンド、桐生選手の動きは完璧でした。データ通り、彼は春海悠という怪物を、完全に支配していた。だが、違った。支配していたのではなく……させられていたんだ!』
木戸の声に、熱がこもる。
『信じられない……。ですが、これは現実です。春海悠は、あの第一ラウンドのわずか三分間で、桐生選手の動きを、完全に『盗んで』しまったんですよ! そして第二ラウンドでは、その盗んだ技術を、桐生選手本人よりも速く、そして鋭く、完璧に使いこなしてみせた……。あんな芸当、常識では考えられません! 人間の学習能力の限界を、完全に超えています!』
木戸は、興奮のあまり、立ち上がって叫んだ。
『――訂正します! 彼は一発屋などではなかった! 彼は本物だ! 城島龍也という絶対的な王者がいるこの階級に、とんでもない挑戦者が現れたぞ! まだ二戦だ。まだ王者の背中は遥か遠い。だが……! もしかしたら、我々はその不動の王座を揺るがす最初の地響きを、今、聞いているのかもしれない!』
その魂の叫び。
それは、その日会場にいた全ての観客の気持ちを代弁していた。
◇
リング上では、ドクターチェックを受けていた桐生選手が、ゆっくりと意識を取り戻していた。
彼はセコンドに支えられながら立ち上がると、呆然とした表情で俺の方を見た。
その目には、もう、かつてのような自信の色はない。
ただ理解できないものに対する純粋な恐怖だけが浮かんでいた。
俺は桐生選手に静かに歩み寄った。
そして、深々と頭を下げる。
観客席から、どよめきと、そして温かい拍手が沸き起こった。
桐生選手は、しばらく俺を見つめていたが、やがて小さく、そして力なく頷いた。
言葉はなかった。
だが、それで十分だった。
俺の二戦目。
デビュー戦がまぐれではなかったことの証明は、これ以上ない形で完了した。
◇
その夜。
とあるジムで、一人の男が、その試合の映像を冷たい目で見つめていた。
K-STORMミドル級ランキング1位”閃光”速水瞬。
速水は桐生選手をKOしたシーンを何度も繰り返し見ると、ふん、と鼻で笑った。
「……なるほどな。パワーと少しばかりの学習能力か。だが所詮は止まっている的を撃つだけの鈍重な大砲だ」
彼は立ち上がると鏡の前で、目にも留まらぬ速さのシャドーを始めた。
「俺のスピードに、その眼はついてこれるかな。光を捉えることは誰にもできやしないさ」
そして、また別の場所。
王者、城島龍也もまた、その映像を食い入るように見つめていた。
彼の表情は険しい。
「……化け物め。だが、面白い」
王者の目に初めて挑戦者を迎え撃つための、熱い炎が灯っていた。
俺の知らない場所で次なる戦いの歯車は、すでに静かに回り始めていた。
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フィジカルモンスターが行く! 〜身体能力だけであらゆるスポーツを無双します〜 逢坂 @aisaka_zzZ
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