第25話:怪物の本領

 剣道での衝撃的な全国優勝から、約二週間後。

 夏の終わりを告げるかのように、ツクツクボウシが鳴く声が聞こえる。

 俺とユウトは新幹線に乗り、この夏最後の決戦の地へと向かっていた。


「なあ、悠。さすがに今回は緊張してるだろ?」


 車窓を流れる景色を眺めながら、ユウトがニヤニヤして聞いてくる。


「別に。いつも通りだよ」


「嘘つけ! サッカー、野球、剣道って、お前の噂、とんでもないことになってるんだぞ! ネットのスポーツ掲示板、お前の話題で持ちきりだぜ。『陸上の全中にもエントリーしてるらしい』って」


 ユウトがスマホの画面を見せてくる。

 そこには、俺の活躍をまとめた匿名の記事や、憶測交じりのコメントが溢れていた。


(……面倒なことになったな)


 でも嫌な気はしなかった。

 むしろ最高の舞台が整ったとさえ思っていた。

 サッカーも野球も剣道も楽しかった。

 だけどここが一番しっくりくる。

 ただひたすらに、自分の体の限界と向き合い、速さを競う。

 そのシンプルな世界が、俺は一番好きだった。



 全国中学校体育大会、陸上競技の部。通称、全中。

 会場となった巨大なスタジアムは、全国から集まったトップアスリートと、その関係者たちの熱気でむせ返るようだった。


「うわ……デカい。武道館とも、野球場とも違う、独特の雰囲気だな」


 観客席の多さと、広大なフィールドを見渡し、ユウトが息を呑む。

 俺たちの到着と時を同じくして、観客席の一角も、にわかにざわつき始めていた。


「おい、見ろよ。あれ、月刊『中学スポーツ』の記者たちだぞ」


「あっちには、高校のスカウトが何人もいる……野球やサッカーの有名校のジャージまで見えるぞ。なんで陸上の大会に?」


 彼らの目当ては、ただ一人。

 この夏いくつもの競技で、常識外れの伝説を打ち立ててきた、謎のスーパー中学生。

 春海悠、その本人だった。


「――間違いない。俺が追いかけてきた『怪物』は、あいつだ」


 記者席でスポーツ記者の森が、双眼鏡を覗きながら確信に満ちた声で呟いていた。

 彼の隣で同僚が呆れたように言う。


「森さん、まだ言ってるんですか。サッカーと野球と剣道と陸上、全部で全国レベルなんて、漫画じゃないんですから……」


「見れば分かるさ。伝説の目撃者になる準備をしておけ」


 森は不敵な笑みを浮かべていた。



 最初の種目は、男子百メートル予選。

 俺は軽く体を動かしながら、自分の名前がコールされるのを待っていた。

 体の調子は最高だ。

 サッカーの瞬発力、野球の体幹、剣道の集中力。

 この夏に経験した全てが、俺の体をさらに上の次元へと引き上げてくれているのが分かる。


「第四レーン、春海悠、桜川中学校」


 アナウンスと共に、俺はスターティングブロックに足をかけた。

 スタジアム中の視線が、自分に突き刺さるのを感じる。

 その中には見知った顔もあった。

 観客席の片隅でボクシングジムで出会った神崎蓮と、サッカーの試合で見た黒川京介が、腕を組んで俺のことを見下ろしている。


(……面白い。全員、まとめて見てろよ)


 俺は静かに笑みを浮かべた。

 見せてやる。

 俺の本領を。


『位置について』


 静寂。


『よーい』


 全ての音が、消える。


 パンッ!


 号砲と同時に、俺の体は弾丸のように飛び出した。

 完璧なリアクションスタート。

 他の選手たちが一歩目を踏み出す頃には、俺はもう三歩先にいた。


 加速、加速、加速。

 中間地点を過ぎたあたりで、俺はトップスピードに乗る。

 だが、まだだ。

 まだ全力じゃない。

 予選だ。

 力をセーブし、軽く流すように、ゴールラインを駆け抜ける。


 一位なのは分かっていた。

 問題はタイムだ。

 俺はゆっくりと振り返り、電光掲示板を見上げた。

 そこに表示された数字に、スタジアムは一瞬の静寂の後、爆発した。


『――た、た、タイムは、10秒58! 10秒58! こ、これは、中学新記録! 中学新記録です! 予選で、しかも、まるで流しているかのような走りで、いきなり中学記録を更新してしまいましたーっ!』


 実況アナウンサーの、裏返った絶叫が響き渡る。

 どよめき、悲鳴、そして、信じられないものを見たという唖然とした空気。


 記者席で、森が「見たか!」と叫びながらガッツポーズをした。

 スカウトたちは、呆然と口を開けたまま、手元の資料を握りしめている。

 観客席の神崎と黒川は、その目に驚愕とそしてそれ以上の燃えるような闘志を宿していた。


 その狂騒の中心で、俺はただ静かにトラックを後にした。

 ユウトが、興奮して駆け寄ってくる。


「お、おま……! 今の、本気じゃなかっただろ!?」


「まあね。体慣らしだよ」


 俺は屈伸をしながら、平然と答えた。


「体の調子すごくいい。決勝ならもっと出せるよ」


 怪物の咆哮は、まだ始まったばかりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る