第4話 もういいんだ……

◇◇ 8月24日 10時30分 グラッツェ


 海水浴場を出た俺はいつもより早い時間にイタリア料理店「グラッツェ」に到着した。


「お、珍しく早いな」


 山本店長が驚いた顔で言う。


「すみません、早めに着いちゃって」


「別にいいよ。裏で休んでて」


「いえ、働きます。時給はいらないんで」


「そういうわけにいくかよ。じゃあ、ちゃんと払うから頑張ってくれ」


「すみません」


 俺は服を着替える。するとスマホにメッセージが来ていた。百花だ。


『ナポリタンでお願い。13時半に取りに行く』


 ネットで検索してメニューを見たのだろう。やっぱりナポリタンか。俺は店長に言う。


「店長、テイクアウトで13時半にナポリタンお願いできますか?」


「お、注文も取ってくれたのか? ありがとな!」


 そこからはいつものようにウェイター業だ。最初は少なかった客も一気に増えて、てんてこ舞いになった。


 ようやく落ち着いてきて時計を見る。もうすぐ百花が来る時間だ。スマホを確認したとき、ちょうど百花からメッセージが来ていた。


『店の前に居る』


 俺はできあがっていたナポリタンを持って店の外に出た。


「やっほ」


 店の前に居た不審者が俺に手を振っている。百花だ。

 この暑い中、サングラスにマスクでフードをかぶっている。


「なんだよ、その格好」


「別にいいでしょ」


「はい、ナポリタン」


「ありがとう。お金は……」


「おごるよ」


 初めてうちの料理を食べる人にサービスだ。


「もう! 絶対払うから! 私、お金持ってるんだからね!」


 そう言って千円札を出す。


「お釣りはいらない!」


「あ、おい!」


 お釣り、と言っても20円だけど、百花は受け取らずに走っていった。

 仕方ない、明日、海で会えたら返すか。


◇◇ 8月24日 16時 真人の家


「ただいま」


 俺は家に帰ると、すぐに自分の部屋で一眠りした。夏の暑い中、バイトに自転車での往復。暑さと疲れの中、エアコンの効いた部屋でぐっすり眠った。


 起きたときにはもう夕飯の時間。家族で食べた後、俺はそのままリビングで文庫本を読む。そばには妹の瑞樹が居て、スマホを触っていた。


 やがて、テレビでは歌番組が始まった。


「あれ? モモちゃん、居ない!」


 瑞樹が騒ぎ出す。


「……何の話だ?」


「シュガーライズだよ!」


「シュガーライズ? なんだそりゃ、お菓子か?」


「はぁ……お兄ちゃん、高校生なんだからそれぐらい知ってないと。シュガーライズは今大人気のアイドルグループ!」


「へぇー……」


 俺はあまり音楽を聴かないから、そういうのは全然知らない。


「熊本出身のメンバーが居るんだよ。モモちゃん! 私、大好きだから今日テレビに出るの楽しみにしてたのに……なんで居ないんだろ」


 そう言いながら瑞樹はスマホを見ている。


「あ、体調不良でお休みって公式に出てた。なんだ、残念。でも、心配だなあ」


 体調不良か。この暑さだし、そういうこともあるよな。


 それにしても、モモちゃん、か。最近、百花と出会ったばかりだし、思い出してしまう。あいつも東京の高校に行ってるって言ってたっけ。ものすごく可愛かったけど……今はこっちに帰ってきている。それで、しばらくこっちに居るって言ってたけど……まさかな。


 俺は「シュガーライズ モモ」で検索をかけた。

 すると、そこに現れた写真は……


「マジか……」


 瑞樹には気がつかれないように俺はつぶやいた。


◇◇ 8月25日 9時30分 海水浴場


 俺がいつもの時間に海水浴場の駐車場に行くと、そこには昨日と同じく、百花の自転車があった。


 坂を下りると、百花が俺に気がつく。


「あ、真人君、おはよう」


「おはよう、百花。ほれ」


 俺は20円を差し出す。


「なにこれ?」


「昨日のお釣り」


「いらないって言ったのに」


「だめだ、こういうのはちゃんとしないと」


「ほんと、真面目だなあ、真人君は……」


 ようやく、百花は20円を受け取った。


 俺はすぐそばに腰掛け、話し出す。


「俺さあ、妹が居るんだ」


「へえ、そうなんだ。中学生?」


「うん。そいつが昨日テレビを見ててな」


「うん……」


「モモちゃんが居ないって騒いでたんだよ」


「へ、へぇー……」


 百花は俺から目をそらした。


「話を聞いたら熊本出身のアイドルらしくてさ……思わず検索しちゃったんだ」


「……そっか……バレちゃったか」


 百花はキャップを深くかぶった。


「ごめん」


「なんで謝るのよ。別にいいよ。時間の問題だと思うし。でも、何も知らない真人君と話すのが楽しかったんだけどな」


 ということは今日で百花と話すのも最後になるのか。

 でも、俺は聞かずには居られなかった。


「百花……なんで、ここに居るんだ?」


「公式見なかった? 体調不良」


「そうは見えないけど」


「体調にも色々あるからね。体の調子だけじゃないから……」


 心の調子、か。


「だったら、ここは確かに一番だな。誰も居ないし、癒やされるだろ」


「うん。真人君が書いてたとおりだったよ」


「そうか。だったら、明日からもここに来てくれ。俺はもう来ないから」


「え?」


「正体を知ってしまったからな。そんなやつと一緒に居たらストレスになるだろ」


 そう言うと俺は立ち上がった。少し早いけど仕方ない。


「待って! そんなことないから!」


「気を使うなよ」


「使ってない! ていうか、真人君こそ、私に気を使いすぎ!」


「は?」


「真人君はここに居て良いから。ていうか、居てよ。一人じゃ……つらいよ」


 そう言って百花は膝を抱え込んだ。


 俺は再び座り直す。


「でも、知ってしまった以上、そのことについて聞かないとは言えないぞ。俺はノンデリだからな」


「いいよ。何聞いても。でも、話すとは限らないけどね。私だってノンデリだから」


「いや、俺の方がノンデリだ。女子の友人なんて一人も居ないぞ」


「私だって男子の友達居ないし。まあ、アイドルだから当たり前だけど」


「アイドル、か……」


 今、横に居る少女は確かに可愛いが、俺と言い合っている姿はアイドルには見えなかった。


「何よ。言ったでしょ? 私、人気あるんだから」


「そういう意味だったのかよ」


 クラスで人気とかじゃ無くて全国で人気だったか。


「真人くんだって、シュガーライズぐらい知ってるでしょ?」


「いや……」


「え?」


「妹に『それはお菓子か?』って聞いたぐらいだし」


「え!? 何それ……ぷっ……アハハ」


 百花はツボに入ったのか、笑いが止まらなくなった。


「そんなに馬鹿にするなよ。俺、あんまり音楽とか聞かないから」


「そっか、ごめん。別に馬鹿にしてないよ。やっぱり、真人君だなって思っただけ」


「なんだよ、それ……」


「褒めてるんだから、気にしないで」


「ほんとかよ……」


「でも……自分じゃ人気者のつもりだったけど、まだまだかあ。熊本出身だし、すぐバレるって思ったけど、今のところ、誰にもバレてないみたいだし」


「あれだけマスクとかしてればな」


「そうだけど……でも、もういいんだ……」


 そう言って百花は立ち上がり、海に近づいて行った。

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