第29話:夏が残したもの
長くて、そしてあっという間だった夏休みが終わった。
あれだけ鳴り響いていた蝉の声はいつの間にか遠くなり、空には秋の気配が漂い始めている。
「お前、もうただの中学生じゃねえぞ。全国区の有名人だ」
夏休み明けの初日。
登校中の道で隣を歩くユウトが、スマホの画面を見せながら大げさにため息をついた。
画面にはスポーツニュースサイトの特集記事が映し出されている。
見出しには『U-15に現れた万能の怪物(フィジカルモンスター)、その正体とは』と、少し気恥ずかしくなるような文字が躍っていた。
「大げさだな。ちょっと目立っただけだよ」
「ちょっと、ねえ……。サッカー、野球、剣道、そして陸上四冠。その全部で全国優勝しておまけに中学記録を軒並み塗り替えたやつが言うセリfフかよ」
記事には俺がこの夏に参加した全ての競技での活躍が、写真付きで詳細にまとめられていた。
西峰FCでの劇的な逆転ゴール。
湊スターズでの代打同点打とマウンドでの剛速球。
日本武道館で見せた静かなる一閃。
そして全中での圧倒的な四冠達成。
一つ一つがまるで遠い昔のことのようだ。
だけどあの時の興奮と、仲間たちと分かち合った喜びは、まだこの胸に熱く残っている。
「まあ、でも、楽しかったよ。最高の夏だった」
「……違いない」
ユウトは呆れたように、だけどどこか誇らしげに笑った。
◇
学校に着くと俺を待っていたのは、想像以上の大騒ぎだった。
下駄箱で、廊下で、すれ違う生徒たちがみんな俺の方を振り返り、ヒソヒソと噂話をしている。
「あれが、春海悠……」
「マジだ……本物だ……」
「テレビで見たまんま……いや、それよりオーラやばくない?」
教室に入った瞬間、クラスメイトたちが一斉に俺の席に殺到した。
「春海、お帰り!」
「全中四冠、おめでとう!」
「サインくれ!」
質問攻めと祝福の嵐。
俺はその一つ一つに、照れながらも笑顔で応えた。
やっぱりこういうのは、素直に嬉しい。
ホームルームが始まる前には校長先生自らが教室にやってきて、全校集会で改めて表彰することを伝えに来た。
俺の夏は、どうやらまだもう少しだけ続きそうだ。
◇
「――春海くん、ちょっと職員室まで来てくれるかな」
昼休み。
担任の田島先生に呼ばれ、俺は職員室へと向かった。
先生は少し困ったような、だけどどこか誇らしそうな、複雑な表情を浮かべていた。
「君宛に、とんでもない数の問い合わせが学校に殺到していてね」
そう言って先生が指さした先には、一つの机が完全に埋まるほどの資料の束が山積みになっていた。
「全部、高校からよ。練習参加の誘いや、将来的な入学を見据えたもの。中学一年生のこの時期にこれだけの話が来るなんて、先生も初めての経験だわ」
俺は息を呑んだ。
陸上の名門校、野球の甲子園常連校、サッカーの強豪校……。
日本中のありとあらゆるスポーツの名門校の名前が、そこにはあった。
「もちろん、まだ二年も先の話だから、今すぐどうこうするわけじゃないの。でも、君にはこれだけの選択肢があるんだってこと、知っておいてほしくてね」
先生は優しい目で俺を見つめた。
「だから焦らないで、今は普通の中学校生活を大切にしなさい。その上で、君が一番『面白い』と思える道を、ゆっくり考えていけばいいのよ」
先生の言葉が、少し浮かれていた俺の心を、優しく落ち着かせてくれた。
「……はい。ありがとうございます」
俺は真っ直ぐに頭を下げた。
◇
その頃。
とあるボクシングジムでは、一人の少年がサンドバッグに嵐のようなパンチを叩き込んでいた。
神崎蓮。
彼の脳裏には、全中のテレビ中継で見た、あの異次元の走りが焼き付いていた。
(……とんでもないやつだ。だが)
ドゴォン! と、サンドバッグが大きく揺れる。
(来年の夏、必ず同じ舞台に立つ。そして、今度こそ俺が勝つ)
また別の場所。
夕暮れのサッカーグラウンドで、黒川京介が一人、黙々とボールを蹴り続けていた。
その目は、この夏の敗北を、そしてテレビで見た怪物の姿を、決して忘れまいとするかのように鋭く輝いていた。
(次の大会では、必ず俺が主役だ)
ライバルたちの夏もまた終わり、そして新たな始まりを迎えようとしていた。
◇
俺は職員室の窓から、秋の空を眺めていた。
高校か。
先生の言う通り、まだずっと先の話だ。
(まずは、この秋、何をしようかな。もっと面白いことが、たくさん待ってそうだな)
俺の伝説は、まだ始まったばかり。
最高の夏を越えて、物語は、次の季節へと続いていく。
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