第27話:異次元のコーナーワーク
走り幅跳びでの中学新記録樹立から、約一時間後。
スタジアムの熱気は下がるどころか、むしろ異常なまでに高まっていた。
観客たちは次の種目の開始を今か今かと待ちわびている。
彼らのお目当てはもちろん俺だ。
「……なあ、ユウト。俺なんか動物園のパンダみたいになってないか?」
「パンダなんてもんじゃねえよ。新種の恐竜だお前は」
ウォーミングアップをしている俺の元へ、ユウトが呆れ顔でペットボトルを差し出してくれた。
観客席からは無数のスマホやカメラのレンズが、こちらに向けられているのが分かる。
「次、二百メートル決勝だろ? さすがに記録更新はもう無理なんじゃないか? 百メートルと幅跳びの後だぞ」
「さあ、どうだろうな。でも体はまだ全然軽いよ」
俺の言葉は嘘ではなかった。
サッカーの試合で九十分間走り続けた時の疲労に比べれば、今の消耗などないに等しい。
むしろ二つの種目を終えて、体は完璧に温まっていた。
最高のパフォーマンスが出せる、という確信があった。
◇
男子二百メートル決勝の時間が、やってきた。
スタートラインに並ぶ八人の選手。
その中で俺以外の七人の顔には、諦めとそしてある種の好奇心が浮かんでいた。
もはや勝とうなどとは思っていない。
ただこの怪物が、一体どこまでの走りを見せるのか。
それを一番近くで見届けたい。
そんな観客に近い心境だった。
「第四レーン、春海悠、桜川中学校」
俺の名前がコールされると、スタジアムは今日一番の歓声に包まれた。
俺はその歓声に応えるように軽く手を上げる。
(二百メートル……。コーナーをどう走るかだな)
百メートルとは違い、二百メートルにはカーブがある。
遠心力に負けず、いかにスピードを落とさずに直線を迎えるか。
それが勝負の鍵だ。
(……サッカーのドリブルと同じか)
相手を抜き去る時、体を内側に傾けて相手の重心の逆を取る。
あの感覚。
俺の体はどうすれば力を最大限に発揮できるかもう知っていた。
『位置について』
スターティングブロックに、足をかける。
『よーい』
腰を上げる。
静寂がスタジアムを支配する。
パンッ!
またしても完璧なスタート。
俺は最初の数歩で、他の選手たちを置き去りにした。
そして最初のコーナーが目の前に迫る。
他の選手たちが遠心力に耐えるために、わずかにスピードを緩める。
だが俺は加速した。
「――なっ!?」
観客席の神崎が思わず声を上げる。
黒川も信じられないものを見るように、目を見開いている。
俺の体は、まるでバイクのように地面スレスレまで深く内側に傾いていた。
普通ならバランスを崩して転倒してしまうような、異常な角度。
だが野球のバッティングで鍛え上げた、強靭な体幹がそれを可能にしていた。
俺はコーナーをまるで直線であるかのように、一切の減速なく駆け抜けていく。
異次元のコーナーワーク。
最後の直線に入った時には、二位の選手との差は絶望的なまでに開いていた。
(……ここからだ)
俺は最後のギアを上げた。
百メートルの時と同じ爆発的な加速。
観客席からはもはや歓声ではなく悲鳴に近い声が上がっていた。
ゴールラインを俺はただ一人、駆け抜ける。
そしてゆっくりと振り返り電光掲示板を見上げた。
『――タイム、20秒88! 20秒88! し、信じられません! またしても中学新記録! それも従来の記録をコンマ5秒以上も更新する、とんでもない記録です! これはもはや高校生の全国大会でも優勝できるタイムだーっ!』
実況アナウンサーが興奮のあまり、何を言っているのか分からなくなっている。
スタジアムはもはやお祭り騒ぎだった。
三種目連続、中学新記録での優勝。
伝説はもはや疑いようのない現実となっていた。
「……化け物が」
記者席で森が震える声で呟く。
もはや驚きを通り越して、笑うしかなかった。
常識という名の物差しが、目の前で何度も何度も叩き折られていく。
俺はそんな喧騒をどこか他人事のように感じながら、ユウトの元へと戻った。
「なあ、ユウト。次のリレーまで、あとどれくらいだっけ?」
「……お前、まだ走る気かよ」
ユウトの心の底から呆れたような声が、夏の空に響いていた。
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