第39話:氷の戦略家
俺の第二戦の相手が、ランキング五位の桐生刹那に決まったというニュースは、格闘技界に新たな火種を投下した。
デビュー戦の衝撃的なKO劇が「まぐれ」だったのか、それとも「本物」だったのか。
その答えを出すための、最高の査定試合。
ファンも、メディアも、そしてアンチたちも、誰もがこの一戦に注目していた。
◇
「――データは、全てインプット済みだ」
都内にある最新鋭のトレーニング設備が整ったジム。
桐生刹那はタブレットに映し出された俺のデビュー戦の映像を、冷たい目で見つめていた。
その隣で彼の専属コーチが尋ねる。
「どう見る、刹那。世間じゃ怪物だの天才だの随分と騒がれているが」
「フン……。ただの獣だろ」
桐生は映像を一時停止させると、俺がKOを決めたジャンピング・スピンフックキックのシーンを指でなぞった。
「見てみろよ、この大振りの蹴り。確かに身体能力は認めよう。だが、その動きには一切の『思考』がない。感情のままに本能だけで動いている。野生動物と何ら変わりはない」
彼はタブレットの電源を落とすと、静かに立ち上がった。
「戦略も戦術もない。ただ身体能力に任せて暴れているだけだ。そんな獣を狩るのは簡単なことさ。俺の『頭脳』の前では、な」
彼の目には俺という存在が分析の済んだ、ただのデータにしか映っていなかった。
◇
試合一週間前。
都内のホテルで記者会見が開かれた。
会場には無数のフラッシュと、テレビカメラが並んでいる。
「――それでは、まずは挑戦者、春海悠選手! 桐生選手の印象と試合への意気込みをお願いします!」
司会者にマイクを向けられ、俺は立ち上がった。
「桐生選手は、すごく頭のいいクレバーな選手だと聞いています。自分とは正反対のタイプなので戦うのが楽しみです。頑張ります」
俺のあまりにも素朴なコメントに、会場からはわずかな失笑が漏れた。
続いて桐生選手がマイクを握る。
彼は氷のような笑みを浮かべて、ゆっくりと口を開いた。
「春海くんのデビュー戦、見させてもらったよ。素晴らしい身体能力だ。まるでサーカスのようだね」
その言葉に会場がざわつく。
明らかな挑発だった。
「だが、リングはサーカスじゃない。暴力に知性が伴って初めてそれは『格闘技』というアートになる。君のやっているのは、ただの暴力だ。次の試合、僕が君に本当の『技術』とは何かを教えてあげるよ」
その、あまりにも理知的で、そして見下したような物言い。
俺の隣で、ユウトが「あいつ……」と、悔しそうに拳を握りしめているのが分かった。
俺は何も言わなかった。
こういうのは言葉で返すより、リングの上で返す方が、ずっと面白い。
記者会見の様子は、その日のニュースで繰り返し放送され、ネット掲示板やSNSは、まさに祭り状態となった。
『桐生、言いたい放題だなwww』
『でも、正論だろ。春海の戦い方は、まだ粗削りすぎる』
『パワーの春海か、テクニックの桐生か。これ、マジでどっちが勝つか分からんぞ!』
『木戸の解説まだかよ! 早くしてくれ!』
試合への期待感は、日を追うごとに、異常なまでに高まっていった。
◇
「――完全に舐められてるな、お前」
ジムのリングの上で、真壁さんがミットを構えながら言った。
目の前のテレビには、桐生のインタビュー映像が流れている。
『彼のカウンターは、ただの反射だ。そこに戦略はない。僕の計算されたステップの前では彼の拳が当たることは決してないよ』
「……別に」
俺はステップを踏みながら短く答えた。
相手がどう思っていようと関係ない。
俺がやることは一つだけだ。
「いいか、悠。桐生は間違いなく強い。お前が今まで戦ってきた中で一番クレバーな相手だ。坂崎のように感情的に攻めてくることは絶対にない。徹底的にお前の長所を殺しにくるぞ」
「はい」
「奴はアウトボクシングで距離を取り、的確なジャブとローキックでポイントを稼ぐ。そして、お前が焦れて前に出てきたところにカウンターを合わせるつもりだ。絶対にその挑発に乗るな」
真壁さんの分析は的確だった。
俺は頷くと構えを取った。
「――真壁さん」
「なんだ」
「一本、お願いします」
俺はミットではなく真壁さん自身に向かって、そう言った。
俺の意図を察した真壁さんは、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。
「……面白い。かかってこい」
俺は目を閉じた。
脳内で桐生の動きを、何度も何度もシミュレーションする。
氷の戦略。
それを俺の『本能』が、どう打ち破るのか。
(――見えた)
目を開いた瞬間、俺は真壁さんの懐に、弾丸のように踏み込んでいた。
試合のゴングが鳴るまで、あと三日。
怪物か一発屋か。
その答えが出る時は、もう目前に迫っていた。
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