コート上の海将 ― Y/K Out Side Joker . —【The Short Edition.】

高嶋ソック

Epilogue & Prologue For Part1 of Part2

Epilogue & Prologue for Yoshitaka Kagemura .


 屈強な男から放たれた1本のファーストサービスが、レシーバーのラケットを弾き飛ばし、物語は終幕を迎えた。



 時間が止まった中、観客席にいる全ての者達が静まり、ガラス越しに試合を見ている1人の日本人は、言葉を失いつつも悔恨の眼を以てして、只その状況を見ているしかなかった。コートに立つ逞しい青年は右手でこぶしを握り、コート面を見ながら天高くそれを上げる。いつも騒がしい観客で有名なこの大会で、史上まれに見ぬ静けさが生まれる。



 ここに、全米オープン 男子シングルスの優勝者が決まった。



 この日、全ての国のテニスファン達がある日本人だったテニス選手を祝福した。とてつもなく大きなスタジアムに1面だけあるハードコート。何万という数の客席は全て埋まっていた。史上初にして二度と訪れないであろう奇跡を起こしたその選手に、全世界の実況者が手に汗を握り熱狂する。アメリカNYにあるナショナルテニスセンターのセンターコートは空間を揺らす程の歓声に沸き上がった。


 「なんという事でしょう!なんという...我々は奇跡を見ているのでしょうか!一人のプレーヤーが...!世界ランク3桁の...アジア系の選手が予選から見事に勝ち上がり、優勝しました!ポーランドのヨシタカが世界ランク4位のマルコス・リゲドを破り優勝を果たしました!」


 欧米の実況者は只々起きた奇跡に冷静ではいられなかった。世界ランク100位台の選手が予選から勝ち上がり、ランク上位のトップ選手達を下し、見事に大会優勝を決めた。前人未到の記録に観客席が湧く。まさかこのグランドスラムのタイトルを世界ランク100位台で初出場の選手が持っていくことを誰もが予想していなかったろう。


 

 この試合を飛行機の中で携帯端末のテレビ機能を使って見ていた1人の日本人選手。龍谷宰りゅうこく つかさ。九州生まれの彼は、優勝したヨシタカと呼ばれる人物が学生時代に対戦した選手だった。彼はボソリと一言いい、安堵の笑みを浮かべる。


 「なんじゃいワレェ...ブッチぎったやないかい。」


 彼は学生の頃にその選手と交わした言葉を思い出し、涙を流して深呼吸すると再び画面を覗いた。影村はネイティブ顔負けの英語でインタビューに答えていた。観客席には竹下もおり、影村が竹下に手を振ると竹下も笑顔で手を振る。隣にいた同級生で元部活のマネージャーだった佐藤も、どこか罪悪感に苛まれた表情で影村に手を振った。


  日本国 千葉県 市原市某所


  とある町中華料理屋。真昼間からテレビのスポーツニュースを見ながら酒を飲む1人の中年男性がいた。


 「おう!杏露酒もう一杯!」

 「田覚さん、今日は飲むなぁ!」

 「そりゃそうだ!教え子の晴れ舞台だ!もっパ――ッとやんだよぉ!」

 「はは、そいつは奇跡ですな。」

 「あぁ?おやっさん、あいつだぞ。あの前髪ここまでおろしてたデカいやつ!」

 「.........え!?嘘ぉ!?あの!?」

 「そうだぞ!影村だ!」


 「炒飯大盛と、汁なし担々麺大盛!カシューナッツ増し!」

 「炒飯大盛と、汁なし担々麺大盛!カシューナッツ増し!」


 「はっはっは!あの子が!」

 「そうだ!あれが影村だ!」

 「しっかし、人間離れしてると思ってたけど、やっぱバケモンだったネ!」

 「そうだな。竹下達が天才と呼ばれてるなら、あいつは怪物だな。」


 中年男性と店主の会話に、後ろの4人掛けの席に座っているテニスバッグを置いて食事をしている学生達の動きが止まった。やせ形で筋肉の締まった中年男性の姿を見て、4人グループの中にいた女子高校生は、彼がそれなりの腕を持つスポーツの指導者だと認識した。中年男性と店主は、テレビ上で影村が片手で優勝トロフィーを掲げるのを見ると、只々感慨深く頷く。


 「あ、あの!」

 「ちょ、小原...やめろって...」

 「あんた達!これはチャンスよ!今声を掛けないでどうするのよ!」


 4人掛けのテーブルに座っていた女子高校生。どこかの学校のテニス部マネージャーと思われる。その真面目そうな風貌を見た中年男性は動きを止める。


 「ん?お嬢ちゃん。おっちゃんになんか用か。」

 「わ、私はか、海生代かいせいだい高校男子テニス部!マネージャーの小原です!影村選手って、あなたの教え子なんですか!?」


 小原の質問に中年男性と店主は向かい合い視線を合わすと、もう一度彼女の方へと視線を戻す。中年男性は杏露酒を飲むと3回ほど頷いた。そして酒臭いため息をつくもその顔は素面のままだった。


