第2話 また明日……
◇◇ 8月23日 10時45分 熊本・芦北海水浴場
海水浴場の駐車場に停めた愛車にまたがり、俺はバイト先に向かった。
俺の愛車は安物のロードバイク。けれど、この愛車で坂道を下るときの風は最高に気持ちいい。もっとも、登るときは毎回地獄を見るんだが。
(それにしても……すごい美人に会えたな)
思い出すと、少し頬が熱くなる。ラッキーだった、とひとりごちながらペダルをこぎ、市街地へ向かった。
バイト先はイタリア料理店「グラッツェ」。田舎なのにここはいつも賑わっていて、バイトが居ないとやっていけないような人気店だ。特に昼は信じられないぐらい混雑する。
「真人、来たな。今日もよろしく頼むぞ」
「はい! よろしくお願いします」
山本店長は気さくな人だ。料理の腕も一流で、特に名物のナポリタンは絶品と評判になっている。
早速、俺はウェイターとして働き始めた。
「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」
「ナポリタン2つ」
「ナポリタン2つですね。ご注文は以上でよろしいですか?」
昼が来ると、店内は一気に大忙し。13時を過ぎても客足は途切れず、気づけばクタクタになっていた。
ようやく14時前、店内が落ち着く。
「真人、まかない食ってけ」
「ありがとうございます!」
今日のまかないはナポリタンか。ラッキー。たまにこれが食べられるのが幸せだった。
◇◇ 8月23日 15時30分
バイトを終えた俺は、家路につく。ロードバイクで勢いを付けて進むが、バイト帰りで既に体力を消耗している。クタクタになりながら、海水浴場がある駐車場までたどり着いた。俺はいつもここで自転車を停め休憩する。
この駐車場には自動販売機がある。ここでコーラを買って飲むのが俺の小さな幸せだ。今日もコーラを買い、坂を下りて、海辺まで下りてみた。
あの少女はもう居なかった。当たり前だ。この暑い中、ここで何時間も過ごすのはありえない。俺は海を見ながら、木陰の下でコーラを飲み終えた。
しばらく海を見ていると猫が近づいてきた。ここは野良猫がたくさん居るのだ。俺はその中の一匹をしばらくなでてやる。だが、暑いからかすぐに離れていった。
「帰るか」
俺が立ち上がって再び海の方を見たときだった。
「ん? なんだ?」
砂浜に何か書かれていた。
「また明日……かな?」
あの少女が書いたのだろうか。明日、また来るという意味だろうか?
もしそうなら、この場所を気に入ってくれたのかもな。
◇◇ 8月24日 9時30分
翌日、俺は今日もバイト。11時からだが、早めに家を出る。それはあの海水浴場で本を読むためだ。この暑さでは朝か夕方じゃないと長時間外に居るのは難しい。だから、朝にあの海を見ながら過ごす時間を俺は楽しみにしていた。
自転車を降り、駐車場に止める。だが、そこには先客の自転車があった。
「これは……確か昨日もあったな」
ということはあの子が来ているのか。
俺は坂を下りていく。すると、木陰の下のベンチに彼女が居るのが見えた。
「おはよう! マコト君!」
俺を見つけた、その少女が言う。
「おはよう……今日も来てたんだ」
「うん! お邪魔してるね!」
「邪魔じゃ無いよ。ここは俺の場所って訳じゃないんだから。みんなの場所だよ」
「でもプライベートビーチって書いてたでしょ?」
そういえばそんなこともSNSには書いたな。
「あれは冗談だって」
「ふふっ、そうだよね」
彼女が笑顔を見せた。それにしても……
「俺……君の名前も知らないんだけど」
「あ……」
彼女が少し驚いたような表情をした。しまった、名前を聞くのはナンパっぽいか。
「いや……いいんだ。言いたくなければ。ただ、俺だけ名前を知られてるからさ」
「ううん、別にいいよ……私は
「そうか、俺は
「うん、よろしく! 真人君」
「俺のSNS、フォローしてくれてるのか?」
俺はスマホを取り出しフォロワー欄を見る。
「ううん、検索に出てきただけで、フォローはしてないよ」
「そうか」
ほんとに偶然検索で見つけただけのようだ。
「あとでフォローしておくね」
「別にいいよ」
「するから。ただ……ちょっと待って」
「わかった。でも無理するなよ」
無理矢理フォローさせる気は無い。
「ほんとは今すぐしたいんだけど、いろいろ事情があるからさ」
「ふうん。で……今日もわざわざ海を見に?」
「うん」
「でもここは自転車で来るのはちょっと大変だろ」
「電動アシストだし。そうでもないよ」
「それでもきつかったろ」
「大丈夫。私、体力はあるから」
「ほんとか? そうは見えないけど」
身体は細い。
「失礼ね。仕事柄、持久力はあるから」
「仕事? 何かバイトでもしてるのか?」
高校生のはずだ。それで持久力がつく仕事なんて自転車で配達、とかだろうか。
「あ……ちょっとね。そんなことより、さ。猫はどこ?」
「猫か……」
ここは猫が多い。俺のSNSでも猫の写真を上げていたから知っていたのだろう。
「この時間はまだ上に居ると思う」
「上?」
「うん。駐車場の脇に水道があったろ。あのあたりに居ると思う」
「あったっけ……」
「行ってみるか?」
「うん」
俺たちは坂を上って駐車場に向かった。登って左が駐車場だが、右に行くと小屋がある。その脇に水道が使える場所があった。
「ここだよ。ほら、その下」
「居た!」
猫たちは体を長く伸ばし寝ていた。坂山百花が駈け寄るが、それに驚いて猫たちは逃げていった。
「あー……」
「坂山さんがそんな急に追いかけるから」
「うぅ……」
坂山さんは悲しそうにしていたが急に振り向いて言った。
「ねぇ」
「何?」
「私は『真人君』って呼んでるんだから、『百花』でいいよ」
「え? ああ、呼び方か。わかったよ」
急に言われて何のことか分からなかったが、名前で呼べってことか。まあ、そっちの方が呼ばれ慣れてる感じの子だよな。俺は女子を名前で呼んだことなんて妹以外には無いけど。
「呼んでみて」
「も、百花……」
「よろしい。じゃ、海に戻ろうか」
「そうだな。あ!」
「何?」
「飲み物買っていくか。いつも、ここで買っていくんだ」
小屋の脇に自動販売機があった。俺はいつものようにコーラを買う。
「百花は何がいい?」
「うーん……ウーロン茶」
「了解」
「あ、待って! 別に我慢する必要ないか……スコールにする! 東京ではなかなか見ないんだよ」
「へー、そうなんだ」
俺はお金を入れ、スコールを取り出した。こっちではありふれたヨーグルト系の炭酸飲料だ。
「はい」
「ありがと。あとでお金渡すね」
「おごるよ。俺はバイトしてるし、百花よりお金持ってると思うぞ」
「はあ? そんなことないから」
「いいから無理すんな。いちいちお金の受け渡しも面倒だろ」
俺は有無を言わせず、坂を下り始めた。
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