第32話:英雄の誕生
やがて、遠くからけたたましいサイレンの音が聞こえてきた。
誰かが通報してくれたのだろう。パトカーと救急車が、広場の入り口に次々と到着する。
ユウトの的確な指示と、協力してくれた大人たちのおかげで、犯人は駆けつけた警察官にスムーズに引き渡された。
「――詳しいお話を、署で聞かせてもらえますか」
俺とユウト、そして被害者である夏希は、パトカーの後部座席に乗せられた。
窓の外では、まだ野次馬たちがこちらを遠巻きに見つめている。
俺たちの短い春休みは、とんだ幕開けになったものだ。
◇
警察署の一室。
無機質な机とパイプ椅子が、緊張感を煽る。
俺たちは、それぞれ別の警察官から、事情聴取を受けていた。
「――つまり君は、友人を守るために、ためらわずに飛び出した、と。相手は包丁を持っていたんだぞ? 怖くはなかったのかね」
ベテランらしい、人の良さそうな刑事が、感心したような、呆れたような目で俺に尋ねる。
「怖くなかった、と言えば嘘になります。でも、考える余裕はありませんでした。体が、勝手に動いていました」
俺は、事実だけを淡々と答えた。
取り押さえた時の動きについても、できるだけ正確に説明する。
手首への掌底、脇腹への肘打ち。包み隠さず、全て話した。
「……なるほどな。正当防衛は成立するだろう。それにしても、話を聞く限りでは、とても素人の動きとは思えんが……何か武道でもやっているのかね?」
「いえ、特に何も。ただ、色々なスポーツをやってきたので、体の動かし方は、少しだけ得意かもしれません」
俺の言葉に、刑事はそれ以上何も聞かず、ただ深く頷いた。
やがて、聴取の途中で、連絡を受けた俺たちの両親が、血相を変えて部屋に飛び込んできた。
「悠! あなた、怪我はないの!?」
「夏希ちゃんは!? ユウトくんは!?」
母さんの心配そうな声。
隣の部屋からも、ユウトと夏希の両親の、安堵と怒りが入り混じったような声が聞こえてくる。
「悠がいなかったら、夏希は殺されていたかもしれません!」
「悠くんは、私を助けてくれたんです! ヒーローです!」
二人の証言が、俺の行動の正当性を、さらに裏付けてくれているようだった。
やがて、聴取は終わり、両親に付き添われ、俺たちは警察署を後にした。
帰り際、あのベテラン刑事が、俺にだけ聞こえるように、そっと呟いた。
「気持ちは分かるが、二度とこんな無茶はするな。刃物相手に飛び込んでいくなんて、普通は命がいくつあっても足りんぞ。今回は運が良かっただけだと思ったほうがいい」
その言葉が、なぜか、ずっしりと胸に残っていた。
◇
その日の夜。
俺が自室でぼんやりしていると、ユウトから電話がかかってきた。
その声は、昼間の冷静さが嘘のように、興奮していた。
「悠! 大変なことになってるぞ!」
「どうしたんだよ、そんなに慌てて」
「ネットだよ、ネット! 昼間の動画、やっぱり誰かアップしやがった! テレビのニュースでも、もうやってる!」
ユウトに言われるがまま、俺はPCでSNSを開いた。
トレンドランキングの一位に、見慣れないハッシュタグが輝いている。
『#謎の高校生ヒーロー』
クリックすると、そこには、昼間の広場で撮影された、例の動画が無数に表示された。
アングルは様々だが、どれも俺が通り魔を制圧する瞬間を、鮮明に捉えている。
その動画に付けられたコメントが、凄まじい勢いで増えていた。
『なんだこれ!? リアルヒーローじゃん!』
『この体さばき、常人じゃねえ……かっこよすぎる!』
『女の子守るために、ナイフ持った相手に突込んでいくとか、惚れるわ』
『まさにワンパンマン!』
称賛、称賛、また称賛。
中には、『これはやりすぎだろ』『過剰防衛じゃないのか』といった、否定的なコメントも少数ながら見られたが、それらはすぐに、多くの肯定的な意見の波に飲み込まれていった。
「ニュースサイトにも、もう載ってる。『春休みの駅前にヒーロー出現! 通り魔から少女を救う』だってさ。お前のこと、中学時代のスポーツの実績と結びつけてる記事も出始めてるぞ」
「……そうか」
「そうか、じゃねえよ! お前、明日からどうすんだ。絶対、学校中の噂になるぞ」
ユウトは、俺の身を案じてくれている。
その気持ちは、ありがたい。
でも、俺は、そんなことよりも、気になることがあった。
「なあ、ユウト。夏希は、大丈夫そうか?」
「ああ、電話で話したけど、まだ少しショックを受けてるみたいだった。でも、お前のこと、すごく感謝してたぞ。あいつにとっても、お前は最高のヒーローだよ」
「……なら、いいや」
俺は、そっとPCを閉じた。
ネットでどう騒がれようと、正直、どうでもいい。
仲間を、守れた。
俺にとっては、その事実だけで、十分だった。
だが、俺のそんな思いとは裏腹に、事態は、俺の知らない場所で、全く違う方向へと転がり始めていた。
無数の賞賛コメントに埋もれた、ある一つのツイート。
『この動画、みんなヒーローだって騒いでるけど、本当にヤバいのはそこじゃない。この子の動き、よく見てみろ。これ、ただの力任せの制圧じゃないぞ』
その、何気ない呟きが、数時間後、ある一人の男の目に留まることになる。
その動画が持つ本当の『異常性』に気づいた者は、まだ、ほとんどいなかった。
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