第一章

 セントリス学園都市。

 都心からレールウェイで四十分ほどの距離に位置する、学術・研究都市だ。中央の総合大学を核に、キャンパス、商業、居住の各区画が円環状に広がる。

 オフィスや雑居ビル、商店が詰め込まれた商業区と、大学関係者や研究室の職員などが住む居住区との境に、ぽっかりと公園が開いている。

 外縁を走るジョギングコースには光合成効率を高めたタブノキが並び、敷地東側の噴水は定時でミストを散布する。

 平日であれば昼休みを静かに過ごしたい職員や会社員がまばらにいるだけの、どうということのない閑静な公園だ。

 午後からのアルバイトに備えてアイスを食べながら、噴水を囲むベンチで静かな至福のひと時を過ごす。

 セントリス総合大学に通う4年生、シノザキ・ミオリ(篠崎澪里)のお気に入りの場所だが、しかし――。

 今日は日曜日だ。犬の散歩をしている中年女性、もう何週目か分からないジョギングをする男性、芝生で二人だけの世界になっている恋人たち、子どもを連れた家族で賑わっている。

 この汗ばむ陽気では、噴水など子どもたちの恰好の遊び場だ。

「元気でなによりだけど、私のアイスに水とばしたら承知しないからねー」

 実は時折、足元に水が飛んできている。母親らしき女性たちはおしゃべりに夢中だ。

 正午を知らせる涼し気な金属音とともに、レース編みのようなミストが吹き上がった。風に溶けたそれは、数度ほど体感温度を下げながら、いくつもの小さな虹を作り出す。

 ――と、子どもたちは一層はしゃぐ。水の掛け合いが始まり、ついにミオリの頬にもしぶきが飛んできた。

「コンビニのバックヤードのほうがマシだわ……」

 至福の時間を台無しにされ、少し早めに去ろうとベンチから立ち上がった瞬間、ニュースバラエティにありがちな、妙に明るく軽薄なジングルが爆音で流れてくる。

「皆さん、こんにちは! ただ今のお時間は通常の番組を変更しまして、ネクスト知性財団・主席研究統括官、クラリス・レネヴィル主任からの重大発表をお送りします!」

 通常この時間に放送されているトーク番組で、ホストをしている男の声だ。

 無数の光子レンズが舞う中、クラリスは壇上に立っている。全方向から飛び交う無音のスキャン光が、神聖な儀式のように会場を包んでいた。

「うっわ、すっごいキレイな人」

 公園のすぐ近くにある巨大ホロプロジェクターに映し出されたのは、華やかなブロンドを品良くカールさせたロングヘア、整った顔立ちに人懐こさのある笑みと、出し惜しみしないタイトなドレスも完璧に着こなすスタイル。

 そしてそれらを下品にしない知的な立ち居振る舞いには、同じ女性であるミオリも見惚れて、歩く足が止まった。

「この度、わたくしが長年研究していたAIによるエネルギー問題の解消について、皆様にご報告できる成果が確立されましたことを発表いたします」

 クラリスは胸に手を当て、一度俯いて間を取ると――

「私たち人類を、惑星規模のエネルギーを制御する文明――カーダシェフ・スケール・タイプⅠへと導く礎です」

 公園で爆音に注意を引かれた他の人々からも「なにそれ?」「マジか!」「ママ、かーだしぇふってなにー?」などの声が聞こえてくる。

「そしてその栄光が達成された時、私たちは新たな年号Next Standard Era――NSEを刻み始めます」

(カーダシェフ・スケール……て、あれだ、なんか地球そのものが発電所になる、みたいな……)

 カーダシェフ・スケール。文明の進歩を測る物差しで、タイプⅠは地球全体のエネルギーを自由に使えるレベル。

 ミオリはどこにでもいる平凡な大学生で、そちらの知識は“地球発電所”程度だが、周囲のざわめきから、それがとてつもないことだというのだけは分かる。

「へー……なんかすごい。年号まで変えちゃうって……」

 巨大美人が聞いてもよく分からない説明を次々に始めだしたところで、「あ、バイト!」と駆け出すと、サンダルで露出した爪先に何かが当たる。

 衝撃はないのに、確かに何かに触れた感覚――。

 ぬいぐるみとも違う、奇妙な柔らかさだった。

「うん? ストレスボール?」

 ミオリに蹴られて数メートル転がったそれは確かに形と感触ならストレスボールだが、黒曜石のような色と艶をしている。見た目と感触のギャップに納得がいかず、日頃から好奇心に負けやすい性格からつい手に取ってしまった。

 途端、ひんやりとしていた球体に微熱が宿り、オレンジと緑が不思議に揺れる光を放ちだした。

「わ!!」

 咄嗟に放り出すと、それはいくらか転がったのち、物理に逆らう動きをした。

浮いている。

「……え、なにこれ。ドローン?」

 ドローンだとして、揚力で浮くものとはまるで技術が違うように見える。

(逃げる……いや危険物かもしれないから警察に――)

 常識としてとるべき行動が脳内に錯乱するが、好奇心にことごとく負けている。

 驚いている間も、黒曜石のストレスボールは光の中にうっすらと映るコードを、恐ろしい速さで処理している。ほんの少し前まで蹴られて転がっていたものが、明らかにミオリが触れたことで動き出した様子だ。

