未完の原稿
もちうさ
第1話 死の河川敷
夜明け前の河川敷は、まだ闇に包まれていた。
川面に立ちこめる靄が、まるで見えない幕を引いたかのように視界をぼやかす。その中で、赤色灯だけが異様に鮮やかに瞬いていた。
「男性の遺体、発見されたのは昨夜十時過ぎ……」
同業の記者が小声でメモを読み上げる。
新聞社の記者・沖田真司は、冷えた空気を肺に吸い込みながら現場に立った。四十歳を目前にした体は、徹夜続きの取材に疲れ切っている。それでも、目の奥には妙な冴えが宿っていた。
立ち入り規制線の向こうで、刑事たちがライトをかざしている。遺体は白いシートに覆われていたが、その端から覗く靴の破れ、地面に残る黒い焼け焦げのような跡――ただの通り魔事件ではないことを示していた。
「……不自然だな」
真司は思わず口にした。
近くの刑事に声をかけようとしたが、無言で遮られる。記者と警察の関係など、いつもこんなものだ。だが今日は、いつにも増して刺々しい空気が漂っていた。
周囲を見渡すと、橋の下に若い女性が立ち尽くしている。寒さに震えるその姿は、単なる野次馬には見えなかった。真司が歩み寄ると、彼女は怯えたように一歩下がる。
「あなた……さっきの人を見たの?」
声を潜めて尋ねると、女性は唇を噛みしめ、小さく頷いた。
「……変な人がいたんです。夜十時ごろ、川の近くで……でも」
そこまで言いかけた瞬間、制服警官が割って入った。
「おい、ここは立ち入り禁止だ。下がってください」
女性は顔を伏せたまま、追い払われるようにその場を去った。
真司は胸の奥に、妙なざわめきを覚えた。
――証言を封じられた。
現場はやがて片付けられ、記者クラブへの発表は「通り魔による殺人事件。容疑者を特定済み」と簡潔に告げられただけだった。
だが、遺体に刻まれた不可解な痕跡も、消された証言も、公式発表からは一切触れられなかった。
真司は手帳を閉じ、夜明けの空を仰ぐ。
新聞社の方針に従えば、このまま記事にして終わりだ。だが――胸の奥に灯った疑念は、簡単に消えるものではなかった。
「これは……何かがおかしい」
川風が、まだ濡れた血の匂いをかすかに運んでくる。
その冷たい匂いとともに、真司の記者としての勘が告げていた。
――これは、始まりにすぎない、と。
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