第17話:伝説の夏、最初の章

 決勝戦。

 夏の雲が浮かぶ空の下、全国クラブユースサッカー選手権の頂点を決める戦いの火蓋が切って落とされた。

 スタジアムは、超満員。

 そのほとんどの視線が、一人の無名の選手に注がれていた。


『さあ、始まりました決勝戦! 奇跡の快進撃を続けてきた西峰FC! その中心にいるのは、やはりこの男、背番号10番、春海悠! 大会前は全くの無名、データも一切ないこの選手が、今大会の主役です!』


 実況の声が、スタジアムの熱気を煽る。

 対戦相手は、大会連覇を狙う王者、東条ユナイテッド。

 彼らは、俺の対策を完璧に練り上げてきていた。


 試合が始まってすぐ、俺は相手の異常な戦術に気づいた。

 オフサイドトラップだ。


 俺が走り出そうとする絶妙のタイミングで、相手のディフェンスラインが一斉に押し上げてくる。

 俺の足元にパスが出た瞬間、俺はオフサイドポジションに取り残されている、という状況が何度も続いた。


「くそっ、またか!」


 俺の武器であるスピードが、完全に殺されている。

 それどころか、俺がオフサイドにかかるたびに、試合の流れは相手チームに傾いていった。

 前半20分、ついに均衡が破れる。

 俺たちのミスからボールを奪われ、カウンターから失点。

 スコアは0対1。


 西峰FCのベンチに、重苦しい空気が流れる。

 俺は、初めて壁にぶつかっている感覚を味わっていた。


 ◇


 ハーフタイム。

 ロッカールームで、俺は俯いていた。

 自分のせいで、負けている。

 チームのみんなに、申し訳ない。


「春海くん」


 声をかけてきたのは、溝口監督だった。


「顔を上げろ。君のせいじゃない。相手の戦術が、我々を上回っているだけだ」


「でも……」


「策なら、ある」


 監督は、俺の目を見て、ニヤリと笑った。


「後半、君には今まで以上に、徹底的に裏を狙い続けてもらう。だが、少しだけタイミングを変えるんだ。パスの出し手と、君が走り出すタイミング。コンマ数秒の世界だ。君なら、できるな?」


 監督の言葉に、俺は顔を上げた。

 そうだ。

 下を向いている暇なんてない。

 やられたら、やり返せばいい。


「……はい。やってやります」


 俺の目に、再び闘志の火が灯っていた。


 ◇


 後半開始。

 俺は、前半よりもさらに執拗に、相手ディフェンスラインの裏を狙い続けた。

 何度も、何度も、オフサイドの旗が上がる。

 でも、俺は焦らなかった。

 これは、布石だ。


 相手のディフェンダーたちに、「春海は、今日もひたすら裏を狙ってくる」と、徹底的に刷り込ませる。


 そして、試合終了まで残り5分。

 スコアは、依然として0対1。

 相手チームの足が、少しずつ止まり始めていた。

 集中力も、切れかかっているのが分かった。


(……今だ)


 味方のボランチがボールを持った瞬間、俺はいつもより半歩、走り出すタイミングを遅らせた。

 そして、今までで一番のトップスピードで、ディフェンスラインの裏へ駆け出した。


 相手ディフェンダーたちは、条件反射でラインを上げようとする。

 だが、その動きは、前半よりもコンマ数秒、遅れていた。

 その一瞬の隙を、俺は見逃さない。


 パスが出た。

 俺は完璧なタイミングでオフサイドラインを突破し、ボールを受ける。

 キーパーと、一対一。


(もらった!)


 俺は冷静に、同点ゴールをネットに突き刺した。


「うおおおおっ!」


 スタジアムが、地鳴りのような歓声に揺れる。

 だが、俺たちのショーは、まだ終わらない。


 ロスタイム。

 最後のワンプレー。

 相手のコーナーキックをキーパーがキャッチした瞬間、俺は自陣のゴール前から、相手ゴールに向かって走り出していた。


 キーパーが、俺を信じてロングボールを投げる。

 俺はそのボールだけを追いかけ、独走する。

 そして、決勝点となるゴールを、試合終了のホイッスルと同時に叩き込んだ。


 劇的な、逆転勝利。

 俺たちは、全国の頂点に立ったんだ。


「やったぞー!」


 チームメイトたちが、俺の元へ駆け寄ってくる。

 俺は、仲間たちに担ぎ上げられ、何度も宙を舞った。

 一人で勝つのではなく、チームで勝つ喜び。

 その温かさを、俺は初めて知った。


 ◇


 観客席の片隅で、一人のスポーツ記者がその光景を呆然と眺めていた。

 彼は、手元のスマホの画面と、宙を舞う俺の姿を、何度も見比べている。

 スマホに映っているのは、数日前に別の会場で撮られた、野球の全国大会の決勝で、逆転サヨナラホームランを打った選手の写真。


「……まさか。そんな馬鹿なことがあるはずない」


 記者は、そう呟きながらも、確信に近い予感を覚えていた。


「だが……もし、本当にこいつが、あの時の……」


 伝説の夏は、まだ始まったばかり。

 その最初の章が、今、最高の形で幕を閉じた。

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