《起動確認――Chrono-Cognitive Assistant Program、オンライン》

「起動!? え、何を!? ねぇちょっと、やめて止まって! 爆発とかしないよね!?」

 ミオリの問いかけには答えず、球体はぐるんっと一回転して、短い命令を告げた。

【対象確保】

《Chrono-Transposition Architecture、起動》

《観測遮断モードへ遷移》

「え……」


 一瞬の浮遊感は、高いところから落ちる夢を見た時の、あの感覚に似ていた。しかし夢であればその感覚とともに目が覚めるものだが、ミオリの目の前ではいまだ現実離れした光景が続いている。

「なにここ」

 のろのろと立ち上がり見回してみるが、やはり理解が追い付かない。周囲はあの球体が放っていたものと同じ不思議な色の光に包まれ、時折、そこには本来なにかがあるような揺らぎを見せている。

「初めまして、ミオリさん」

「ひあっ!?」

 声のした真後ろに向き直ると、例のボールが優雅に――といっても、ただ丸いフォルムが回転しているだけなのだが――上下する。まるで礼儀正しくお辞儀をしたようにも見える。

「私はChrono-Cognitive Assistant Program。CAPです」

「クロノ……なんて? あ、あのね、状況全然わかんないんだけど。ていうか何で名前……」

「まず、起動シーケンスを完了させます」

 敵意がなさそうだと油断して詰め寄るミオリの質問を遮って、再び発光しだしたボール。

 挙動いちいちが唐突で、「うわ!」とのけぞって尻もちをつく。

《識別完了》

《時間同期、正常》

《環境スキャン、異常なし》

《タイムアクセス権限、承認済》

 処理が終わると発光がおさまり、ぐるんっと一回転する。どうやらこれは、CAPと名乗る球体の規定動作らしい。

「大丈夫ですか?」

 いつまでも尻もちをついたままポカンと口を開けていたミオリは、我に返って咳払いをする。気遣いなのか、大袈裟に驚いたことを冷やかされているのか、いまいち読みにくい平坦な抑揚だ。

「べっ、べつに大丈夫だし」

 言って、特に怪我のないことを自分でも確認するように、つとめて速やかに立ち上がって見せる。

 実際かなり勢いよく腰を抜かしたはずだが、痛みや衝撃を感じなかった。足元が安定しているからには床もあるはずなのだが、気味が悪いほど物質らしさがない。

「良かったです」

 初めて自分との会話が成立する応答があり、改めて質問する。

「それで、あんた何者? ここはなんなの? あ、そうだ! なんで私の名前知ってるの?」

 球体の中央がチカッと光る。

「質問は同時処理可能ですが、音声回答は一件ずつです」

「音声トーンから、氏名の取得経緯が最も優先度が高いと判断しました」

「昇順で回答しますか?」

「いや全部答えてくれたら順番どうでもいいから」

「了解しました」

「私はタイムマシンのユーザー認証、時空アクセス、ワームホール制御のために設計されたAIです」

「現在地は、タイムマシン内部です」

「氏名は、指紋照合をもとに市の個人IDデータベースから取得しました」

(順番大事だった……)

 最初の回答が衝撃大だったため、以降の話などまるで頭に入ってこなかった。

(今しれっと、なんかとんでもないこと言わなかった?)

「ごめん、あのさ、聞き違いかな? タイムマシンって言った?」

「便宜上、“タイムマシン”と呼称しました」

「正式名称はChrono-Transposition Architectureです」

「そこはどうでもいいよ。タイムマシンが実在するのか、って聞いてるの」

 この機械は、こちらが聞きたいことは簡潔すぎるくせに、変なところで回りくどい。

「実在します」

「現在、あなたはその内部にいます」

 顔よりやや下の位置で浮遊するCAPを、腕組みで覗き込むようしていたミオリは、その回答から脱力してゆるゆると棒立ちに戻っていく。

もう返す言葉が見つからず、その目はどこでもない空を見ている。

 沈黙を裂いたのは、メッセージアプリのコロコロとした通知音だった。しかも立て続けに五回は鳴っただろうか。このうるさい通知はミオリに馴染みある。

「ケレンだ」

 面倒くさそうにスマホを確認すると、メッセージアプリに独特すぎるセンスのスタンプが「おーい」「どしたー?」「まだ?」「ちらっ」「ちらっ」「しょぼーん」と続いている。

「うるさ……。文字で送れ文字で、通知一回で済むでしょ」

 ハッとして思い出す。

「やば! バイト!」

「ねぇ! えと……私これからバイトなんだけど……、そろそろ帰らせてくれない?」

 タイムマシンなどと言い出す自称AIに、ミオリ個人の生活優先順位を理解してもらえるのか分からないが、他にミオリがここから出る術がない。

「もちろんです」

 思いのほかあっさりと解放を認められ「え?」と逆に小さく驚いたが、細かいことに構ってはいられない。バイト先のコンビニは、全力で走っても公園から二分以上かかる。もうすでに五分前だ。

 フッと周囲の景色が元いた公園に変わり、面した道路の雑多な音、子どものはしゃぎ声も戻ってくる。安心する景色だ。

「――なるほど。クラリス主任のお話では、来年にも完成を見込んでいるということですが――」

 巨大ホロプロジェクターのクラリスは、まだ発表を続けている。

「えっと、ゆっくり話聞けなくてごめんね。じゃあ、バイト行くから!」

「……」

「ん? どうかした?」

「いえ」

 黒曜石のコアが僅かに揺れる。そして走り出すミオリが遠ざかってもなお、黙ってその場に残っていた。

《観測継続》

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