第12章 終焉と、そして
青山が、そのやり取りを、冷静にノートパソコンに記録していく。朧月は、一つ小さく頷くと、黒川から視線を外し、再び静かに煎餅を取り出した。
「……続いてのニュースです。大手ECサイト運営会社『アセントコマース』で発生した大規模システムダウンと、それに伴う顧客情報漏洩の疑いについて、警視庁は本日、同社のシステムエンジニア、影山**容疑者(32)を、不正アクセス禁止法違反および電子計算機損壊等業務妨害の容疑で逮捕しました」
落ち着いた声で、キャスターが原稿を読み上げる。画面には、うつむき加減で捜査車両に乗り込む影山の姿が映し出されていた。
「警視庁によりますと、影山容疑者は、先日の未明、同社のサーバールームに不正に侵入し、ECサイトのシステムを意図的にダウンさせる不正なプログラムを設置した疑いが持たれています。このプログラムは、システムダウンと同時に、顧客データベースにアクセスし、情報を外部に送信する機能も持っていたとのことです」
画面が切り替わり、専門家による解説が始まった。
「今回の手口は非常に巧妙で、内部の人間でなければ実行は困難だったと考えられます。不正プログラムは、システムダウンを引き起こすと同時に、自身のログを消去し、さらに外部からの攻撃を装うための偽のアクセスログを生成するよう設計されていました。しかし…」
専門家は、フリップを指し示しながら続けた。
「幸いなことに、プログラムには一部エラーがあり、実行されたものの、顧客情報の大部分は暗号化されたままで、外部への大規模な流出は未然に防がれた模様です。とはいえ、一部の個人情報が閲覧された可能性は否定できず、アセントコマース社は、全顧客に対して謝罪と注意喚起を行っています」
スタジオに場面が戻った。
「アセントコマース社は、本日午後、緊急の記者会見を開き、社長自らが謝罪するとともに、情報管理体制の不備を認め、再発防止策を徹底することを表明しました。しかし、同社の株価は事件発覚後、大幅に下落しており、社会的信用の回復には、相当な時間がかかると見られています」
キャスターは、別の書類に目を落としながら付け加えた。
「また、警視庁は、影山容疑者の上司にあたる黒川**氏(48)についても、パワーハラスメントや証拠隠滅に関与した疑いがあるとして、任意で事情聴取を続けています。アセントコマース社は、黒川氏を本日付で懲戒解雇処分にしたと発表しました。今回の事件は、企業の内部管理体制の重要性を改めて浮き彫りにした形です」
ニュースは、次の話題へと移っていく。テレビ画面の光が、誰もいない部屋をぼんやりと照らしていた。
朧月は、事件の報告書を読み終え、静かにファイルを閉じた。デスクの上には、食べかけの煎餅の袋が無造作に置かれている。
影山は、その後の取調べで、犯行の全てを認めた。動機は、やはり黒川への積年の恨みと、自身の能力が評価されないことへの不満だった。完璧主義者である彼のプライドが、歪んだ形で暴走した結果だった。皮肉なことに、彼の計画を最終的に破綻させたのは、彼自身の「チェックリストを怠る」という凡ミスと、保身に走った黒川が設置した「隠しカメラ」だった。
顧客情報の大規模な流出は免れたものの、アセントコマース社が受けたダメージは計り知れない。信頼という無形の資産は、一度失うと取り戻すのがいかに困難であるかを、今回の事件は改めて示していた。
朧月は、窓の外に目をやった。ビルの谷間からは、灰色の空が覗いている。
(また一つ、終わったか…)
彼は、小さく息をつくと、デスクの引き出しから新しい煎餅の袋を取り出した。
数週間後…。
雨上がりのアスファルトが、街灯の光を鈍く反射している。ワイパーが、フロントガラスに残った水滴を静かに拭う。捜査車両の中には、いつものように朧月と青山がいた。アセントコマース社の事件から数週間が経ち、世間の喧騒も少しずつ落ち着きを見せ始めていた。
「…それにしても、朧月さん」
助手席の青山が、運転席の朧月に話しかけた。
「あの影山という男が…、最初に『どうやって?』と口にしただけで、疑っていたなんて…。改めて、朧月さんの観察眼には驚かされます」
青山は、興奮冷めやらぬといった口調で続けた。
「普通なら、まず『誰が?』『なぜ?』と考えるところを、いきなり手段に言及するなんて、確かに不自然でした。あの瞬間、彼の頭の中には、既に自分がやったことしかなかったんですね…」
朧月は、ぼんやりと窓の外を眺めながら、いつものように煎餅をポリポリと齧っていた。
「まあ、そうですね」
朧月は、感情の読めない声で相槌を打つ。
「どんなに完璧に見える計画でも、人間がやることには、必ずどこかに綻びが生まれるものです。特に、強い感情…恨みとか、焦りとか、そういうものが絡むとなおさらね。本人は完璧に隠したつもりでも、ふとした言葉や、態度に出てしまう」
朧月は、車の流れが途切れるのを見計らって、ゆっくりとハンドルを切った。
「システムは嘘をつかない、なんて言いますけど、それを操作するのは、結局、人間ですから。その人間の心の方が、よっぽど複雑で、厄介ですよ」
朧月は、そこで言葉を切り、小さく息をついた。その横顔に、一瞬、何か別の感情がよぎったように見えた。
「…まあ、私も昔、それで痛い目を見たんですがね…」
ぽつりと呟かれた言葉に、青山は隣の朧月を窺う。彼の過去に何があったのか、青山はまだ知らない。だが、その言葉の奥にある、計り知れない経験の重さを感じずにはいられなかった。
「…さ」
朧月は、そんな感傷を振り払うように、いつもの調子に戻ると、煎餅の袋を青山に差し出した。
「あなたも煎餅、食べますか?」
「あ、はい。いただきます」
青山が煎餅を受け取ると、朧月は、前方の信号が青に変わるのを見て、アクセルをゆっくりと踏み込んだ。
「さ、次に行きますよ」
彼らの日常は、まだ終わらない。この街のどこかで起きているであろう、次の事件へと、捜査車両は静かに走り出した。
<了>
刑事 朧月ファイル Case1.-サーバールームの完全犯罪- 明読斎 -めんどくさい- @tanisuke
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