第32話:英雄の誕生

 やがて、遠くからけたたましいサイレンの音が聞こえてきた。

 誰かが通報してくれたのだろう。パトカーと救急車が、広場の入り口に次々と到着する。

 ユウトの的確な指示と、協力してくれた大人たちのおかげで、犯人は駆けつけた警察官にスムーズに引き渡された。


「――詳しいお話を、署で聞かせてもらえますか」


 俺とユウト、そして被害者である夏希は、パトカーの後部座席に乗せられた。

 窓の外では、まだ野次馬たちがこちらを遠巻きに見つめている。

 俺たちの短い春休みは、とんだ幕開けになったものだ。



 警察署の一室。

 無機質な机とパイプ椅子が、緊張感を煽る。

 俺たちは、それぞれ別の警察官から、事情聴取を受けていた。


「――つまり君は、友人を守るために、ためらわずに飛び出した、と。相手は包丁を持っていたんだぞ? 怖くはなかったのかね」


 ベテランらしい、人の良さそうな刑事が、感心したような、呆れたような目で俺に尋ねる。


「怖くなかった、と言えば嘘になります。でも、考える余裕はありませんでした。体が、勝手に動いていました」


 俺は、事実だけを淡々と答えた。

 取り押さえた時の動きについても、できるだけ正確に説明する。

 手首への掌底、脇腹への肘打ち。包み隠さず、全て話した。


「……なるほどな。正当防衛は成立するだろう。それにしても、話を聞く限りでは、とても素人の動きとは思えんが……何か武道でもやっているのかね?」


「いえ、特に何も。ただ、色々なスポーツをやってきたので、体の動かし方は、少しだけ得意かもしれません」


 俺の言葉に、刑事はそれ以上何も聞かず、ただ深く頷いた。

 やがて、聴取の途中で、連絡を受けた俺たちの両親が、血相を変えて部屋に飛び込んできた。


「悠! あなた、怪我はないの!?」

「夏希ちゃんは!? ユウトくんは!?」


 母さんの心配そうな声。

 隣の部屋からも、ユウトと夏希の両親の、安堵と怒りが入り混じったような声が聞こえてくる。


「悠がいなかったら、夏希は殺されていたかもしれません!」

「悠くんは、私を助けてくれたんです! ヒーローです!」


 二人の証言が、俺の行動の正当性を、さらに裏付けてくれているようだった。

 やがて、聴取は終わり、両親に付き添われ、俺たちは警察署を後にした。

 帰り際、あのベテラン刑事が、俺にだけ聞こえるように、そっと呟いた。


「気持ちは分かるが、二度とこんな無茶はするな。刃物相手に飛び込んでいくなんて、普通は命がいくつあっても足りんぞ。今回は運が良かっただけだと思ったほうがいい」


 その言葉が、なぜか、ずっしりと胸に残っていた。



 その日の夜。

 俺が自室でぼんやりしていると、ユウトから電話がかかってきた。

 その声は、昼間の冷静さが嘘のように、興奮していた。


「悠! 大変なことになってるぞ!」


「どうしたんだよ、そんなに慌てて」


「ネットだよ、ネット! 昼間の動画、やっぱり誰かアップしやがった! テレビのニュースでも、もうやってる!」


 ユウトに言われるがまま、俺はPCでSNSを開いた。

 トレンドランキングの一位に、見慣れないハッシュタグが輝いている。


『#謎の高校生ヒーロー』


 クリックすると、そこには、昼間の広場で撮影された、例の動画が無数に表示された。

 アングルは様々だが、どれも俺が通り魔を制圧する瞬間を、鮮明に捉えている。

 その動画に付けられたコメントが、凄まじい勢いで増えていた。


『なんだこれ!? リアルヒーローじゃん!』

『この体さばき、常人じゃねえ……かっこよすぎる!』

『女の子守るために、ナイフ持った相手に突込んでいくとか、惚れるわ』

『まさにワンパンマン!』


 称賛、称賛、また称賛。

 中には、『これはやりすぎだろ』『過剰防衛じゃないのか』といった、否定的なコメントも少数ながら見られたが、それらはすぐに、多くの肯定的な意見の波に飲み込まれていった。


「ニュースサイトにも、もう載ってる。『春休みの駅前にヒーロー出現! 通り魔から少女を救う』だってさ。お前のこと、中学時代のスポーツの実績と結びつけてる記事も出始めてるぞ」


「……そうか」


「そうか、じゃねえよ! お前、明日からどうすんだ。絶対、学校中の噂になるぞ」


 ユウトは、俺の身を案じてくれている。

 その気持ちは、ありがたい。

 でも、俺は、そんなことよりも、気になることがあった。


「なあ、ユウト。夏希は、大丈夫そうか?」


「ああ、電話で話したけど、まだ少しショックを受けてるみたいだった。でも、お前のこと、すごく感謝してたぞ。あいつにとっても、お前は最高のヒーローだよ」


「……なら、いいや」


 俺は、そっとPCを閉じた。

 ネットでどう騒がれようと、正直、どうでもいい。

 仲間を、守れた。

 俺にとっては、その事実だけで、十分だった。


 だが、俺のそんな思いとは裏腹に、事態は、俺の知らない場所で、全く違う方向へと転がり始めていた。

 無数の賞賛コメントに埋もれた、ある一つのツイート。


『この動画、みんなヒーローだって騒いでるけど、本当にヤバいのはそこじゃない。この子の動き、よく見てみろ。これ、ただの力任せの制圧じゃないぞ』


 その、何気ない呟きが、数時間後、ある一人の男の目に留まることになる。

 その動画が持つ本当の『異常性』に気づいた者は、まだ、ほとんどいなかった。

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