 「......試合出場永久停止処分後どっか行っちまったけどな。まさか国籍を変えてよぉ、テレビ越しで再会するとは思ってなかったぜ...あのバカ野郎...ずっとあいつを評価してた解説の吉岡が報われてんじゃねぇか。ったくよぉ。連盟協会...笹原め...ざまぁだ...あとで吉岡に電話してやるわ。」

 「あの...!」

 「ん?」

 「ぜ、ぜひ聞かせてもらえませんか!」

 「.........。」

 「海生代高校男子テニス部の...伝説の2人の事を!海将と天才の事を!」

 「海将...?っぷ、はっはっはっはっはっ!あーはっはっは!」

 「わ、笑わないでください!歴代のキャプテンはみんな海将と言われてます!」

 「うっそだろぉ!?あいつのあだ名が...あぁ~...笑った。いいぞ!今日は記念日だ!教えてやろう!ハッハッハッハッハ!」


 海将の呼び名は、影村の突出した強さにあこがれた後続の部員達が、いつの間にか歴代キャプテンにそう呼ぶシステムとなっていた。海将というあだ名は、彼が前年のとある全国選抜大会に出た際、ある強豪校のマネージャーが付けたもの。海生代高校の主将という扱いだった事で“海将”という異名が付けられた。


 「へへ...でも正直、俺は男子テニス部は最初のインターハイや選抜で終わるのかと思ったぜ...でもよ、まさか...影村なんて今まで日の目を見なかった勿体ない奴が...インターハイの本戦って大舞台で正体を明かしてよぉ...。」


 中年男性はどこか誇らし気に、そして懐かし気に語り始める。彼の表情はまさしく1級の指導者たりえるものだった。海生代高校の学生達は、ごくりと唾を飲んだ。そして時間を忘れ、男性の話を真剣に聞く姿勢を見せた。


 「竹下、影村...あんな時代は二度と来ねぇ...お前らの大先輩達が成し遂げた事は今後起きねぇだろう。原点にして最高到達点...超新星爆発みてぇな進撃は早々起きねぇ...それでも聞きてぇか。」


 「はい!聞きたいです....聞かせてください!俺は...海生代を再び全国常連校に戻したい!いや、俺がそうするんです!」


 「......!」


 中年男性の質問に、1人の男子生徒が立ち上がて言った。何かを内包している。中年男性はその大柄でがっしりとした体格の生徒に、海将と呼ばれた当時の影村の姿と天才と呼ばれた竹下の姿が重なる。


 「お、おい...坊主。名前は...。」

 「はい!俺は海生代高校男子テニス部1年の陣内武弘じんのうちたけひろです!」


 中年男性は酔ったおっさんの冗談で終わらせようとしたが、気が変わった様だった。静かにフッと笑った男性は杏露酒をひと口飲む。そして近しい未来、第8代目の海将となり、その後に激闘世代と言われる世界最強争いに君臨するであろう日本人となるその少年とへ語り始めた。


 「じゃあ、教えてやろう...俺達が海生代の連中といた時の事を...お前達が言う伝説の2人と呼ばれた野郎共の話をな...。」


 中年男性はグラスをカウンターへと置いた。学生達は息をのんだ。店主は嬉しそうに過去を語る中年男性の姿を見て、昔のテニスに対して熱かった当時の彼を思いだし、皿を拭きながらフフッと笑う。ふと中年男性の頭の中に、当時の彼らの様子が記憶の中で木魂する。気が付くと目頭が熱くなっていた。


 街の中華料理屋笹林チーリン亭の壁に、油で少し汚れた額縁に入れたられた写真が飾ってある。


 男子テニス部再興から、影村がいなくなるまでのどこかで撮影された海生代高等学校の男子テニス部黄金時代の写真。それはまさしく表彰式後に部員らが集合した写真だった。そこには堅苦しいイメージはなく、影村に竹下を加えたメンバー全員が果てしなく自由で喜々に満ちた表情で映っていた。




 “What makes something special is not just what you have to gain, but what you feel there is to lose.”


 ― Andre Agassi ―


 何かを特別な存在にしてくれるのは、何を得るかじゃないんだ。失うものがあると感じることなんだ。


 ― アンドレ・アガシ ー


 中年男性よりその後続の後輩達へ、圧倒的強さでインターハイを含めた全国大会全てに優勝という前人未到の4冠を達成し、全国クラスの強豪校から“海将”と恐れられた影村が、その栄光の陰で何を失ったのかを語られる。人は何かを失い、そのたびに何かを得る。大小関わらず、本人の認知しないところで、日々何かを得ては失っている。それは自由、選択支、人間関係、富と形をその状況に応じて変えるだろう。


 兎角怪物と呼ばれた男は燻っていた檻から世界へと解き放たれた。アウトサイダーからインサイダーとなり、後に彼のバイオグラフィーを調べた海外のメディアや選手から“Marine General 海  将 ”と呼ばれる影村は本当のスタートラインに立ったのである。

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